磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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日本の原爆記録10

2006年06月03日 | 読書日記など
『日本の原爆記録10』
    日本図書センター/1991年
『証言は消えない広島の記録I』中国新聞社
『炎の日から20年広島の記録II』中国新聞社
 の二冊が掲載されていました。



この二冊の本などについて解説に書いてあります。
下「」引用。

「中国新聞社編『広島の記録』(未来社刊)は全部で三巻からなる。第一巻『証言は消えない』、第二巻『炎の日から20年』、第三巻『ヒロシマ・25年』がそれであり、更にこれに『ヒロシマの記録-年表・資料篇』が続くが、これからは一九六五年度の新聞協会賞を受賞、高い評価をうけた。」



『証言は消えない広島の記録I』中国新聞社
いろんなことが書かれてあります。

関東大震災にもあった人は、震災とは比べられないと言われています。


『かえらぬ鶴』について書かれてありました。

映画「生きていてよかった」に出演した失明した被爆者は、
セリフも演技も監督の言いなりだったという。
映画に出たことを後悔しているようでした。

朝鮮人被爆者の惨状が書かれてありました。

婚約者が原爆症で死んだ女性は自殺したという。

社会事業大学研究科へ入学し三十四年、広島日赤病院に就職
された方もおられたようです。

折り鶴の会を罵倒する被爆者もいたそうです。同。

「事務所前の焼け跡で“折り鶴の会”の子供たちは、忙しく鶴のレイを作っていた。近づく八・六大会の準備に子供たちの目も血走っている。そこへ近所の夫人がバケツを持って水くみに出てきた。子供たちの仕事場に通せんぼを食って、遠回りしなければ共同水道まで行けない婦人はヒステリックに叫ぶ。「インチキ折り鶴め。子供を食いものにしやがって、折り鶴に私ゃあ命を縮められる」--子供たちはベソをかく。わめくこの人も被爆者、からだが弱く内職でほそぼそと生きている気の毒な人だ。「目の前に“被爆者を慰めよう”の看板が“ぶら下がりながら、なにひとつ恩恵をうけていない彼女が、そう叫ぶのも無理はない。慰めねばならぬ人は多過ぎるんだ」と一郎はうなだれる。」



アメリカ人は被爆者を支援していました。
シュモー会館


沖縄に被爆者がいると知ったのは戦後19年(昭和39年)だという。
被爆韓国人のことも書かれてありました。

『証言は消えない広島の記録I』中国新聞社
ノーマン・カズンズ氏、フロイド・シュモー博士、精神養子運動のことが書かれてありました。
(※)関連記事

原爆障害者更生会に原爆乙女は集ったという。
聖書や賛美歌などがあるから、苦情が出て、
そして分裂したという。

プレスコードのことも書かれてありました。

トルーマンと被爆者会談も書かれてありました。
しかし、被爆者にとって満足できるものではなかったという。




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