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【小倉百人一首】25:三条右大臣

2014年06月14日 06時20分10秒 | 小倉百人一首
三条右大臣

名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

本名は藤原定方。藤原北家の出身だが、祖父・良門は文徳期に摂政となった良房の弟。
また、妹の胤子は宇多の女御なので、醍醐天皇の叔父にあたることになる。



┏真夏        ┏時平━敦忠 
┗藤原冬嗣┳良房━基経┻忠平━師輔
     ┗良門┳利基━兼輔━雅正━為時━紫式部
        ┗高藤┳定方朝忠
           ┗胤子
桓武┳平城   ┏文徳 ||━醍醐┳朱雀   ┏花山
  ┣嵯峨━仁明┻光孝━宇多  ┗村上┳冷泉┻三条
  ┗淳和              ┗円融━一条




 肝心の定方がどこにいるかわかりづいらいが、ここには省略した婚姻関係がまだあり、実際にはもっとごちゃごちゃしてる

さて、父の高藤は見ての通り宇多天皇の舅にあたるのだが、この時代はちょうど菅原道真と藤原時平の二頭政治の時代だったため、内大臣まで出世したにも関わらず目立つことはなかった。
定方自身も名前のとおり最終的に右大臣にまで登るが政治の表舞台で活躍することはなく、紀貫之ら歌人の後援者としてのみ名を残した。
ちなみに定方の子孫は観修寺流と呼ばれ、朝廷の実務官僚の家系として続き、子孫の行隆は中級官僚として『平家物語』に登場している。『平家物語』の作者は不明だが、『徒然草』の中では行隆の息子、すなわち信濃前司行長と書かれている。
他にも歴史的な有名人を出している家系で、鎌倉時代に後嵯峨天皇の皇子・宗尊親王が征夷大将軍として鎌倉に下向した際に一緒に下向した重房は上杉氏の初代。そしてその孫の清子は足利尊氏の生母であったことから上杉氏は代々関東管領職となった。
信憑性は薄いが、井伊氏の初代・共保もこの定方の子孫と言われている。

余談になるが上の系図に登場する藤原真夏は薬子の変に連座して左遷にあうが、その子孫からは足利幕府の歴代将軍のうち6代の将軍に正室を輩出した日野家がでている。

最後に歌の話題に触れると、この歌には「名」と「人」が含まれていることから競技かるたの世界では名人の札として知られている。

【小倉百人一首】24:菅公

2014年06月14日 02時13分19秒 | 小倉百人一首
菅公

このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに

この菅公は菅原道真のこと。
死後神格化された日本史上の人物のなかではだんとつで知名度が高いだろう。

前回少し書いたが菅原家は紀伝道という歴史学を家学とする学者の家系で、道真自身も学者として身を立てて下級官人として出仕する。
このときは宇多天皇(59代)の時代で、関白は藤原基経である。基経は以前にも書いたとおり三代前の清和天皇の時から権勢をふるっているのだが、887年に即位した宇多が基経に対して「万機はすべて太政大臣に関白し、しかるのちに奏下すべし」と詔をだして、関白という職責が初めて歴史に登場した。
これに対して儀礼的に断った基経に対し、紀伝博士・橘広相に起草させた「宜しく阿衡の任を以て、卿の任となすべし」という詔が阿衡事件という、藤原氏の権勢を世に知らしめる事件を起こす。

この詔にある阿衡というのは古代中国の商王朝(または殷王朝)設立の功労者である伊尹の職責が出典なのだが、文章博士・藤原佐世が「阿衡は地位は高いが職責を持たない」と基経に告げたことにより、基経は自身の権力を殺ごうとする天皇の態度に立腹して出仕拒否してしまう。ただしこの事件を額面どおりに受け取れるかどうかはかなり怪しく、自身の権力を誇示したい基経の嫌がらせといったほうがいいかも知れない。それにしても藤原佐世は曲学阿世そのものだろう。佐世は橘広相と同じく儒学で身を立てている身で、自分より出世が早く、娘を天皇に入内させている広相を落としいれようという魂胆もあったと思われる。

困った宇多は謝罪をするがそれでも基経の怒りは収まらず、広相と佐世に直接対決させても決着がつかず、事態は泥沼化。やむをえず宇多は広相を左大弁から罷免した。さらに広相の遠流を基経は求めたが、道真がこれ以上の横暴は藤原氏のためにならないと諌めたため、半年もかかってようやく終息した。
宇多はよっぽどこのことが屈辱だったようで、基経の死後、藤原佐世を陸奥守に任じて中央政界から追い払った。

阿衡事件から4年後、891年に基経が死去するとあとを継いだ時平はまだ21歳の若年ということもあったため、関白・摂政はおかず宇多が親政を行う。それだけでなく公家源氏や、阿衡事件で宇多の信任を得た道真を登用し、藤原氏の排除こそしないものの、政界のバランスを反藤原(というか反藤原北家)に傾けていった。ちなみに皇太子に敦仁親王(後の醍醐天皇)をたてて、自分の妹をその妻とさせて藤原氏が外戚になる道をふさいだ(結局2人の間には男子は生まれず、基経の娘との間に生まれた皇子が宇多のあとを継ぐことになる)。

道真はこの時代にみるみる出世し、894年には遣唐使の廃止を建言してその歴史に終止符を打った(ちなみに唐の滅亡は907年)。道真は平安時代の中でも突出した秀才で、宇多も道真を社稷の臣として信任をおいたと思われる。
また、宇多の命により正史である『日本三代実録』の編纂を行う。
この時代の治世を寛平の治と呼ぶ。

さて、897年、醍醐に譲位した宇多は、道真を引き続き重用するよう引き継ぎ、道真の官位は時平の左大臣に次ぐ右大臣にまでのぼるが、元々下級官人の家系だった道真の出世と、藤原氏の力を殺ごうとする道真の中央集権的な政治に上流貴族たちの反発も激しくなっていく。

そして運命の901年1月、後に昌泰の変とよばれる事件が起きる。
事件の概要は、道真が醍醐の弟である斉世親王(妻は道真の娘)を皇太弟として立てようとしていると、時平が讒言したことにより道真や彼に近かった貴族たちが左遷にあった、というもの。ちなみに時平の弟である忠平も要職からはずされる。もっともこの事件は時平一人の意思で起きたというよりは醍醐自身も宇多法皇時代の臣に囲まれた政治や父が口をさしはさんでくる状況に嫌気が差して、父の意に反して藤原氏と協調関係を望んでいた背景がある、とも言われている。繰り返しになるがこの後、醍醐は藤原基経の娘、すなわち時平の妹を皇后にしており、その子が皇統を継ぐ。

政変を知った宇多法皇は内裏の醍醐のもとへ行くが上皇といえど勅許なくして内裏には入れないという規則のため醍醐に会うことができず、その間に道真の処分が決まったと伝えられている。ちなみにこの規則は元々、陽成上皇が勝手に内裏に入ることを禁じるために宇多自身が作った規則というおまけつき。

  東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

道真が左遷先の大宰府に向かう際に、自邸の庭にある梅の木を詠んだ歌はあまりにも有名。

大宰権帥に任じられた道真だが一度も出仕することなく903年に死去。
そしてここからある意味で道真の伝説が始まる。

909年、藤原時平が39歳の若さで死に、醍醐と時平の妹との間に生まれた皇太子が923年に死去、さらにその子が925年に相次いで病死。極めつけは930年内裏の清涼殿に落雷があり多数の貴族が死傷するという事件が起きた。このとき死亡したのは藤原南家出身の大納言・藤原清貫だが、落雷が道真の祟りといわれたために、清貫も道真の追放に関与したのだろうと勘ぐられる羽目になった。実際には昌泰の変のとき清貫は天皇の秘書というべき蔵人で、昌泰の変後に目覚しく出世したことから余計に信憑性が増したと思われる。醍醐も落雷の3ヵ月後に崩御した。

祟りを恐れた朝廷は道真の罪を消して元の官位(右大臣)を贈り、後には正一位太政大臣を贈位した。
そして天神として祭られ、元々学者の家系であったからか、学問の神として知られるようになった。

時平の方は、跡継ぎの保忠がまだ若年だったため、時平の弟の藤原忠平が時平の権力を継ぎ、時平の子孫はその後振るわなかったこともあって、そのまま忠平の家系が藤原氏の中心となった。
大宰府に眠る道真はこれをどんな思いで見ていたのだろう。








【小倉百人一首】23:大江千里

2014年06月14日 01時00分24秒 | 小倉百人一首
大江千里

月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど

儒学者として身をたてており、唐詩の世界を和歌で表現するという斬新な歌風が特徴。
この歌も白居易の『燕子楼』という詩から生まれた。この『燕子楼』は独身を貫き通す未亡人が秋の月の下、夜の長さを歌ったものがなしい詩である。


 滿窗明月滿簾霜  満窓の明月、満簾の霜
 被冷燈殘払臥床  被は冷やかに、燈は残(うす)れて臥床を払ふ
 燕子樓中霜月夜  燕子楼の中(うち)の霜月の夜よ
 秋來只爲一人長  秋来たつて只一人(いちじん)の為に長し


ちなみに燕は二夫にまみえない貞操を守る鳥ということで建物の由来となった。

さて、大江氏は千里の父、音人の代から臣籍降下したといわれ、音人の父は阿保親王という説があるので、在原業平と親戚になる。祖父・阿保親王同様、この音人も承和の変に連座して一時期配流にあっている。
また、大江は元々大枝という姓を桓武天皇から下賜されたが、大江に変更している。

大江千里は中古三十六歌仙の一人に数えられているが、大江氏は家学として代々紀伝道(歴史学)を伝えてる学者の家柄で(他に菅原家も紀伝道を家学としている)大江氏からは後に紹介する和泉式部や鎌倉幕府設立の功労者である大江広元(当初は中原姓)などがでている。