耕耘機のまわりに亜麻鷺がたかっていたが、カメラをむけると散った。
画像は29日、鹿児島市中山で写す。
泥におく鷺の足跡芹の花 蕪 城
このあたりの田起しは関東よりだいぶ遅いが、まだ泥のなかに冬眠中の何者かがいるのだろうか。
耕耘機のまわりに亜麻鷺がたかっていたが、カメラをむけると散った。
画像は29日、鹿児島市中山で写す。
泥におく鷺の足跡芹の花 蕪 城
このあたりの田起しは関東よりだいぶ遅いが、まだ泥のなかに冬眠中の何者かがいるのだろうか。
4月30日付で 滝と題して日記に載せた現場を訪ねると、整地は終わっていたものの、茶屋が建つ気配はなかった。
薩摩では滝は金儲けの対象にならないらしく、あたりに人影もなかった。画像は29日、鹿児島市滝の下で写す。
萬緑の底に滝あり轟けり 零 雨
山頂からの俯瞰作と思う。
登山の用意をした女人が座席に置いた大きなリュックを抱くようにして、またはリュックに凭れるようにして、もしくはリュックと支えあうようにして、窓外の景色をながめていた。
画像は26日、JR指宿枕崎線の車内で写す。
五月晴リュックの混みてローカル線 美代子
週末の大糸線だろうか。
登山靴に席譲られし大糸線 やよい
JR指宿枕崎線の前之浜駅のホームに降りると、上空で、
「ピーヒョロ」
「カアカア」
と、鳥の鳴くこえが聞こえた。仰ぐと、烏鷺の争いならぬ鳶鴉が争っていた。
鳴きながら肉弾相撃つ争いを何回か繰り返すと、鴉が去った。
画像は25日に撮影。
鳶鴉たたかふ下の畦を焼く 林 火
鳶と鴉の争いは珍しいことではないようで、引用句を探すのにそれほど苦労しなかった。
尾羽打ち枯らして
鴉が去ると、鳶は、
「ピーヒョロロ」
と、勝利宣言の笛を吹いて下降してきた。
富士の凪天鳶啼くをさまたげず 蛇 笏
勝利宣言して下界に戻った鳶は、そこが住処らしい枯木にとまった。
勝者にしては尾羽打ち枯らしており、枯木が保護色をなしていた。
JR指宿枕崎線の瀬々串で下車したのは、駅名に釣られたからだった。
駅員はおらず、乗車券か運賃をいれるようにと書かれた小さな箱が置いてあった。
画像は26日に写す。
訛
すこし歩いていると、媼から、
「なにを撮るかね」
と、声をかけられた。なんでも撮ると応じ、瀬々串の意味を訊くと、産まれて以来ここに住んでいるが、考えたことがなかったとつぶやいてから、再録不能の薩摩弁で、瀬が沢山あるからだろうと説明した。
デパートの産地訛の粽売り 種 子
北総に住んでいたとき、デパートの鹿児島特産品売場で灰汁巻を買ったことがあったが、薩摩では粽と呼んでいる。
ゆりの花
媼が白水仙の世話をしていた。できばえを褒めると微笑した。
見事やと誰も五体をゆりの花 貞 徳
歳時記によると百合の発音は「揺り」からきているそうだが、有名な貞徳句をそう解釈するのを厭う評者もいる。
涼み
薩摩では珍しい木造の護摩堂で、媼が涼んでいた。
こころいま世になきごとく涼みゐる 龍 太
神社仏閣の外観は撮影自由と思っているので、そうしていると、媼が若いのに写真を撮るとは感心だという意味らしいことを薩摩弁でいった。
驚いて年齢を告げると、
「おいは八十二にないもした」
といった。
瀬々
瀬を見に行った。
晩春の瀬瀬のしろきをあはれとす 誓 子
平安文学が苦手なせいか、もののあわれが解せない。もののあわれが解せないから、平安文学が苦手なのかもしれない。
「こんにちは」
散歩していると、背後から挨拶された。振り返ると、籠に小さな犬を入れた女の子が自転車をとめていた。
一年前にスケート と題して日記に載せた女の子と犬だと、すぐにわかった。そのときも背後から、
「こんにちは」
と挨拶されたのだった。
画像は24日、鹿児島市谷山中央で写す 。
挨拶はひとことで足るフリージヤ 敬 子
薩摩に来て、
「おはようございます」
というと、
「こんにちは」
と返されたことが何回かあった。
梅雨晴間のような昼下がり、幼い女の子が石垣から乗り出して、下校児たちを眺めていた。
画像は24日、鹿児島市谷山中央で写す。
いぬふぐり独りの下校児九九唱ふ 豊 水
谷山の下校児たちは勉強から解放されたからか、みな楽しそうに笑顔を浮かべており、眺めている女の子は羨ましげだった。
今朝、傘をさしてむっつりとした登校児を眺めれば、羨ましくはなかったはず。
木之下川に入って、女の子が遊んでいた。
画像は22日、鹿児島市谷山中央で写す。
夏の河吾がししむらを通りやんせ 悦 子
広辞苑を引くと、ししむらは臠と書き「人の命を断ち、その臠を喰ひなどするものは」(宇治拾遺物語)の用例が載っていた。
刑事だろうか、和田川に入って捜査していた。
橋上にもいるところから推理すると、犯人は川へ証拠品を投棄したらしいが、捜査員たちは見つからなかったらしく、まもなく引揚げた。
画像は21日、鹿児島市谷山中央で写す。
川狩や謡もうたふ仲間かな 虚 子
捜査をみているうちに、川狩といううろ覚えの季語を思いだしたが、歳時記をめくると、夏期、いろいろの方法で魚を一度に多くとることだった。
民家の植込みにどくだみ、別名十薬の花がぎっしりと咲いていた。大切に育てられている感じだった。
画像は20日、鹿児島市東谷山中央で写す。
十薬や傷吸ひくれし母のこと たろう
吸ったあと、自家製の十薬を塗ってくれたのであろう。
民家の庭によく咲いている花の名前が、ようやく小海老草だとわかった。花期がながいが、いまが旬らしい。
学名のベロペロネはギリシャ語の「矢のとめ金」を意味し、花のまわりの重なり合った部分から連想されたのだそうだが、連想に関してなら海老の方がわかりやすい。
画像は18日、鹿児島市谷山中央で写す。
伊勢海老の全き髭もめでたけれ 蒼 梧
歳時記には小海老草も海老も見あたらず、辛うじて伊勢海老が新年の季語として載っていた。