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大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

松方正義:生誕地近く甲突川右岸に銅像完成 明治期に国家財政の基礎築く

2008-06-03 13:04:22 | 幕末ニュース
 明治時代に首相や蔵相を務め、国家財政の基礎を築いた鹿児島市出身の政治家、松方正義(1835~1924)の功績をたたえる銅像が生誕地近くの甲突川右岸(同市下荒田1)に完成し1日、除幕式があった。

 式には松方の子孫や地元住民、国会議員や財界関係者ら約250人が出席。額賀福志郎財務相も駆け付けた。建立費用を負担した財団法人・米盛誠心育成会の米盛庄司理事長が「郷土が偉人を生んだことは青少年に大きな励みになる」とあいさつ。銅像は市に寄贈され、森博幸市長が目録を受け取った。

 松方の孫の松方峰雄さん(76)=神奈川県藤沢市=は「銅像をきっかけに、祖父の功績を広く知ってもらえれば」と話していた。

6月2日 毎日新聞

英国で没した佐賀藩士の足跡、本に

2008-06-03 13:03:04 | 書籍紹介
 明治維新前後に英国に留学し、勉学途中で病死した佐賀藩士・袋久平(ふくろ・きゅうへい)ら4人の足跡や英国の墓にまつられた経緯を、袋の子孫に当たる古賀節子青山学院大学名誉教授(76)=東京=が本にまとめた。留学生が異国で丁重に葬られていた驚きと謎に迫り、志半ばで倒れた無名藩士の無念さに思いを寄せている。

 題名は「英国留学生の墓標 維新四藩士の志に想う」。78ページで、300部作製した。

 袋は多久出身。佐賀藩の英学校・致遠館で米国人宣教師フルベッキのもとで学び、1869(明治2)年に藩命で英国に留学した。墓誌によると、その後ベルリンで学んだが肺を患い、ロンドンで療養中の1873年11月2日、24歳で亡くなった。古賀さんの祖父の弟に当たる。

 古賀さんは県立図書館郷土資料室で見つけた、袋の死去で出した祖父の休暇願の資料を手がかりに1980年、ロンドン戸籍役場で袋の死亡証明書を発見した。「当時は遺骨は故郷に帰っていると思っていた」という。

 ところが1991年、ロンドン在住の大庭定男さんが4藩士の墓をロンドン郊外の共同墓地の荒廃した一角に発見し、政治外交史研究の犬塚孝明氏が確認したことを総合雑誌で知り、驚いたという。

 同年末に初めて墓参り。その後、共同墓地改修に際し、大庭さんらと保存を働きかけ、98年には4人をたたえた記念碑も建立された。ただ、山崎小三郎(長州)、有福次郎(徳山)、福岡守人(土佐)の子孫から連絡はないという。

 古賀さんは今月渡英し、10年ぶりに墓前に立つ。「異国で人命の尊さを思う人たちの善意と誠意があったことを少しでも多くの人に知ってもらいたい。遺族が見つかっていない3藩士の懸け橋になれば」と話す。

5月30日 佐賀新聞