海軍航空隊の雛鷲(→荒鷲)の揺籃の地に同期生で戦死した人の顕彰で慰霊碑が建てられている。
毎年「戦没者慰霊永代供養式」がその碑の前で行はれている。
八百名の同期で二百名の戦死者が出ている。
入隊は昭和18年4月。大東亜戦争で実戦に出たのは昭和19年末から終戦までの10ヶ月の短い期間だった。
戦後60有余年が過ぎているから大変な大昔のことだ。
戦後、生き残った友も多くは天寿を全うした。参列出来る人も年々減ってきた。車椅子も2名いた。近辺の者だろう!
参列者は体力・意力が充分健康な人たちだろう!
生命力はドンドン延びるが体力は老齢化しバランスが取れない。
ボケた者は来ていない。知力は充分だが運動器が衰えているのだ。
生存不適格者に生命力は不要では!これは長壽者の戯言だろう!
近況報告によると、「足腰が弱まる・寝たきり・老老介護・物忘れ・杖を付く・出無精」と歳相応の状況。
赤道下で星座を見ていたことも有った、人一倍俊敏な紅顔の飛行機搭乗員だった我々も昔の精彩は無い。
後数年、90歳に成るまでは集まろう!とビールで乾杯して来年の再開を約して解散した。
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