ターボの薩摩ぶらり日記

歳時記を念頭において

青い山脈

2005年03月31日 | 俳句雑考
3年まえに買った自転車がパンクしたので、直しにいったところ、タイヤに罅が入り、チューブがのぞいていた。新しく買ったポンプ付の空気入れで、空気を詰めすぎたのがよくなかったらしい、ではなく、酷使したのが原因だったようだ。
タイヤとチューブを換え、曲がっていたハンドルの向きを糺し、螺子を締め直してもらった。画像は昨日撮す。

  車組む怒濤の音に螺子緊めて    知世子

むかしの北国では、冬の間は荷車や馬車は雪のため使用できないので、車輪をはずして納屋などにしまっておいた。そして雪が溶けると、それらを出して組み立てるから、「車組む」が春の季語になった。
いまは自転車もこの季語の対象になると思う。北国の高校生は雪が消えると、自転車に空気を入れ、油をさし、螺子を締め直し、車体をみがくのではないだろうか。
むかし観た映画「青い山脈」は青森が舞台だったが、杉葉子も若山セツ子も自転車も、みんな眩しかった。

妻か、付け馬か

2005年03月30日 | 俳句雑考
唄は「狸が徳利をもって酒買いに」までしか知らないが、徳利と通帳をもった陶製の狸をよく見かける。
今日の昼まえ、印旛村で相合い傘におさまっている狸(画像)を見て、唄のつづきがどうなっているのか、気になった。
掛け買いに成功し、これから夫婦して花見などにでかけるところかと思ったが、通帳を妻が握っているのが気になった。うまく妻に化けているが、正体は付け馬かもしれない。

   山里へことづかりたる狸かな 石 鼎

山のなかで猟師から、里へ降りるのなら獲物を届けてくれ、と狸を渡されたのだろう。代表句「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」でも推察できるように、石鼎には山の句が多い。狸も狐も冬の季語。
いつだったか山畑に狸がうずくまり、脇に農夫が佇んでいた。わけを訊くと、傷を負った狸を発見したので、警察に連絡して到着を待っているのだった。
間もなく若い巡査が現れ、すぐに携帯電話をかけた。上司に指示を仰ぐつもりだろうが、なかなか電話がつながらない。
結果を見届けたかったが、残念なことに用事を抱えていたので、その場を離れざるをえなかった。帰りに寄ったときは、人も狸もいなかった。

駄洒落ではなかった

2005年03月29日 | 俳句雑考
曇天。傘を持ってぶらぶら歩く。印西市西の原の小さな公園で保育児たちが遊んでいた。すべり台に人気があり、おとなしく順番を待って、やっと滑る段になると、こわくなって泣き出す子もいた。
ようやく咲いた辛夷を背景に、写真を撮りたかったが、アングルのつごうでそうはいかなかった。

削除した1月13日付の旧日記に「辛夷と拳」と題して、以下のように書いた。
辛夷の蕾が膨らんだ。しかし、咲くまであと一か月は待たなくてはならない。拳の期間がながいから、コブシと名付けられたのだろうと、駄洒落を言いたくなる。引用句からは待ちに待っていた気持ちが伝わってくる。

一弁のはらりと解けし辛夷かな     風 生

ところが、駄洒落ではなかった。その後「綻びはじめは赤子の拳を連想させるので、この名がある」(教養文庫刊写真俳句歳時記)という解説に出会った。わが感性を誇るべきか。わが知性を愧ずるべきか。

開鑿記念碑

2005年03月28日 | 俳句雑考
浦辺の観音寺脇の坂を登っていくと、三叉路に新道開鑿記念碑が建っていた。日付は大正十二年三月一日。道には椿が落ちていた。画像は26日撮す。
開鑿の読み方も意味も知らなかったので、菊池寛の「恩讐の彼方」のように、ノミで穿って道を作ったのかと思ってびっくりした。
帰宅して調べると、自転車で訪れても、後日「御来駕賜り」の礼状をもらうのと似たようなものらしい。

   落椿圏作(な)してかつ圏外にも     海 市

一本の大きな椿の木を想像する。落ちた椿の花は、おのずから圏を構成しているが、その外にも転がっていた、という意味に受けとった。墓域のそとにも墓碑が建っているような感じであろう。

たらちね

2005年03月27日 | 俳句雑考
印西市浦部の観音寺の仁王門に、二対の乳型が祀られていた。彼岸詣での土地の人に聞くと、乳の出がよくなるようにとの願いがこめられているのだそうだ。
左の組は、画像ではわからないが、実際にはお椀をふせたような、かわいらしいものだった。昨日撮す。

  たらちねに送る頭巾を縫ひにけり 久 女

右の組は、画像でも明らかなように、いかにも垂乳根のリアリズムを感じさせられた。
三省堂の明解古語辞典には、「たらちね」のつぎに「たらちを」が載っている。漢字は垂乳男と書き、父のことだそうであるが、こちらはイメージが描けない。
たらちねとともに、母を表す枕言葉の柞葉の例句として「ははそはの母と歩むや遍路来る  草田男」があげられる。

魔法壜 

2005年03月26日 | 俳句雑考
ふだんは自転車で出かけるとき、飲みものは自動販売機で買ったお茶の空き瓶に、スーパーでただで汲んできた「電子の水」を詰めて持っていく。スーパーでは電子でどのように処理しているのか、知らないが、行列ができるほど人気がある。
今日は久しぶりに暖かいので、手作りの弁当とお茶を入れた魔法壜を持って、ふたつある手賀沼のうち、小さいほうまで遠出した。画像は正午撮す。

  春昼や魔法の利かぬ魔法壜   敦

お茶を詰めてから3時間たっていたが、魔法壜の魔法は十分に利いていた。夜桜を見にいくとき、いや昼の桜でも構わないか、熱燗を詰めて持っていこうかと思う。
安住敦にはおかしみの句として「鯛焼の尾鰭を背ナの子に与へる」もある。

百千鳥

2005年03月25日 | 俳句雑考
「この子を探しています」のビラを最初に見たのは、2月23日だった。同日付の旧日記に「インコよどこに」と題して「インコを捜すビラが林道に貼ってあった。『開けて』『こわい』としゃべるそうだ。  美しく生れ拙く囀るよ  風 生」と書いた。   
ところが、画像が消滅してしまったので、意味をなさなくなったと思い、日記そのものを削除した。

同じビラを先日、別の林道の電柱でも見かけたが、昨日は印旛村の無住寺の掲示板でも見た。透明フイルムで被われ、四隅はしっかりととめてあった。画像はそのとき撮す。
風雨の対策まで講じてあるビラに、時間がかかっても捜しあてたい、という飼い主の願いが感じられたが、いまごろは百千鳥の仲間入りして「開けて」「こわい」と、元気よく声を出しているのではないだろうか。

   百千鳥柩の汝を運ぶ上     林 火

いまの歳時記は、百千の春禽が群がり囀るのを百千鳥と解説しているが、以前はかならずしも、そうではなかったらしい。
広辞苑によると「友をなみ川瀬にのみぞ立ちゐける百千鳥とは誰がいひけむ」(泉式部)は、千鳥を詠ったもの。鶯の異称との説もあり、さらに、呼子鳥、稲負鳥 とともに「古今集の三鳥」といわれているが、古今伝授の最秘事なので、いまもって何鳥かわからない、との解説もある。

鳥雲に

2005年03月24日 | 俳句雑考
今朝6時ごろ、ベランダで10羽ほどの雁の列を見た。しかし急いでカメラを取りに行った間に姿を消してしまった。ことしは何回も経験しており、ラストチャンスを逃した思いで、悔しがっているうちに、春になって、北へ帰る渡り鳥の群が、雲に入って見えなくなることをいう「鳥雲に」の季語を思い出した。画像はそのとき撮す。
渡り鳥が去るころは、曇天が多いというわけで「鳥曇」という季語もあるので、ややこしい。
  
    歯で結ぶ指のほうたい鳥雲に   きくの

片手が使えないので、歯を使ったということはよくわかる。鳥雲に、の意味もわかる。しかし、このふたつはどんな関係にあるのだろうか。包帯を結び終えて顔をあげたら、たまたま鳥が雲に入るところだった、というほかに、意味があるのだろうか。

晴漕雨徒

2005年03月23日 | 俳句雑考
朝から雨。自転車を漕ぐわけにいかないので、つれづれにブログを調べてみると「○○の自転車日記」が73、000件も検出されたのには驚いた。
まだ新居に移って、10日あまりの新参者なのに、73、000人を代表するかのように「自転車日記」だけで押し通してきたのだから、知らなかったとはいえ、許されないことだった。無知は有罪の好例であろう。さっそく改題しようと考え、「北総自転車日記」が頭に浮かんだが、これもあぶない。
いろいろと悩んで「北総自転車ならびに徒歩日記」に決めた。これなら、雨の日も傘をさして出かければ日記が書ける。

   春雨やものがたりゆく蓑と傘    蕪 村

鮮明にイメージが湧くが、同じモチーフを浮世絵で観てみたいと思う。まったくの門外漢であり、存在するのかしないのか、知らないが。
蕪村には春雨の句が多く「春雨や小磯の小貝濡るるほど」について、萩原朔太郎は「郷愁の詩人與謝蕪村」でつぎのように解説している。
「終日霏々として降り続いてゐる春雨の中で、女の白い爪のやうに、仄かに濡れて光ってゐる磯辺の小貝が、悩ましくも印象強く感じられる」  

晴耕雨読

2005年03月22日 | 俳句雑考
自転車をこぐと、すぐ疲れてしまうので、脚力の衰えを痛感していたが、タイヤが柔らかくなっていたのが原因だった。足踏み式の空気入れが壊れてしまったので、ほっといたのが、よくなかった。
空気を補充して、20日、家人に残飯を握ってもらい、印旛沼まで遠出した。
「図書室」の表札を掲げた家があった。いかにも農家の離れという感じだった。窓からのぞくと、いくつかの大きな書架に世界文学全集、源氏物語、横光利一集、山本有三集などが、ぎっしり詰まっていた。人影はなかった。晴耕雨読の毎日なのであろう。画像はそのとき撮した。  
  
  耕すや子にあてがひし土すこし  登四郎

句意は、農婦が畑につれてきた幼児に、おもちゃ代わりに土をあてがった、というのだろうか。それとも農夫が跡継ぎの少年に、畑の一角をあてがい、好きなものを栽培するように命じた、というのだろうか。
そうではなく、老農が「子孫ノタメニ美田ヲ残スベカラズ」の格言を忠実に守って引退、いまは晴読雨読にふけっている、という意味だろうか。

水温む

2005年03月21日 | 俳句雑考
今年の冬は寒かった。とくにそういう年だったのかもしれないが、こどもたちが素足を丸出しにして、北風のなかを遊びまわっている姿をみると、自分の年齢を痛感させられた。
画像は19日、印西市西の原で撮したが、本当に水は、冷たくなくなったのだろうか。

こどものころを想い出してみると、寒かったとか、暑かったという記憶は残っていない。こどもは暑さ、寒さに強いといえるだろうが、では、ここ数年はどうだったかと振り返ると、冬のあいだは夏の涼しい風を想い出して、北総は夏こそよけれ、と思い、夏になると、あまりの暑さに、冬の日向が恋しくなるという繰り返しであった。
喉元過ぎると、熱さも冷たさも忘れるということだろうか。
  
  しなやかな子の蒙古痣水温む  鬼 房

句意は「生後一年ほどの幼児。水温む春がきて、早くも素っ裸になり、モンゴロイド特有の尻の青い斑紋をしなやかに弾ませて、水と戯れている」と、解釈した。この解釈、ながながとした蛇足かもしれない。
佐藤鬼房は、戦後の社会性俳句作家のひとりとして位置づけられているが、「秘してこそ永久の純愛鳥渡る」などの叙情句もすくなくない。


朝寝は季語だった

2005年03月20日 | 俳句雑考
自転車で彷徨しているくせに、いつの間にか印西市戸神に水鳥観察所が設けられていたとは、知らなかった。画像は18日撮す。
水鳥は冬の季語。おおかたは北へ帰ったのか、姿を消していて、大きな池は寂しくなってしまい、代わりに林で小綬鶏が鳴いていた。

  小綬鶏の朝の日すでにいね過ごす   豊 子
  
句意は「庭で小綬鶏がチョト来イ、チョト来イと呼んでいるので、目が覚めた。すでに朝の太陽がまぶしく、寝過ごしてしまっている」と解釈した。
この解釈でよいとすると、春眠暁ヲ覚エズ、處處啼ク鳥ヲ聞ク、と吟じた孟浩然と同じように、作者は朝寝坊なのだろう。

ここまで書いて、つぎに小原庄助さんのことを書こうと思って、辞書で「朝寝」を調べたところ、春の季語だったのには、びっくりした。俳句について、いつも造詣ぶかげに書いているので、恥ずかしい。

  旅にあることも忘れて朝寝かな     虚 子

朝寝が春の季語のわけは「春は寝心地のよさから、つい朝寝をすることが多いのである」(山本健吉)、「半醒半眠、春の朝のほのかな眠りは快い。意識してする朝寝をいう」(横田正知)と、解説者によって微妙にちがう。ちなみに昼寝は夏の季語。

庄助さんは清少納言のように、目覚めの早い体質だったはず。そうでなければ、三つのことを全部、朝のうちに実行できるわけがない。
5時に目が覚めると湯につかり、6時ごろから、ちびり、ちびりとやっていると、8時ごろ睡魔が訪れるので、その場で横になるという仮説を、春が終わらないうちに、いちど実証してみたいものだと思う。

春は曙

2005年03月19日 | 俳句雑考
 勤めていたときは、朝、眠くて寝床を離れたくなかったのに、定刻に起きなくてもすむようになってから、朝5時をすぎると、静かに寝ていられないで、12階から1階まで朝刊をとりに降りるようになった。なんの因果かと思わないでもない。
 その時間帯は、冬のあいだは真っ暗だったが、最近は茜さす総のくにが一望できるようになった。画像はそのとき撮した。(印西市西の原)
 「春は曙」と看破した清少納言も、早起き派だったのだろう。しかし「春眠暁を覚えず」と嘯いたり、次の句のように、まどろんでいるほうが多数派と思う。

  春暁と思ふのみ刻わからずに  波津女

 多くのおしどり俳人のなかでも、野沢凡兆と羽紅、山口誓子と波津女が双璧であろう。西の宮に「虹の環を以て地上のものかこむ  誓子」「毛糸編む来世も夫にかく編まん  波津女」の句碑があり、波津女は、療養中の誓子をして「妻にして母、主婦にして看護婦」と言わしめた。

花咲爺さん

2005年03月18日 | 俳句雑考
 平成の花咲爺さん、飯田先生が10日前に北総花の丘公園に移植した河津桜が、三分咲きになった。この桜は彼岸より早く咲き出すので、彼岸桜とは呼ばないのだそうだ。写真は午前中に撮す。

   一里はみな花守の子孫かや    芭 蕉

 芭蕉の故郷、伊賀上野に王朝の昔、一条帝の后上東門院が庄を寄進し、花垣の庄と名づけて花垣を結い、宿直人が花を守ったという故事を踏まえた作品。芭蕉にとって、里人がみな花守の子孫と思えたほど、桜がみごとであったのだろう。






柵越え 

2005年03月17日 | 俳句雑考
 ようやく春らしく暖かくなってきた。冬のあいだ、放置されていた山間の畑で、陽気につられて出てきたのか、放鶏が餌をさがしていた。写真は本埜村笠神で昨日撮す。

  永き日のにはとり柵を越えにけり     不器男

 総合的な歳時記には、「永き日」の例句として、かならずといってよいほど載っている。「にはとり」と表現したところが、俳諧の味と思う。
 翼があるくせに飛べない鶏は、ふだんは放たれても、武器はうしろ向きに生えている蹴爪しかないので、庭から外へは出ない。だから庭鳥。
 しかし、庭の餌を採り尽くしても、いつまでも日が照っていて明るいので、冒険心をかきたてて、柵を乗り越えた。飛べないといっても、そのくらいのことはできる。