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ゲーム攻略、読書感想文など。

銀英伝人物評127<ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング>

2004年10月18日 11時40分14秒 | 銀英伝人物評
カイザーリング男爵家の19代目当主。
中将として帝国暦483年のアルレスハイム会戦で司令官として戦い、大敗を喫した。この敗因は補給部門の責任者だった後方主任参謀のバーゼル少将が持ち込んだサイオキシン麻薬が、艦内に蔓延してしまい、兵士たちが中毒を起こしたことに起因する。
ところがカイザーリングは軍事裁判でそのことを隠し、すべての罪をかぶってしまった。バーゼルの妻ヨハンナを愛しているがゆえであるが、なんだかなぁ。で、運良く恩赦があったためにカイザーリングは少将への降格および強制退役で済んだのだ。

その後、帝国暦486年11月、人工衛星クロイツナハⅢでバーゼルと再会することになったカイザーリングだが、そのバーゼルに命を狙われる。これは妻のヨハンナが夫に対して匿名で警告し、サイオキシン麻薬の売買から手を引かせようとしたのが、カイザーリングの仕業と誤解されたからだ。ややこしいなぁ。で、この事件に巻き込まれたキルヒアイスの活躍で最後はバーゼルを自白に追い込んだ。これでアルレスハイム会戦の真相が明らかになるはずだったのだが、証拠となる書類をヨハンナが燃やそうとしたため、カイザーリングは射殺。自らの汚名を雪いだ。

銀英伝人物評126<マヌエル・ジョアン・パトリシオ>

2004年10月16日 01時40分53秒 | 銀英伝人物評
ついでにこいつも書いておくか。
宇宙暦639年、自由惑星同盟の最高評議会議長に就任した。それまでは2度の閣僚歴があり、大過なくそれを勤め上げた。強力な指導者というよりは温厚な調停者という印象。宇宙暦640年、同盟軍と帝国軍が初めて遭遇し、帝国軍の侵攻が避け得ない状況となり周囲からは、この男が元首で乗り切れるだろうかと不安になった。
ところが、このおっさんが曲者というか面白い男で、トラブルメーカーであったリン・パオとユースフ・トパロウルの2人にコンビを組ませて帝国軍にあたらせることを考え付いた。実は国防委員長のヤングブラッドはこの人事に反対したのだが、やんわりと説得した。

で、結局この人事が功を奏してダゴン星域会戦では大勝利を収めるが、その報告を受けた時、パトリシオはヤングブラッドを相手にのんびり三次元チェスをやっていた。報告を聞いても「若い連中がやってくれたらしいよ」とのんびりした感想を言っただけだった(うろ覚え)。
ちなみにこの時のパトリシオのエピソードは元ネタがある。中国の南北朝時代に起きた淝水の戦い(382年)がそれで、前秦軍を打ち破ったことを聞いた東晋の宰相・謝安がまさにこれと同じ状況だった。

戦乱の時代には不向きな政治家と思われていたパトリシオだが、実はすごいおっさんだったという話。

銀英伝人物評125<マクシミリアン・ヨーゼフ・フォン・ゴールデンバウム2世>

2004年10月15日 16時59分54秒 | 銀英伝人物評
久々にちょっと書いてみるか・・・
銀河帝国第23代皇帝。この前後の時代にはエピソードが結構ある。
父帝フリードリヒ3世(第20代)はダゴン星域会戦を起こして敗れた、通称敗軍帝。

フリードリヒ3世には4人の子がいて、長男グスタフは虚弱体質、次男のこいつは母が下級貴族の出身であるため門閥貴族の後ろ盾がなく最初から後継候補には目されておらず、三男ヘルベルトはダゴンの総司令官であったが大敗したため、一気に皇位継承の座から遠ざかった。四男リヒャルトはヘルベルトと容姿がそっくりなのだが、互いに憎みあっている。

フリードリヒ3世の死後、異母兄のマクリミリアン・ヨーゼフ1世が即位、その後グスタフが即位したがすぐに死んでしまったため、百日帝と呼ばれた。実はこれはヘルベルトの配下毒殺したというのが真相だった。
そして死の間際のグスタフから帝位を譲られて帝国暦337年にマクシミリアン・ヨーゼフ2世が即位。だが彼もヘルベルトの毒牙にかかり、半盲になってしまった。それを侍女あがりの皇后ジークリンデと司法尚書ミュンツァーが支えることになる。自由惑星同盟との戦争を避け、劣悪遺伝子排除法を有名無実化したので晴眼帝と呼ばれ、ゴールデンバウム王朝の歴代皇帝の中でも最高の名君との呼び声が高い。

ちなみにラインハルトの父・セバスチャアンが死んだのはジークリンデ皇后恩賜病院である。

銀英伝人物評124<オスヴァルト・フォン・ミュンツァー>

2004年09月22日 15時02分13秒 | 銀英伝人物評
帝国軍中将。
ダゴン星域会戦において、すべての責任を押し付けられて軍法会議に処せられたインゴルシュタットの弁護人として登場。といってもこの指名は軍部によるもので、しかも指名の理由がインゴルシュタットと仲が悪いからというえぐい理由。
ところがミュンツァーは全力でインゴルシュタットを弁護した。もともとこの敗戦は総司令官ヘルベルト大公の責任であったわけだから、誰かが代わりに罪をかぶるのは帝国内では常識的な措置であった。インゴルシュタットは不幸としかいいようがない。ちなみにヘルベルト大公は責任をとらされない代わりに精神病院に幽閉される。
で、最終弁論でのミュンツァーのセリフは圧巻というか、面白い。だが結局死刑判決がおりてしまい、それでもミュンツァーは処分の軽減を求めた。
裁判中、ずっと黙っていたインゴルシュタットは最後にミュンツァーに一礼し、おとなしく刑に服した。この活躍により、「弾劾者ミュンツァー」とあだ名された彼は、帝都防衛司令部参事官から辺境の警備管区司令官に左遷になり、さらに予備役に編入となった。まぁこれも本人は覚悟していたんだろうけど。

だが、後にマクシミリアン・ヨーゼフ2世の治世が始まると、司法尚書に抜擢されるのだから人間の運命はわからない。階級は上級大将にまで昇った。次のコルネリアス1世の時代にも引き続き用いられたが、この皇帝は元帥号を乱発し、自由惑星同盟の征服を目論んでいた。それに反対したミュンツァーは、聞き入れられないと自ら職を辞し下野した。

で、インゴルシュタットとはなんで仲が悪かったんだ。

銀英伝人物評123<ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック>

2004年09月17日 14時52分54秒 | 銀英伝人物評
侯爵。その始まりはルドルフが銀河連邦の国会議員だった時まで遡る。
その頃、クロプシュトックの先祖はルドルフと同じ政党だった。

オトフリート5世(フリードリヒ4世の父)の治世時代に、後継者争いがあり、クロプシュトック候はクレメンツ大公に与していた。だがクレメンツ大公の陰謀(大逆罪をでっちあげた)が発覚してしまったため大公は殺され、帝位はフリードリヒ4世のものになった。
これに連座しクロプシュトック候は社交界からいっさい締め出された。

それから30年。クロプシュトック候はフリードリヒ4世の暗殺を企てた。まずは典礼省、宮内省の高官に莫大な献金をし、ブラウンシュヴァイク公には秘蔵の絵画などを贈り、へりくだった。これで社交界の復帰が認められ、ブラウンシュヴァイク公が開催したパーティに出席が許された。

このパーティでクロプシュトック候は、時限爆弾を仕込んだケースを会場に置いて帰った。爆弾が爆発し、10人の死者と多数の重軽傷者を出し、このパーティに出席していたラインハルトも、軽傷で済んだとはいえ被害にあった。これが「クロプシュトック事件」である。まったく余談だが1944年に起きたヒトラー暗殺計画がこれによく似てる。ただし、出席するはずだった皇帝は向かう途中で腹痛を起こして引き返したので、被害はなかった。ちなみにメックリンガーがラインハルトと初めて会うのもこの時。

犯人はすぐにクロプシュトック侯と判明したため、怒り狂ったブラウンシュヴァイク公は、同じく一族友人が被害にあった貴族たちとともにクロプシュトック侯爵の討伐の許可を皇帝から取り付けた。ブラウンシュヴァイク公は予備役だが、今回に限り現役となった。ちなみにラインハルトも事件の翌日に皇帝から討伐の勅命をもらいに行った(ブリュンヒルトを下賜されたばかりだったので、それに乗って出征したかっただけ)が、貴族の連中が下ではやりづらいだろうと皇帝に諭されたため、引き下がった。

クロプシュトック候は領地に引き込み、そこで傭兵を雇って討伐軍に応戦。貴族たちは苦戦し、平定に一ヶ月もかかった。クロプシュトック候は戦死し、兵士たちはクロプシュトック領内を蹂躙しまくった。この戦争に軍事顧問として参加したロイエンタールとミッターマイヤーは色々あってラインハルトに忠誠を誓うことになる。

周知のようにクロプシュトック事件はOVAでは本伝内のエピソードとなっている。