大阪龍馬会

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龍馬の手紙、複製あったぜよ…後藤象二郎を激励

2010-06-19 15:00:00 | 龍馬ニュース
 大政奉還の直前、坂本龍馬が土佐藩重臣・後藤象二郎に送った手紙の精巧な複製品が、大阪市内の民家で見つかったと、高知県立坂本龍馬記念館が18日、発表した。

 後藤あての龍馬直筆の草案が、いの町の民家で見つかったという報道により、所有者が同館に持ち込んだ。後藤に渡った手紙の原本は、数十年間行方不明のままで、写真しか残っていないが、同館は「原本を忠実に印刷しており、筆跡もよく分かる。当時の龍馬の意気込みがうかがい知れる資料の一つ」と評価している。

 15日に同館が確認した草案と内容は同じで、将軍・徳川慶喜に大政奉還を迫るため京都・二条城に登城する後藤を、龍馬が死の覚悟を示しながら激励している。書かれた日付は後藤が登城したのと同じ慶応3年(1867年)10月13日付。署名は草案が諱(いみな)(本名)の「坂本直柔(なおなり)」だったが、後藤に渡った手紙では「龍馬」になっている。

 複製は、今年3月に亡くなった本山町出身の大阪市内の男性が持っていた。墨の乗り具合から、印刷したものと分かった。紙のサイズも写真で残る原本より大きい。ただ、文字は原本とそっくりで、原本から直接写したとみられる。

 原本は、後藤象二郎の娘から海援隊員だった人物の長男に伝わったが、いつの間にか行方が分からなくなり、戦災で焼けたとも言われていた。今回の複製には、海援隊員の子孫が「原本はすでに手放した」と説明する1972年の手紙が添えられており、原本がどこかにある可能性も出てきたという。

 草案は丁寧な筆遣いだが、後藤にあてた手紙の筆致は早く、同記念館の三浦夏樹主任学芸員は「草案をじっくりと書いた後、後藤あての手紙を一気に仕上げたのではないか。草案と複製を合わせて展示すれば、龍馬の心理を探る助けになりそう」と期待する。

6/19 読売新聞


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坂本龍馬のピストル、同型を初公開 「いろは丸」引き揚げ品も

2010-06-19 00:01:00 | 展示会・イベント
◇福山・鞆の浦資料館

 鞆の浦沖で沈没した「いろは丸」から引き揚げた品々などを紹介する企画展「龍馬からの贈り物」が、福山市鞆町後地の市鞆の浦歴史民俗資料館で開かれている。坂本龍馬が寺田屋事件で襲撃された際に持っていたとされるピストルの同型が合わせて初公開され、来館者の目を引く。8月29日まで。

 ピストルは米スミス・アンド・ウエッソン社製の第2型で、6連発回転式の32口径。全長27・8センチで、重さ690グラム。1861~71年に約7万7000丁が製造された。昨年、個人から同館に寄贈された。龍馬は1865(慶応元)年11月、高杉晋作から上海土産としてピストルをもらったとされるが、現物は残っていないとみられる。

 展示では、05年のいろは丸第4次調査で引き揚げた品を中心に、ドアノブや革靴、すずりなど約100点が並ぶ。東京都新宿区から来た青谷千鶴子さん(64)は「剣士で有名な龍馬がピストルを持っていたとは意外。刀だけでは勝てない時代になると、先を読んでいたのかな」と想像を巡らせていた。同館の学芸員、園尾裕さん(57)は「龍馬が生きた時代をしのんでほしい」と話している。

 午前9時~午後5時。月曜休館(祝日の場合は翌日)。入館料は一般150円、高校生以下は無料。7月3日には、いろは丸にまつわる新しい事実や裏話などを紹介する無料講演も予定している。問い合わせは同館(084・982・1121)。

6/15 毎日新聞

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6月15日朝刊