◆30、40歳代? はかま姿と洋装
幕末の土佐藩重臣で、坂本龍馬と共に大政奉還を成し遂げた後藤象二郎(1838~97年)の写真2枚が、高知市の旧家で見つかった。明治政府の高官を辞して実業界に乗り出した30~40歳代の頃とみられる。うち1枚は洋装で、寄贈を受けた南国市の県立歴史民俗資料館は「近代国家で躍進を目指す壮年期の意欲を感じさせる」としている。
後藤の家臣の子孫が保管していた。紙に焼き付けた鶏卵紙(縦10・5センチ、幅6センチ)で、脇差しを腰に帯びた紋付きはかまの立ち姿と、洋装の横顔の2枚。和装の写真の裏に「前参議」の肩書と後藤の名が墨書きされており、後藤が明治政府の主流派に敗れて下野した1873年以降で、かつ和装は廃刀令(76年)までに撮られたとみられる。
30~40歳代の後藤は炭鉱や商社の経営に乗り出し、同じく下野した板垣退助らと自由党を結成した。同館の野本亮学芸員は「洋装の写真を見ると、武士の時代に区切りをつけ、新時代を歩もうとする気概がみてとれる」と話す。これまで確認された後藤の写真は幕末から明治初期の3枚のみで、印刷物に転載された約10枚も幕末か晩年頃が大半という。写真は5月1日から同館の企画展で展示。
4/28 読売新聞
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幕末の土佐藩重臣で、坂本龍馬と共に大政奉還を成し遂げた後藤象二郎(1838~97年)の写真2枚が、高知市の旧家で見つかった。明治政府の高官を辞して実業界に乗り出した30~40歳代の頃とみられる。うち1枚は洋装で、寄贈を受けた南国市の県立歴史民俗資料館は「近代国家で躍進を目指す壮年期の意欲を感じさせる」としている。
後藤の家臣の子孫が保管していた。紙に焼き付けた鶏卵紙(縦10・5センチ、幅6センチ)で、脇差しを腰に帯びた紋付きはかまの立ち姿と、洋装の横顔の2枚。和装の写真の裏に「前参議」の肩書と後藤の名が墨書きされており、後藤が明治政府の主流派に敗れて下野した1873年以降で、かつ和装は廃刀令(76年)までに撮られたとみられる。
30~40歳代の後藤は炭鉱や商社の経営に乗り出し、同じく下野した板垣退助らと自由党を結成した。同館の野本亮学芸員は「洋装の写真を見ると、武士の時代に区切りをつけ、新時代を歩もうとする気概がみてとれる」と話す。これまで確認された後藤の写真は幕末から明治初期の3枚のみで、印刷物に転載された約10枚も幕末か晩年頃が大半という。写真は5月1日から同館の企画展で展示。
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