大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

2017年6月25日 大坂史跡探訪vol.21 夕陽丘周辺

2017-08-31 10:00:00 | 活動報告
大坂史跡探訪・大坂史跡探訪冊子第6弾発売「夕陽丘周辺」  講師:長谷吉治幹事

出来立てのテキストを持ってスタート


あいにくの雨でしたが、谷町9丁目からスタート。最初の見学地は今田耕治が遊んだブランコのある寺、



そして生國魂神社にある八軒家船着場常夜燈(萬延元年・寛保3年)を見学。




水戸藩士ゆかりの地川崎孫四郎自刃の所/島男也旧居跡


 安政7年(1860)3月3日、江戸の桜田門外で、水戸、薩摩の脱藩浪士により、大老の井伊直弼が暗殺されるという大事件がおこった。このとき、江戸だけではなく大坂でも並行して、水戸、薩摩藩を中心とした挙兵計画があった。
 大坂での挙兵計画は、水戸藩士高橋多一郎が指揮を執り、川崎孫四郎ら水戸藩士、薩摩藩士や勤王の志士らが実行にあたろうとしていた。
 ところが、薩摩藩が慎重策に変じ、計画が進まなくなったところ、幕吏(大坂町奉行所)にこの計画が漏れた。
 桜田門外の変後間もない萬延元年(1860)[※3月18日より改元] 3月22日、生國魂神社付近にあった笠間藩士島男也宅に水戸藩の志士たちが協議のため集まった。
 集まったのは高橋多一郎・庄左衛門父子、川崎孫四郎、山崎猟蔵、大貫多介、小室治作、黒沢覚蔵、島男也の8名だった。幕吏から逃れるため翌日、住吉へ場所を移すことが決まり就寝した。早暁(23日)逃れる直前、幕吏が取り囲んだ。
 川崎孫四郎は高橋父子をその場から逃して防戦したが、深手を負ったため自刃を試みた。自刃し死に切れないでいるところを捕らえられ、翌日死亡した。
 島男也は捕らえられた後、江戸の伝馬町の牢に送られ、文久元年(1861)11月5日牢死した。そのほか、高橋多一郎、庄左衛門父子は、囲みを破り四天王寺まで逃れたが、同寺内で自刃。(高橋父子の墓が四天王寺境内にある)
 この計画に加担していた坐いかすり摩神社の神官佐さくらあずまお久良東雄も捕えられ、江戸伝馬町の牢獄に送られ6月獄死した。

土佐藩関係者の墓

新選組ゆかりの地新選組大坂旅宿跡/大寶寺・萬福寺

源聖寺坂(?)での記念撮影


2017年


2004年


2000年

2000年の写真は撮影場所が違いますが、2004年と2017年は同じ場所です。

他にも、小説「燃えよ剣」ゆかりの地料亭「西照庵」跡、関白太政大臣二条斉敬邸の遺構/鳳林寺、赤穂藩主浅野内匠頭長矩墓所/吉祥寺、赤穂義士四十七士墓所、大石内蔵助像、赤穂義士四十七士像、蜂須賀正勝顕彰碑、柴田勝家・お市の方供養塔/天鷲寺、加賀藩大坂蔵屋敷ゆかりの石鳥居、松尾芭蕉墓所と芭蕉堂、豊臣秀吉木造安置の地/珊瑚寺、口縄坂、麻田剛立墓所、陸奥宗光の父 宗広隠居所(自在庵)跡/稱念寺、夕陽岡表(陸奥宗光 先考 伊達宗広を弔う碑)、清地蔵、陸奥宗光及び陸奥家墓所跡、陸奥宗光 最初の妻 蓮子の墓碑、原敬 陸奥宗光に追慕の意を表す碑、陸奥家墓所の菩提樹、小松帯刀墓所跡、藤原家隆墓所(家隆塚)を見学しました。


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