大政奉還の直前、坂本龍馬が土佐藩重臣・後藤象二郎に送った手紙の精巧な複製品が、大阪市内の民家で見つかったと、高知県立坂本龍馬記念館が18日、発表した。
後藤あての龍馬直筆の草案が、いの町の民家で見つかったという報道により、所有者が同館に持ち込んだ。後藤に渡った手紙の原本は、数十年間行方不明のままで、写真しか残っていないが、同館は「原本を忠実に印刷しており、筆跡もよく分かる。当時の龍馬の意気込みがうかがい知れる資料の一つ」と評価している。
15日に同館が確認した草案と内容は同じで、将軍・徳川慶喜に大政奉還を迫るため京都・二条城に登城する後藤を、龍馬が死の覚悟を示しながら激励している。書かれた日付は後藤が登城したのと同じ慶応3年(1867年)10月13日付。署名は草案が諱(いみな)(本名)の「坂本直柔(なおなり)」だったが、後藤に渡った手紙では「龍馬」になっている。
複製は、今年3月に亡くなった本山町出身の大阪市内の男性が持っていた。墨の乗り具合から、印刷したものと分かった。紙のサイズも写真で残る原本より大きい。ただ、文字は原本とそっくりで、原本から直接写したとみられる。
原本は、後藤象二郎の娘から海援隊員だった人物の長男に伝わったが、いつの間にか行方が分からなくなり、戦災で焼けたとも言われていた。今回の複製には、海援隊員の子孫が「原本はすでに手放した」と説明する1972年の手紙が添えられており、原本がどこかにある可能性も出てきたという。
草案は丁寧な筆遣いだが、後藤にあてた手紙の筆致は早く、同記念館の三浦夏樹主任学芸員は「草案をじっくりと書いた後、後藤あての手紙を一気に仕上げたのではないか。草案と複製を合わせて展示すれば、龍馬の心理を探る助けになりそう」と期待する。
6/19 読売新聞
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後藤あての龍馬直筆の草案が、いの町の民家で見つかったという報道により、所有者が同館に持ち込んだ。後藤に渡った手紙の原本は、数十年間行方不明のままで、写真しか残っていないが、同館は「原本を忠実に印刷しており、筆跡もよく分かる。当時の龍馬の意気込みがうかがい知れる資料の一つ」と評価している。
15日に同館が確認した草案と内容は同じで、将軍・徳川慶喜に大政奉還を迫るため京都・二条城に登城する後藤を、龍馬が死の覚悟を示しながら激励している。書かれた日付は後藤が登城したのと同じ慶応3年(1867年)10月13日付。署名は草案が諱(いみな)(本名)の「坂本直柔(なおなり)」だったが、後藤に渡った手紙では「龍馬」になっている。
複製は、今年3月に亡くなった本山町出身の大阪市内の男性が持っていた。墨の乗り具合から、印刷したものと分かった。紙のサイズも写真で残る原本より大きい。ただ、文字は原本とそっくりで、原本から直接写したとみられる。
原本は、後藤象二郎の娘から海援隊員だった人物の長男に伝わったが、いつの間にか行方が分からなくなり、戦災で焼けたとも言われていた。今回の複製には、海援隊員の子孫が「原本はすでに手放した」と説明する1972年の手紙が添えられており、原本がどこかにある可能性も出てきたという。
草案は丁寧な筆遣いだが、後藤にあてた手紙の筆致は早く、同記念館の三浦夏樹主任学芸員は「草案をじっくりと書いた後、後藤あての手紙を一気に仕上げたのではないか。草案と複製を合わせて展示すれば、龍馬の心理を探る助けになりそう」と期待する。
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