離島の観光案内施設を見学した。画像は29日、鹿児島市南栄で写す。
咲きつぐ
7月3日付で載せたブーゲンビリアの花は、紫をおびた紅色だったが、新しく真っ赤な花が咲きついでいた。
天界へ 咲きつぐ沙羅の花のいろ 公 子
歳時記では沙羅の花は夏椿のことであるが、引用句の場合はインド原産の沙羅樹のように思える。
ハイビスカス
黄色いハイビスカスは珍しいと思って撮ったが、薩摩では珍しくないそうだ。
ハイビスカスばかり働き者ばかり 静 江
還暦が過ぎても、働いている薩摩隼人は珍しくない。
嬉しげに
ブーゲンビリアの花にとまって、揚羽蝶がはばたいていた。
蕊に着きはばたく揚羽嬉しげに 豊 水
ブーゲンビリアの蕊には、たっぷりと密が含まれているのだろう。
外人
南国的な広い庭園には、人影は外人客だけだった。
口きいて外人と知る冷房車 忠 男
「キレイデスネ」
と、行き交うとき外人から声をかけられたので、こちらも応じた。
「ビユテフル」
うなずきながらだったので、うまく発音できなかった。あとで「ワンダフル」というべきではなかったかとも考えた。
渓流に沿って小径を歩いた。暑さはやわらいで凌ぎやすかった。
画像は28日、鹿児島市慈眼寺で写す。
青葉
渓川は森のなかを蛇行していた。
青葉若葉時が私を取り残す 星 城
渓川は時間のように流れが速かった。
通し鴨
通し鴨だろうか、川石にとまって羽を繕っていた。カメラをむけると静止した。近くに仲間は見かけなかった。
通し鴨番ひはなれてありにけり 喜 舟
鴨といえども、夏は夫婦のあいだに距離をおきたいのだろうか。
巨人
盤石に木が生えていた。
昼夜なき巨人の歩み年は去る 蓼 汀
巨人は時の暗喩と受けとった。木の根は盤石を伝う巨人の足のようにみえた。
紺揚羽
紺揚羽が岩床にとまって、はばたいていた。
一掬の風とよぎりし紺揚羽 柏 翠
一瞬のできごと。
姉弟
姉と弟だろうか、浅瀬に浸かって何かを採っていた。
姉弟青のみどろに入りゆけり 晶 子
ふたりは慈眼寺に避暑に来たかのように色が白かった。
桜島の神社の境内の溶岩に、句碑が建っていた。
由来書によると、自筆の揮毫であり、つぎのように読むそうだ。画像は26日写す。
溶岩に秋風の吹き渡りけり 虚 子
由来書によると、句意は「この溶岩は、大正13年の爆発によって流出したもので、この下に幾つかの村が埋没しているが、今はただ秋風が吹くばかりである」
26日、フェリーで錦江湾を鹿児島市小川町あたりの港から桜島まで往復した。画像はそのときに写した。
サクラジマサイジャククラブ
往路に乗り合わせたサッカークラブのこどもたちに、声をかけた。
「どこのサッカークラブですか」
「サクラジマサイジャククラブです」
「最も若いクラブ?」
「最も弱いクラブ!」
サイジャククラブにはポニーテイルの子が数人いた。
脱ぎしシャツ振りサッカーの勝者たり 實
汗だくのシャツを、さっと脱いで。
長閑
何船だろうか、交叉するときサッカーの子たちが手を振ると、日焼けした若い船員が白い歯を見せて、白い手袋をはめた手を振って応えた。
いつまでも手を振る島の人長閑 房 子
最後は爪立って。
ヨット
海上にはヨットが浮かんでいた。甲板にいると判らないが、風はないようだった。
傾きをもどして進むヨットの帆 悠 子
順風満帆。
国富むかに
桜島の埠頭では人々が釣りをしており、錦江湾越しの鹿児島市街は大都会に見えた。
壺焼や島から観れば国富むかに 海 市
鹿児島県には離島が多いが、島人はそのように思っているようだ。
横波
海の色は碧く、船の横波は生ビールの泡のようだった。
甲板に今日愉しまむビール乾す 和 子
そうしたかったが、乗っている時間が短かった。
ビル街の並木にユーカリが混じっていた。
標識によると、コアラの好物であり、動物園のある場所から移植したそうだが、コアラに囓られた痕跡があるような感じがした。画像は22日、鹿児島市鴨池で写す。
ユーカリを仰げば夏の日幽か 虚 子
北総の旧宅のベランダから、晴れた日はニュータウン「ユーカリが丘」の超高層マンションが遠望できた。逆にそのマンションから拙宅が見えるかどうか、知りたかったのだが。
夜来の雷雨が去って、午前9時を過ぎても珍しく涼しく、公園は人々の憩いの場になっていた。
母子
谷山中央の公園では若い母親が子守をし、老人たちが談笑していた。
花壇の薄紫の花にはルリマツリと名札が添えてあったが、手もとの歳時記には載っていなかった。画像は20日撮影。
流木に陽が降る母子来て坐せば 三日女
夜来の雷雨は、これまでに経験したことがないほど凄まじかった。 公園の母子は、その恐ろしさを思い出しているようでもあった。
帰省
慈眼寺の公園では若者がギターを奏でていた。これまでに聴いたことのない曲だった。画像は20日写す。
帰省子を待つ地球儀とギターかな まどか
旧盆中は帰省者で賑わったが、静けさが戻った。 帰省子は二学期が始まらないので、まだ残っているようだ。
隣より低く構えた木造家屋があった。台風対策だろうか。
画像は19日、鹿児島市谷山中央で撮影。
台風の浪見て墨を磨りにけり 誓 子
万全の台風対策を講じてあったゆとりから、来襲の様子を客観写生し、その一句をしたためるために墨を磨りはじめたのだろうか。
ふたりの天使像が大きな玉にとりついていた。渾身の力をふりしぼってどうにかしようとしていたが、玉を動かせないようだった。
画像は18日、鹿児島市谷山中央で撮す。
峰雲にかさなりそだつ峰雲あり 梵
天使像の上空の白い夏雲も、峰のように動かなかった。
民家の柵の内に合歓に似た花が咲いていたが、葉のかたちが北総の合歓とは異なっていた。
画像とは違う場所でも咲いており、それにはウンナンネムと名札が添えてあったので、帰宅して調べた結果、漢字は雲南合歓だった。画像は17日、鹿児島市谷山中央で撮影。
同衾
今朝6時過ぎに見に行くと、葉は北総のそれと同じように、花の名前の由来どおり同衾を想像させた。画像はそのとき写す。
日本に小野の小町や合歓の花 あした
「象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉」を踏まえていると受けとった。
産業道路と並行して、熱帯植物を中心とした緑地帯が延々と続いていた。
その中心に遊歩道が蛇行していた。画像は14日、鹿児島市谷山中央で撮影。
花冷や人影もなく遊歩道 椅智子
夕方五時を過ぎていたが、緑地帯の暑気は去っておらず、人影はなかった。