磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

世界の非核法・非核宣言集 第一集

2008年03月04日 | 読書日記など
『世界の非核法・非核宣言集 第一集』
   中西裕人、杉江栄一(解説)/
     平和のための大阪の戦争展実行委員会(編)/
       日本機関紙協会大阪府本部1990年

表紙に書かれてあります。下「」引用。

「国際条約、国内法、法案、条例、宣言ほか67の条文と解説。」




「この本を読まれるみなさんに」というのが書かれてあります。下「」引用。

「1 世界初の非核化構想が提唱されてから三十年余、地球上の非核自治体の数は四千四百に近づき、日本では人口の64%が非核宣言自治体に住んでいます。この本は、地域住民が、自分たちの住む市町村から非核を進めてゆこうという運動の発展と、非核政府の実現に役立つことを願って編集しました。
2 この本の構成は、非核の国際法、条約および国内法=第1部、条例を含む欧米、アジア諸国の非核自治体宣言=第2部、日本の47都道府県からそれぞれ一自治体の非核宣言=第3部、それらの解説を第4部としました。
3 一九八一年から始まった「平和のための大阪の戦争展」は、中央会場、巡回ミニ展を含めて、参観者は約六百人を突破する、日本でも代表的な展示参観運動のひとつになりました。この本は、その運動から生まれたものです。」

第1部 世界の非核条約

1 南極条約

2 アフリカ非核地帯化宣言

3 宇宙条約

4 トラテロルコ条約

5 海底核兵器禁止条約

6 インド洋平和地帯宣言

7 ラロトンガ条約

8 ベラウ共和国憲法

9 ニュー ジランド非核地帯・軍縮・軍備管理法

10 フィリンピン非核兵器法案

第2部 世界の非核自治体宣言

11 マンチェスター市議会決議

12 ロンドン非核都市宣言

13 フィレンツェ市非核自治体宣言

14 シカゴ市を非核地帯にするための条約

15 非核バークレー条例

16 非核マニラ条約

17 第四回非核自治体国際会議声明

第3部 日本の非核自治体宣言


日本非核宣言自治体協議会


いろいろあるんでしょうけど、マスコミにあまり取り上げられませんね。









もくじ

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【平和と音楽】Mother(Song for Darfur)  Joanne McDonnell

2008年03月04日 | 読書日記など
平和と音楽

Beautiful Mother
(Song for Darfur)

Joanne McDonnell


こんな悲しい歌を何度きかないといけないのでしようか?

でも、こんな歌もつくられなくなったら、もっとひどい世の中になっていることでしようね。

やさしい心がこのような歌をつくっていると、ボクは思います。






--この歌をうたっているJoanne McDonnell。
オーストラリアの4人の子供の母であり、シンガーソングライター。


ダウンロード販売

↓ 翻訳で重いです。歌の解説などあり。
brodjam






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若い世代に被爆体験を語り継ぐために

2008年03月04日 | 読書日記など
『若い世代に被爆体験を語り継ぐために
  -原爆被害とあらまし-』
    被爆体験証言者交流の集い世話人会・編/
      被爆体験証言者交流の集い世話人会1990年

29ページのうすい冊子です。何のために被爆体験を語り継がれたいのかも、考えていただきたい気がします。



それにしても、このような会がいろいろありますね。

大人はむかしの方が努力されていたかと思います。

どうも、平和主義も戦後のほうが強かった。

戦争がいかにひどいものか、その体で、その人生で知っておられた。

焦土とかしたといっても、ボクが生まれたときには、もうそんな様子は少しもなかった。

いつまででも幸せでいたいために、平和でいたい。

そんなことを多くの人が思っている。

もちろん、大正デモクラシーの影響を受けていた人たちも、そう思っておられた。

しかし、ある一部のファシストたちが、平和のための戦争といい。

他国が責めてくるなど、不安に人々をして、第2次世界大戦もうまれた……。

それを予期していた男の番組がありました。

軍服を脱いだジャーナリスト 水野広徳

上からの命令で何でもしてしまう、犯罪者とかわらない人物とは大きく違うと思いました。

積極的平和では、構造的差別をなくしていこうというのに、今の日本社会では積極的に構造的差別をつくりだしていこうという、「格差社会」是認論、あるいは格差などはないという無責任論まである。

原爆を伝えることだけでなく、このようなことも伝えて欲しい気がボクにはします。

でも、それは授業なり、他の本でなりと言われたら、そうですねとしかボクには言えませんが……。

修学旅行の時に配布してもらったら、ちょうどいいような読み物でした。

よくまとめられているし、文章もわかりやすいと思います。


編集・発行
 被爆体験証言者交流の集い世話人会(50音順)
  河合護郎 財団法人広島平和文化センター理事長
  久保浦寛人 原爆被爆者証言のつどい代表
  庄野直美 ヒロシマ・ナガサキ平和基金推進委員会理事長
  空辰雄 広島平和教育研究所所長
  吉田博直 ヒロシマを語る会代表











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目 次





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軍服を脱いだジャーナリスト 水野広徳

2008年03月04日 | 読書日記など
NHK綜合 2008年2月27日
その時歴史が動いた vol.316

軍服を脱いだジャーナリスト
水野広徳が残したメッセージ~


昭和20年5月、B29から大量にまかれたビラ。
「米国を侮ることは誤りである。」
それは20年前の論文で、水野広徳が書いたものだったという。

--軍国主義から戦争反対を唱えるジャーナリストへ--

日露戦争では海軍に。
--欧米列強に並ぶ強い国になるべし!

その後、ペンをもつ。
軍備撤廃主義へ転身。

【何が水野を変えたのか】
・軍縮から訴えたという。
増税にあえぐ国民に受け入れられる。
・しかし、戦争にむかい、水野の言論も封じられていく。

◆◆◆その時
昭和16年2月26日
水野広徳が意見を発表する場を奪われた。


--日露戦争後。
「此一戦」は軍人の活躍を描きベストセラーとなった。
その著者が現役の海軍軍人・水野広徳。
--水野は軍隊がいかに国民を訴えるものであるかを訴えたという。

当時、欧米列強はアジアに進出。
--日本も同様の道を歩もうとしていた。
……水野も同様だった。

◆◆◆第一次大戦後。
水野はヨーロッパに軍事視察。
--戦勝国フランスのベルダンに。
50万人以上の犠牲者をだした地域。
--軍人以外の民間人、女性老人が巻添えになっている惨状を見た。
国の膨張政策の後の結果がこれ……。
--国は国民を守るためではなかったのか?
軍隊があることで国民に犠牲を招いているのでは……。


水野は国を守るためには軍備は必要ないという軍備撤廃主義者へと変わった。

水野は帰国して自分の信じる道を歩むため軍を辞めジャーナリストに。
--水野は軍縮を訴える。
欧米列強も軍縮へ。
そして日本の陸軍も3万4千人が人員整理されたという。


1930年、ロンドンで海軍軍縮会議が開かれる。
■海軍が異義を唱える。
統帥権の干犯(かんぱん)であると主張したという。
--天皇だけの統帥権をもっている。
政府は口出しができなくなったという。
--この時、軍部の暴走がはじまったという。
政府に統帥権と脅せば通るようになったという。

◆◆◆水野は反論
--憲政の将来を危たいならしむるの恐れあり。
軍部があたかも、統帥権が軍のものであるかのようにしていることを非難。

■右翼のテロ■
・軍部に逆らうことができなくなる……。

■満州■
・全国の新聞社のうち132社が出した共同声明。
景気がよくなることを願って、満州建国を歓迎した。

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◆◆◆水野は冷静な現状分析をした。
・世界、中でもアメリカを敵にまわすと指摘。

■軍部独走■
・犬養首相がテロに襲われた。
首相は満州のことをよく思っていなかった。

◆◆◆水野は軍部を批判する
・アメリカと戦争することになり、日本は甚大の被害を受けると。
・跡はただの灰の街 焦土の街 死骸の町である。
この水野の本は発禁処分をうけ、読まれず。

水野は講演活動をはじめると、暴漢に襲われたという。

■海軍大臣にあてた公開質問状■
・黙殺された……。

◆◆◆水野の身辺に暗い影。
・憲兵につきまとわれたという。

◆◆◆その時
昭和16年2月26日
水野広徳が意見を発表する場を奪われた。
--執筆者禁止リストに載せられたという。

■大本営発表■
・それしか国民の情報はなくなっていく……。

そして、太平洋戦争へ突入していく……。

日本は劣勢に……。
国民に伝えられるのは日本軍の優勢の情報ばかりだった。
東京の空に米軍機がきても、日本の勝利を疑わなかった……。

投降すればひどい目にあわされると教えられ、ひどい虐殺をうけたていく国民……。

水野は故郷、愛媛で原稿を書いていたが、妻にさえ見せなかった。、

そして、誰に語ることもなくこの世を去っていく……。

死から31年後。
厖大な水野の原稿が発見された。

同じ過ちを繰返すという水野のメッセージが残されていたという……。

「反逆児
  知己を百年の
    後に待つ」

【磯野鱧男の感想】

元軍人は、平和を訴えてはいけないように書く人もいるが、餅は餅屋の部分もあると思いました。

ぜひ、軍人をやめて平和主義者になってもらいたい。












追憶の便り ヒロシマで逝ったわが子へ

2008年03月04日 | 読書日記など
『追憶の便り ヒロシマで逝ったわが子へ』
   藤野としえ・著/未来社1979年
『ほるぷ自伝選集/女性の自画像4 追憶の便り』
   藤野としえ・著/ほるぷ総連合1980年

二冊とも同じ本といっていいかと思います。タイトルだけが少しかわっています。後者はシリーズものの一冊となっていますね。



うしろの方に「藤野としえさんのこと-解題をかねて-」。
原爆小文庫をつくられた長岡さんが書いています。

・昭和29年、『星は見ている』出版。
--これが、《第一部 星は見ている》のうち、「亡き子の思い出(二)」の後半(31ページ・12行目)と、「追憶の便り(一)」の全部が、400字詰原稿用紙にして30枚ほどの分量だったという。

中流家庭の人が残している文章は珍しいのではないかと思います。

しかし、庶民のように原爆の実相まではやはりとどかない。

市役所や役所の人の文章に似ている部分もある。

だけど、家庭内のことは、書くのに辛いと思うことも書いておられます。
それだけでなく、中流家庭の特徴も書かれてあります。
--息子の肌を見て、女ならよかったという母。それに対する息子。下「」引用。

「いやだよ、女なんか。女は可哀そうじゃありませんか。僕はお母さんの働く姿を見るのは嫌いだよ。一番きらいなのが洗濯している姿。その次きらいなのが拭き掃除をしている姿よ。どうして女中を返したの。」と言った。」

--食糧が手に入らぬから返したという母。
この当時は差別的とかいわれていないと思うが、ボクの子供のころ、女中は差別的というので、家政婦という言葉にかわったと思います。

ここにも当時の日本の状況があらわれていると思います。
--でも、庶民は雇われることはあっても、雇うことはなかったと思います……。

そして、原爆。
隣の壕の人が梅干を一つずつ食べていた。東警察の人がくれたという。それで、著者は東署へ行き、梅干をもらったという。

主人は退官。下「」引用。

「私らも主人の退官することに異議はなかった。病人を働かすわけにはゆかないと思った。在職満二六年、一級官(昔の勅任技師)にしてもらったけれども、退職金二六万八○○○円で、そのうち恩給のつく者は三分の一減ぜられ、その上税金を差し引かれて手取り一四万八○○○円であった。」

夫の愚痴。下「」引用。

「思うても思うても残念で仕方がない。広島では原爆に会い、子供をなくし、物を焼き、自分はこのように病気になってしまった。それだのに役所は、まるで古スリッパを捨てるみたいに冷たい仕打ちだ。役所というところはこんなところであったのだ。いいかげんに働いておればよかったんだ。自分はあまりにも真面目に働きすぎたよ」と寂しそうに笑った。」

しかし、庶民はもっとひどかったでしょうね……。

手帳についても。下「」引用。

「去年の五月から六月にかけてくる日もくる日も鼻血が出て困った。いよいよ原子病になったのだと一人案じ、自慢にもならぬ原爆手帳を持って病院通いをした。」

この手帳もすんなりくれたわけではないと思います。
勝ち取った庶民。その庶民にとっては、自慢になるのでは?
--それ自体に問題があるとしても……。

付録がついています。下「」引用。

「ラジオ中国 テアトル・ヒロシマ台本『日本の遺書』(第一四回)
付録2 追憶と未来と -8月6日・動員学徒と生と死-
    作ならびに構成=大牟田稔
    放送日=一九六一年七月二○日」


「はだしのゲン」の母はやはり庶民の母だろうなあ……とボクは思う。

母もいろいろですね……。

批判ではなく、事実として受け止めました……。









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