ターボの薩摩ぶらり日記

歳時記を念頭において

甘茶の花

2006年03月17日 | 俳句雑考

東祥禅寺(印旛村瀬戸)の境内に、赤い小さな花が咲いていた。
檀徒らしい男が手ぶらで、山門の脇から入って、近づいてきたので訊ねると、
「ヒマラヤシーダだね」
ヒマラヤシーダは、クリスマスツリーにする杉の一種ではなかったかと、首をひねっていると、こんどは僧坊から高齢の梵妻が現れたので、おなじ質問をしたが、笑みをうかべて黙っている。
袖を引っ張られたので、そちらに顔をむけると、檀徒がじぶんの耳を指でさしていた。梵妻は耳が遠いというサインらしかったので、大きな声で重ねて聞くと、
「甘茶の花と聞いてます」
と、梵妻はいった。
すると、また袖を引っ張られたので、檀徒をみると、こんどは指で軽く頭を叩いていた。梵妻は頭がおかしいというサインらしかった。
檀徒が梵妻に説教をした。
「顔をみると、風邪が治っていないのに、寝ていないで、ふらふらと外に出ては、死んでしまうよ」
「いいんです。このごろ、さきに死んだひとたちが、うらやましくなりました」
と、応えたので、横から口を挟んだ。
「どうして、うらやましいのですか」
「なにもしないで、すむでしょう」
「おいくつになられましたか」
「86、くらい」
「くらい、ですか」
「正確な歳は、忘れてしまいました」
と、恥じらいをみせた。
画像は梵妻と檀徒。石塀の上の赤い花が甘茶。16日に撮した。

   地を指せる御手より甘茶おちにけり   草田男

歳時記には、甘茶が灌仏会の象徴として載っていたが、その花は見あたらなかった。