磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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証言-ヒロシマ・ナガサキの声-第15集(2001)

2010年05月18日 | 読書日記など
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声-第15集(2001)』
   長崎の証言の会・編/長崎の証言の会2001年

「姉妹車掌 十二才の妹の最期」宮原タツ子・著。ナガサキ……。

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丸坊主のままの結婚式「わが家は爆心直下だった」。下「」引用。

「主人の希望で、その年の十一月に式を挙げました。私はどうやら体は回復していましたが、髪の毛は抜けたままでした。結婚式を挙げた時はぼうっと頭に毛が生えているだけでした。」

江角校長先生にいわれた妹・ミサエさん……。下「」引用。

「-略-当時純心女学校二年生で、疎開を申し出たら退学処分になるからと言って、一人ででも家に残るといっていました。妹の話しによると、何でも朝礼の時、江角校長先生が「疎開する者は、学校を退学してから行きなさい。この非常時に貴方達には報国隊としての大切な務めがあることを忘れてはならないのです…」といったことを言われ、-略-それではお母さんも残るからと、妹と二人家に残ることになったのです。-略-」

永井隆のもとで放射線技術者をめざす「恐怖のエネルギーで命を奪うことだけはやめて」西田テル子・著。
永井隆の見舞いがあったという。また……。下「」引用。

「永井先生の仮住まいの家を訪れて、診察の結果、折れた箇所がぴったり継がっておらず、三センチばかり重なったまま肉が化骨しているため、左右の足の長さが違っていることを知らされた。
 あの惨状のなか、副木をするくらいのことしかできず、そのような状態になったに違いない。-略-」

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「熱線に焼かれた電報配達少年・谷口稜曄さんを看護したこと」森リツエ(証言者)。
その後、聖フランシスコ病院で4年間ぐらい勤務。

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「高校生平和大使をつとめて」が掲載されていました。

「フランスの平和運動の中から--知られざる劣化ウラン弾の恐怖--」美帆シボ(フランス平和自治体協会顧問)・著。
「「劣化ウラン弾」ルポの衝撃」『汚れたクリーン戦争』
グンター博士「不思議な重い弾」の発見」 下「」引用。

「-略-一九九一年の湾岸戦争直後はNGOとイラクの病院に薬品などを送る仕事をしていた。ある日、AMMAN(アンマン)に向かう途中、見慣れない、極端に思い弾丸を多量に見つけ、ベルリンに持ち帰った。その数か月後、イラクに奇妙な病状がみられるようになった。-略-その博士が一九九五年六月にドイツで逮捕されたのである。-略-極度に衰弱したグンダー博士は釈放されたが、一年分の年金を取り上げられ、病状の身であるのに、健康保険は使えなくなっていた。彼の住居の窓が破られたり、ナチスの紋章を悪戯書きされたり、心ない手紙が届く。家族はとうとう危険を避けて、他の地に引っ越してしまった。-略-」

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「アメリカで語り部活動をする川嶋擁子・ワトキンズさん」鶴文乃・著。

「歴史に向き合い、歴史を創る-「日蘭戦争原爆展」から-」鎌田信子・著。
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「記念館の語り部たち-総合学習の試行的実践として-」活水高校 草野十四朗・著。
【記念館・資料館】永井隆記念館、コルベ神父記念館、岡まさはる記念館、長崎平和研究所、長崎の証言の会、少国民の部屋、城山小学校記念室、長崎原爆資料館。

「蔵満さんの人形の新たな物語」林雅行・著。下「」引用。

「蔵満良雄さんは、本誌第5集(一九九一年刊)に、「四十二体の市松人形--亡き子らの面影を抱いて」を書いておられます。そこには亡き子と市松人形とのかかわりが切々と書かれてあります。その思いが林雅行氏によって「人形になったよう子ちゃん--ナガサキ原爆物語--」となって上演され、長崎市では、本年八月二十五日、長崎市平和会館で上演されました。-略-」

「〔紙芝居台本〕私と家族の長崎被爆体験記」末永浩・著。
英文併記で書かれてあった。








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