『日本を知る司馬遼太郎』
村井英雄・著/株式会社大巧社1977年、1刷
こんな作家は今いない!
ただ一言ですね……。
若いころの司馬さんは悪事をやりつくしたそうです。(゜.゜;)
学生時代の司馬遼太郎
司馬遼太郎も僕といっしょで、赤ちゃんのころから
健康に問題があったようですね。
大坂生まれの司馬さんは、幼時性脚気というので、
母方に里子にだされ、奈良におられた期間があるようです。
僕といっしょで偏食家だけど、司馬さんはすさまじい、
魚もカニもダメだそうです。
僕と違うのは、司馬さんは音楽が雑音にしかきこえない
タチだったそうです。
司馬さんの新聞記者時代のことが書かれてあります。
司馬さんの文章を「すかすか」などと評する人も
おられるようですね。
ぼくは司馬さんを好きな理由の一つが、
彼の文章は中学卒業、つまり義務教育終了しているなら、
理解できるように書いておれるところです。
これは非常に大切なことと私は思っています。
民主主義を大切にする作家なら、当然そうあるべきだと思います。
民主主義を標榜するが、実際やっていことは、
差別主義の権化のような新聞社があります。
高校にも行けない人たちが今も日本にはおられます。
その人たちには理解できないように書いている新聞社です。
その証拠に大学入試の当社の記事が設問に使用されたと
書いています。つまり、大学などと癒着もしているという
ことをコマーシャルで伝えています。
新聞記者として、民主主義を築こうとした司馬さんは、
当然そのようなことはされませんでした。
そして、作家になったら、それを捨てた方が楽なのに、
司馬さんは捨てませんでした。
立派だなあーと思います。
記述はそのようですが、内容はすこぶる上質であったことも
書いておきたいと思います。
司馬さんはオウムについて書いています。
これも実にわかりやすいので、引用します。
「司馬さんは立花隆さんとの対談で、
解脱。……僕はオウムが解脱というと、またウンザリしてしまうんです(笑)。解脱というのは、生きて煩悩から脱すること、つまり悟りを得ることです。しかし人間が生きているかぎり、煩悩から逃れられるわけがないんだから、解脱など本当はだれもできない。まれに解脱した気になっても、顔の悪相はのこっている。自分だけのなま解脱--これだけでも大変ですが--そんな人を仏教では羅漢さんと言います。羅漢さんは浮世のいろんな顔をしているでしょう。あれは解脱しただけの顔で、途中の顔なんですね。解脱して、なおかつ他者をあわれむ--慈悲の心を持って初めて仏さんの顔になる。それができた人は、伝説上の釈迦だけです。」
目次
村井英雄・著/株式会社大巧社1977年、1刷
こんな作家は今いない!
ただ一言ですね……。
若いころの司馬さんは悪事をやりつくしたそうです。(゜.゜;)
学生時代の司馬遼太郎
司馬遼太郎も僕といっしょで、赤ちゃんのころから
健康に問題があったようですね。
大坂生まれの司馬さんは、幼時性脚気というので、
母方に里子にだされ、奈良におられた期間があるようです。
僕といっしょで偏食家だけど、司馬さんはすさまじい、
魚もカニもダメだそうです。
僕と違うのは、司馬さんは音楽が雑音にしかきこえない
タチだったそうです。
司馬さんの新聞記者時代のことが書かれてあります。
司馬さんの文章を「すかすか」などと評する人も
おられるようですね。
ぼくは司馬さんを好きな理由の一つが、
彼の文章は中学卒業、つまり義務教育終了しているなら、
理解できるように書いておれるところです。
これは非常に大切なことと私は思っています。
民主主義を大切にする作家なら、当然そうあるべきだと思います。
民主主義を標榜するが、実際やっていことは、
差別主義の権化のような新聞社があります。
高校にも行けない人たちが今も日本にはおられます。
その人たちには理解できないように書いている新聞社です。
その証拠に大学入試の当社の記事が設問に使用されたと
書いています。つまり、大学などと癒着もしているという
ことをコマーシャルで伝えています。
新聞記者として、民主主義を築こうとした司馬さんは、
当然そのようなことはされませんでした。
そして、作家になったら、それを捨てた方が楽なのに、
司馬さんは捨てませんでした。
立派だなあーと思います。
記述はそのようですが、内容はすこぶる上質であったことも
書いておきたいと思います。
司馬さんはオウムについて書いています。
これも実にわかりやすいので、引用します。
「司馬さんは立花隆さんとの対談で、
解脱。……僕はオウムが解脱というと、またウンザリしてしまうんです(笑)。解脱というのは、生きて煩悩から脱すること、つまり悟りを得ることです。しかし人間が生きているかぎり、煩悩から逃れられるわけがないんだから、解脱など本当はだれもできない。まれに解脱した気になっても、顔の悪相はのこっている。自分だけのなま解脱--これだけでも大変ですが--そんな人を仏教では羅漢さんと言います。羅漢さんは浮世のいろんな顔をしているでしょう。あれは解脱しただけの顔で、途中の顔なんですね。解脱して、なおかつ他者をあわれむ--慈悲の心を持って初めて仏さんの顔になる。それができた人は、伝説上の釈迦だけです。」
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