ターボの薩摩ぶらり日記

歳時記を念頭において

さくらの里再訪(下)

2005年11月30日 | 俳句雑考

「成田さくらの里」へ行くのに、往路はバスに乗るつもりだったが、予定を変えて歩いた。
三橋鷹女の墓前を素通りしたくなかった。
墓は篤く祀られており、植木の紅葉が目に染みた。

   この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉       鷹 女

紅葉が夕日に染まった光景は、想像できるが、鷹女が木にのぼるところは想像できない。
新勝寺の参道にある和服の鷹女のブロンズ像は、手をまえにたたみ、やや内股で立っている。

 小六月


帰路はまえにkawasakiさんから薦められた取香川の遊歩道をたどった。
国際都市ナリタらしく、軽装の外国人とすれちがった。
相手があいさつのようなことをつぶやいた。こちらは、
「どうも」
と、相手にはっきりとは聞こえないように返した。

   少年と岡に遊ぶや小六月       四方太

歳時記によると、小六月は十一月のうち、六月のような陽気の日。
小春日和よりさらに温度がたかい日和だろうか。

 桜の蕾


すっかり葉を落とした桜樹の枝に、ちいさいながら蕾がぎっしりついていた。

  師をいたむ芸亭のさくら太蕾     佳 郷

手もとの辞書類に、芸亭は載っていなかったが、芸能人の屋敷のことだろうか。

 今川焼


「金時」の看板をかかげた店先に女が集っていた。
石焼いもの店かと思ってのぞくと、今川焼の店だった。

  落葉掃了へて今川焼買ひに     茅 舎

落葉で焚く金時いもが、なかったのだろうか。

 冬帽子


JR成田駅で始発車にのり、発車を待っていると、対面の席に老女がすわり、バックから今川焼を出して食べはじめた。
帰宅してから、写真を整理していると、今川焼の店頭に、おなじ帽子をかぶった人のうしろ姿が写っている写真があった。
老女は今川焼を食べおわると、こんどは飴玉を口に入れた。ガリガリとかじる音がして、その音はすぐにやんだ。
そのつぎは煎餅を取りだして割り、一片を口に含んだ。また快音が聞かれるかと、耳をすましたが、なにも聞こえてこなかった。口のなかはなにも入ってないような感じだった。
まさか、飲みこんだはずはないと、それとなく観察していると、動かなかった口のあたりが、しばらくするとゆっくりと上下運動をはじめた。それまでは、煎餅に唾液をじゅうぶんにしみこませて、食べやすくしていたのかと仮説をたてた。
しかし、飴をかじった一件と符合しないので、その仮説は捨てた。
そのうちに、もうひとつの仮説が思いうかんだ。飴玉をかじって、あっけなく消滅させてしまったので、反省して、煎餅ではながい時間をかけて、味わっているのにちがいないと考えた。

  冬帽子別るるときは目深なり      章

帽子のつばをおろすのは、袂を分かつときの冷然たる態度だろうか。
そうではなく、涙をみられたくないときのしぐさと解釈した。


さくらの里再訪(上)

2005年11月29日 | 俳句雑考

きのう28日、里山「成田さくらの里」を2か月ぶりに訪ねた。
JR成田駅から、寄り道しながら1時間あまりをかけて歩いた。さくらの里の中腹に、ベンチがあったので腰をおろした。
ベンチは眺望のよいところに配置してあった。河津桜の若木の葉は、黄から紅に移り変わっていた。あたりの景色は、秋の終わりを告げていた。

   晩秋や風樹の中の一ベンチ      林 火

風樹のもとのベンチには、ざぶとんのように落葉が敷かれているイメージを描いた。

 自在鉤


縄文式の建物に入ると、自在鉤と鉢合わせした。
まえに訪れたときは、気がつかなかったが、いかにも頑丈そうで、どんな鍋を吊っても大丈夫に思えた。

   炉開きや鯉まろまろと自在鉤      藍 子 

料理は鯉こくと思う。

 土竜塚


土竜の塚がこんもりとしていた。
土はくろぐろと肥えていた。

   露の玉ころがり土竜ひつこんだり     茅 舎

露は朝日に輝いていて、ひかりの苦手な土竜は、土のなかへ逃げ込んだのであろう。
弥生時代の到来に、とまどっている縄文人を空想した。

  鉈豆


鉈豆がなっていた。
莢は自在鉤のようにかたく、重かった。

   鉈豆の垣かたむけてたれ下がり     泊 雲

鉈豆はさらに大きくなって、そのうちに、垣が倒れてしまうところを空想した。

 隼人瓜


アケビに似た実がなっていた。裂けていないので、ムベだろうと推測し、帰宅してから調べてみると、隼人瓜らしかった。

   遠きより友こそ来けり瓜むかん      召 波

いうまでもなく「亦楽しからずや」の句境。


深草の森

2005年11月28日 | 俳句雑考

歩いて10分あまりのところに、印西市が管理している「深草の森」がある。
ほかに里山、田畑、公園などいくらでもあるから、めったに行かないが、きのう27日、ひさしぶりに行ったのは、すこしでも樹木のなまえを覚えようという、殊勝なこころ掛けからだった。
幹にカタカナで書いた名札を提げている。サクラがバラ科に属していることを知った。
なかはしずかで、小鳥のさえずりと、落葉をふむ自分の足音しか聞こえなかった。
穏やかな気分になり、殊勝なこころ掛けは消えた。
画像はそのとき撮した。

   木の実落してくわんくわんと森老いぬ               葉 子

いろいろ調べて、「くわんくわん」は漢字では「閑々」と書くのではないかと思った。


野外授業

2005年11月27日 | 俳句雑考

揃いの帽子をかぶったこどもたちが、林のなかで採取していた。
訊くと、小学校3年生で、野外授業として、紅葉や木の実を拾っているのだった。
教室に持ち帰って、授業をつづけるのだそうだ。一緒に授業をうけたいと思った。
画像は25日、北総花の丘公園で撮す。

       君しるや花の林を紅葉狩               几 董

風雅の極致と受けとった。


花の相談室

2005年11月26日 | 俳句雑考

北総花の丘公園の相談室へ、きのう飯田先生を訪ねた。
リンク先の成田さくらの園のホームページの掲示板に、いまごろ咲いている桜についてうかがったところ、招いてくださった。
秋に咲きはじめて、春まで楚々と咲きつづける桜があることを教わった。
その花をいま、返り花、帰り花と称してもいいいのかどうか、考えていると、長老が杖をついて飄然と現れたので、席を譲った。
問答は、なんじゃもんじゃの木についてであった。
よこから、
「唐変木の木をみましたよ」
と、口をはさむと、しばらく話題は唐変木に移った。
画像はそのとき撮した。

   帰り花枝に遠慮をしてをりぬ       比奈夫

引用句からは、遠慮しているのは、にんげんのかたちが脳裏にうかんだ。


下総中山

2005年11月25日 | 俳句雑考

東山魁夷記念館がオープンしたので、俳人のN氏と22日に見に行った。
手紙に待合せ場所を京成電鉄の下総中山駅の改札口と書いたところ、電話がきて、
「京成に下総中山駅なんかないぞ。JRの総武線にはあったが」
と、叱られた。
日蓮宗大本山、正中山法華経寺の参道には、「下総」の冠をつけた和菓子の老舗があった。

   下総に来ても雲なし秋日和      虚 子

鎌倉に住んでいた作者が、はるばると来たのは下総中山駅だっただろうか。下総松崎駅だっただろうか。ちなみに、広辞苑には下総と北総は同義語として載っている。

  美男葛

ちいさな園に入り、N氏に美男葛を教えてもらった。
枝の汁で整髪料をつくるので、その名がついたのだそうだ。

   露けぶる美男かずらの門を掃く    若 沙

帰宅して調べて、方言をふくめてサネカズラ、サネカジラ、サナカズラなどの別名があることを知った。
ヒメカズラ、ビンツケカズラ、トロロカズラといった名でも呼ばれているという。

 落葉かき


法華経寺の境内では老女が落葉を掃いていた。

   ひらりと礼落葉降る中走せながら      草田男

作者はジョギングしているひとに、あいさつされたのだろうか。

  風見馬


魁夷記念館への地図を持っていたが、なかなか辿りつけなかった
馬の風見をあおいでいたN氏から、
「あそこのような気がしないか」
と、訊かれたので、
「競馬関係の建物ではないか」
と、否定した。
ちかくに菊花賞の開催で有名な中山競馬場があるので、そう思った。
行ってみると、目的の場所だった。魁夷がモチーフとして好んでだ白馬を、風見鶏の代わりにしたのだそうだ。

   風見鶏いづちを向くも伊豆青嶺     みのる

「いづち」は「いづこ」の意味と思ったが、手もとの国語辞書、古語辞典、類語辞典のいずれにも載っていなかった。伊豆地方の方言なのだろうか。
古語として「いづく」は載っていた。

 道


絵画や資料を見て、茶房で一服した。
コーヒーカップには、魁夷の代表作のひとつの「道」が描かれていた。

   この道や行く人なしに秋の暮       芭 蕉

孤高の境地。

 磯菊


記念館を出ると、小春日和なので散歩することにした。
主婦らしいひとが植木をいじっていた。
N氏は近づいて、
「その黄色い花はなんですか」
「磯菊です」
「やはりー」
と、会話を交わした。
主婦よりもまえに、同行者に訊いてみようとは、考えなかったらしい。

   磯菊や舟降りてすぐ山がかり     考 炉

神戸あたりの吟行句だろうか。

 影を磨く


中山競馬場では作業員が宙づりになって壁を磨いていた。
秋の日ざしをうけて、自分の影を磨いていた。

   寒鴉己が影の上におりたちぬ      不器男

己はシと読むのだそうだ。


箒売

2005年11月24日 | 俳句雑考

箒売と出会った。
おおきな箒を担ぎ、ちいさな箒を提げていた。ほかには、なにも持っていなかった。
茨城から来たのだそうで、一本5千円の値段。
「ちいさいやつは、いくら?」
「千8百円」
「高いなあ」
と、いうと、顔がこわばった。いまにも一喝されそうなので、
「よくみると、念入りに作ってありますね。こだわりの一品、というか、雑貨屋で売っているのとは、ちがいますね。ちいさいからといって、安かろうと思うのは、まちがってますよ」
と、いいわけしていると、家のなかから主婦が現れた。箒売がいった。
「まえに売ったのが、そろそろだめになったかと、新しい箒を持ってきたよ」
主婦がいった。
「長持ちして、まだ、じゅうぶん役にたってますよ」
画像は23日、本埜村笠神で撮す。

   トンネルを抜け十月の箒売      杏 子

引用句の箒売も、トンネル内をひたすら歩いているすがたが思いうかぶ。
箒以外は、なにも持たないで。


椋鳥

2005年11月23日 | 俳句雑考

公孫樹の梢に椋鳥が群がっていた。
歳時記によると、白頭翁の異称があった。
画像は22日印西市西の原で撮す。

   椋鳥や梢にあふれ飛ぶ四五羽       秋桜子

数年まえに越谷でみた椋鳥のねぐら騒ぎはすごかった。
森のうえで椋鳥の大群と大群が合流し、ねぐらを確保するために騒いだ。
ときには一万羽を越すという。


柿をもぐ

2005年11月22日 | 俳句雑考

おばあさんが腰かけながら、棹で柿をもいでいた。
スロービデオをみているように、時間の流れがゆるやかだった。
こどものころ、木にのぼって柿を盗っていたとき、持ち主があらわれて、幹をゆさぶられれ、こわかったことを思い出したが、どのような結末にいたったのか、どうしても思い出せなかった。
画像は19日、印旛村岩戸で撮した。

      よろよろと棹がのぼりて柿挟む       虚 子

おばあさんの棹はゆっくりとのぼったが、引用句のようには、よろよろとしていなかった。


大根掛け

2005年11月21日 | 俳句雑考

農家のあるじが庭のあちこちに、大根を掛けていた。
曇っていたが、あたりが明るかった。照っていれば、あたりは眩しいと思われた。
あるじに、
「おもしろい大根がありますね」
と、いうと、
「味はおなじだね」
と、こたえた。
画像は19日、印旛村岩戸で撮す。

   老の仕事大根たばね木に掛けて      三 鬼

働きざかりの男は、大根を引き抜くという力仕事をしており、女は大根を洗うという手が真っ赤になる仕事をしている場面が思いうかぶ。


買いもの

2005年11月20日 | 俳句雑考

百円ショップでおさない女の子が浴室用品を見つめていた。
大きめのリュックを負い、店の籠を提げていた。
いつも見ている母親のポーズをまねているのか、と思ったが、遊びのまなざしではなかった。家計に責任があるような感じだった。 

食品スーパーでは、おなじような年齢の女の子がパックにエビを詰めていた。
赤い字で「お買得品」と、表示されていた。
画像は16日、印西市草深で撮す。

   毛皮見る買はでものものと思ひ過ぐ      立 子

引用句は「買はでも、の、もの」と切って読むらしいと、見当をつけるまで時間がかかった。
表現に、曲折した心理がこもっていると受けとった。


竹の春

2005年11月19日 | 俳句雑考

歳時記によると「竹の春」は秋、「竹の秋」は春の季語になっている。
秋になると若竹も成長し、親竹もあおあおと葉を茂らすから、その約束なのだそうだ。
画像は18日、印西市草深で撮す。

   鯛に敷く竹も春なるみどりかな      松 浜

引用句のような鯛は、贈ったことも贈られたこともないが、イメージは鮮やかに描くことができた。


桜が咲いていた

2005年11月18日 | 俳句雑考

桜が咲いていた。幹が桜の幹だった。
帰宅していろいろ調べてみたが、十月桜、冬桜、返り花のどれなのか、ほかに呼称があるのか、わからなかった。
歳時記は余情を重んじるのか、踏み込んだ説明を避けている感じだった。
秋桜がコスモスの異称とは、知っていた。
画像は17日、本埜村笠神で撮す。

   山の陽を呼び寄せてゐる冬桜     虹 波

引用句からは、心理的にも冬桜のところだけが温かそうなイメージがうかぶ。


再会

2005年11月17日 | 俳句雑考

きょう案山子と再会した。
制作者の小名木さんが案山子のいたところで野良仕事をしていたので、久闊を叙し、案山子の消息をたずねると、自宅ちかくの温室に移したとのことだった。
「ぜひ逢わせてください」
強引に仕事を中断させて、案内してもらった。
温室のなかは、入ったとたんに眼鏡が曇って、なにも見えなくなるくらいの温かさだった。
姑はつつがなかったが、嫁のすがたはなかった。
秋にきた2度めの台風に耐えられなかったのだそうだ。


「案山子は、これまでにたくさん作りましたが、いまはアルバムにしか残っていません」
「ぜひ、アルバムをみせてください」
こんどは家にあがり込み、アルバムをみせてもらった。
「これが、案山子コンクールで優勝した案山子」
小名木さんが指さす写真をアルバムからはがしてもらい、借りてきた。
下の画像がその写真。


右手に握っているのも、左手の笊に入っているのもドジョウだった。
顔についている汚れは、泥のようだった。


室内にカラフルな草履がたくさんあった。
20日にひらかれる地場の産業祭に出品するため、いらなくなった布で編んだのだそうだ。
帰宅してから知ったが、健康指向のなかで、編んだ草履がブームなのだそうだ。
画像は本埜村笠神で撮す。

   我笠と我蓑を着せて案山子かな    碧梧桐

姑の上っ張りも、制作者のものだろうと思う。


太公望

2005年11月16日 | 俳句雑考

男が椅子にすわって、気持ちよさそうに釣る格好をしていた。
前に大型のラジカセが置いてあったが、音楽もひとの声も流れてこなかった。
うたた寝するのに、音がうるさいと、電源を切ってしまった感じだった。
画像はきょう16日、八千代市平戸で撮す。

   水を釣つて帰る寒鮒釣一人     耕 衣

いわれてみると、水しずくばかり釣っているひとがいる。