大阪龍馬会

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幕末の志士・橋口壮助の鉄扇、四国で発見「伏見周辺から流出」

2007-07-14 01:21:42 | 幕末ニュース
◆四国の愛好家宅で発見 遺品散逸「貴重な資料」
○幕末に薩摩藩が藩内の倒幕派志士を弾圧した「寺田屋事件」で、伏見の寺田屋で斬殺(ざんさつ)された志士の1人、橋口壮助(1841~62)のものとみられる護身具「鉄扇」が見つかった。同事件で犠牲になった志士9人の遺品は散逸しており、専門家は「貴重な発見。志半ばで散った若き志士をしのびたい」としている。 ○鉄扇は長さ約37センチ、幅2~4センチ、重さは約700グラム。相手の刀を受ける護身具として用いられたほか、手首の鍛錬にも使われた。今回、見つかった鉄扇は、銃刀類の研究団体「堺鉄砲研究会」代表の沢田平さんが四国の愛好家宅で見つけて入手した。 ○鉄扇には「橋口壮助」の名前や薩摩藩の刀工の銘があり、木箱に同封されていた墨書には伏見周辺の古美術品屋から流出した記録が記されていた。日本美術刀剣保存協会の京都府支部も鑑定。銘にみられる刀工が当時、実際にいたことが確認できたという。 ○鉄扇には、「皇國臣(皇国の臣)」などの文字が刻まれ、20歳余りで命を落とした若き志士の意気込みがうかがえる。 ○寺田屋事件は1862年4月、尊王攘夷(じょうい)の急進派だった有馬新七や橋口らが、倒幕の挙兵を計画、船宿寺田屋に集結した。当時、藩の実質的指導者だった島津久光は公武合体を進めており、有馬らを説得する使者を派遣、乱闘の末、有馬や橋口ら6人を斬殺、負傷者ら3人が自刃した。遺体は近くの大黒寺(伏見区)に葬られたという。 ○鹿児島県歴史資料センター黎明館によると、寺田屋事件の犠牲者は明治維新後に名誉を回復したが、事件直後は藩命に背いた罪で武士の資格を剥奪されるなど重い処分を受けた。同館は「遺族に遺品すら戻らなかった可能性が高い。志士の遺品は発見例がなく、貴重な資料」としている。(読売新聞 6/18)


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