ニュース雑記帳

日々のニュースからテーマを拾い雑考してます

『共謀罪』採決、連休明けまで延期

2006-04-29 14:10:52 | Weblog

実際に犯罪行為が行われなくても、謀議に加わっただけの人でも捕まえて罰することが出来る法律だという『共謀罪』を新しく作るなどした『組織犯罪処罰法』の改正案の採決が、大型連休明け以降に持ち越されたそうだ。どうも、世論の反発があるみたいで・・・結構、強気だった与党も、様子見で譲ったみたいですな。

けど、「まさに戦前の治安維持法じゃ!!」と、猛反発をくらうような法案を、どうして与党は無理やり通したがっているのだろう。反対している人たちの意見は、よく分かるのだけど、推し進めている人たちの意見が、いまひとつ伝わってこない。こういうのが、政治家の怠慢だと、わたしは思うけどなぁ。新しいことをする時は、ちゃんと説明する・・・それが基本だと思うよ。

というわけで、詳しい理由を知る機会がないので、かなり薄い知識の範囲で言うなら、『共謀罪の制定は 国連条約の批准のため 』らしい。が、それも今ひとつ、よく分からない。いったい、国連条約は、何を求めているのかな。

漏れ聞いたところによると、米国や英国の『共謀罪』とは、似てるけど一寸違う 『参加罪』とかいうのが、ドイツやフランスにはあるのだとか。後者だと、一般人が数人集まってタチの悪い馬鹿話をしただけでは罪にならないけど、暴力団みたいに予め「悪い組織」と指定されてしまった組織の連中の悪巧み話に参加してたら罰せられるとか。テロ対策が目的なら、これで十分なんじゃないのかな。前出の国連条約でも「組織的な犯罪集団とは、三人以上の者から成る組織された集団であって、直接又は問接に金銭的利益その他の物質的利益を得るため、一定の期間継続して存在し、かつ、一又は二以上の重大な犯罪又はこの条約に従って定められる犯罪を行うことを目的として協力して行動するものをいう」と規定しているようだし、そんな組織的な犯罪集団の悪巧みに参加した者だけを捕まえられればよくはないんだろうか。

『共謀罪』と同時に問題にされている『インターネット上のサイバー空間での捜査権限の強化』にしても、激増していくネットを利用した犯罪を取り締まる為ということを考えれば、必要なことなのだと思うけれど・・・「どんな犯罪に対して、何が必要なのか」という説明や、「こういう法律を作りたいが、その場合こういう問題点が付随するので、こういう対策を用意しているから安心して欲しい」という説明が、不十分な気がする。

説明不足の不満は、当然、与党に対して感じているわけだけれど、今回に関しては、マスコミに対しても感じている。我々一般人は、かなりマスコミの報道に依存しているわけだけれど、共謀罪に関しては、今ひとつマスコミが乗ってきてない気がする。マスコミ各社が、共謀罪に賛成なら、それはそれでいいから、それをちゃんと報道して欲しい。これだけ情報過多の時代に、どうも「共謀罪」に関しては、情報が薄い印象がある。

それを、一部の人たちのように「陰謀だ!!何かの力が働いている!!」とは思わないし、「共謀罪」が通れば直ちに政府による思想弾圧が始まるなんて全く思っていないけど、ちゃんと作っていなければ、今は平気でも、何かの時に国民にとって思わぬ首輪足かせになることもありえる法律なのだから、もっと話題になって欲しいとは思っている。なにか、すっきりしない「共謀罪」なんだよなぁ。


横田早紀江さん、米国公聴会で拉致問題証言

2006-04-28 14:57:17 | Weblog

横田早紀江さんが27日、米下院外交委アジア太平洋小委員会の「北朝鮮の人権状況と国際的拉致問題」を主題とする公聴会で、韓国人拉致被害者家族とともに拉致問題についての証言をされました。今夜には、ブッシュ大統領とも面会して、米国の拉致問題への取り組みの強化を依頼されるそうですね。

このニュースを見ながら・・・これで、少しでも・・・ううん、出来れば画期的に、拉致問題が解決に進むといいなぁと、そう願わずにいられません。

それにしても・・・「横田さんが、米国の公聴会に呼ばれている」「ブッシュ大統領とも会うらしい」というニュースを見ていて感じる、日本のマスコミや世論の、アメリカという国やブッシュ大統領に対するイメージが、どうもいつもと違っている気がするのは、わたしだけでしょうか。

日本人は、基本的に親米家だと思います。アジアにありながら、いつも目が欧米に向いている・・・特に米国に向いているというのは、自他共に認めざるを得ないことだと思いますし。けれど、米軍基地の問題やら、イラク侵攻の失敗やらで、今までの絶対的アメリカ依存体質を修正したい気分が生まれてきているのも、また確かなことだと思います。以前は、ごく一部の人しか口にしなかった辛口の米国批判を、今では、一般の人たちも日常的に口にするようになっていると思います。

憲法を改正して自衛隊を正式な存在にしようという流れも、国粋主義とか軍国主義というより、米国から自立したいという気持ちが強いのではないかと、推測するのですが、そんなことはないでしょうか。米国の遣り方に不満があっても、違うと思うことがあっても、国防に関して、完全に米国におんぶにだっこしてもらっている立場では、ハッキリと意見も言えないですからね。

というようなこともあってか、最近、米国やブッシュ大統領に対して、今までに比べると、どこか批判的に感じられたマスコミの論調や世論が、ここにきて、一気に変わってしまっている気がするのでする。喩えが、適切ではないかもしれませんが・・・熱心なカトリックの信者さんが、ローマ法王に直接嘆願を許された時みたいなとでも言いましょうか・・・やけに、米国の政治家たちや、ブッシュ大統領が神々しく祭り上げられている感じがするのですが、それは気のせいでしょうか。

たしかに、それだけの力と、それだけの影響力を持つ人たちで、彼および彼らが味方に付いてくれれば百人力ってことなのは、十分に理解できます。だから、わたしだって、これで拉致問題が解決に向かうなら、ブッシュのイメージ云々なんて、どうでもいいや・・・とも思います。けれど・・・やっぱり、心の隅で思うのです、「力って怖い」。

力の弱いものが何かを欲するとき、自分の力では何も出来ないので、どうしても力の強いものを頼らざるを得ません。それが嫌なら、自分が力をつけるしかありません・・・それが、まさに今、わたしたちの世界を支配している力の法則です。が、わたしは、その流れに乗りたくない・・・けれど、乗らなければ、波に飲み込まれ溺れてしまう・・・ああ、いったい、どうしたらいいのでしょう・・・完全に、袋小路にはまり込んでいます。


中3女子2人、担任教諭の給食に抗うつ剤入れる

2006-04-27 11:44:55 | Weblog

「中学3年の女の子2人が、担任の先生の給食に抗うつ剤を混ぜた」というニュースがありました。理由は「友だちの机に落書きをして叱られた。他の子もしているのに、自分たちだけ叱られたのに納得出来なかった。先生に、優しくして欲しいと思って、薬を入れた」という話でした。

まっ、警察の取調べで、少女たちが、どこまで本心を話しているかは分からないし、報道が何も隠さず事実を伝えてくれているとも限らないし、少女たちが自分たちで思っている動機と、心の底にある本当の動機が違っている場合もあるし・・・彼女たちの言葉を、そのまま信じて材料にして話すのも違うかなとは思うのですが・・・かといって、本当を知る術もないことですから、特定の出来事としてではなく、一般化した状態で、考えてみることにしましょう。

 このニュースを聞いたとき、わたしは息子が小学校六年の時に言ったことを思い出しました。あれは、確か・・・学校で禁止されていた飴を、廊下で舐めていて、先生に叱られた時のことでした。飴を舐めていたこともなんですが、それを注意した時の息子たちの態度が気になったということで、わたしは先生に呼び出されました。それで、帰ってから、息子に詳細を聞いてみたら、息子が今回の事件を起こした少女たちと同じようなことを言ったのです。「同じ事をしても、叱られない子と、ひどく叱られる子がある。それが許せんから、謝らんかった」と。

その先生は、五年生の時から受け持ってくださっている先生で、息子は最初、とても懐いていたし、ずっと「今度の先生、すごくエエ先生や」と言っていたので、正直、この息子の言葉は意外でした。小学校高学年という、自我や批判意識が目覚める年頃であることと、先生に対する期待が、今の反発になっているのかなと感じたので、わたしは、それを自分の感想として先生にお話しておくことにしました。先生は、嫌な顔をせずに、聞いてくださいました。

 たしかに、先生も人間ですから、多少のエコヒイキは、あっても不思議ではありません。が、たいていの先生は、そんな自分の感情を押し殺して、出来るだけ公平に接しようと努力してくださっていると思います。すると、先生のバランス感覚から、逆に、自分を慕ってくれている生徒や、気心が通じていると感じる生徒には厳しくしてしまう場合もあるでしょう。また、子どもに限らず、大人でも、他人に対する注意を気に留めることはないのに対して、自分が注意されたことは根に持ってしまいがちですから「自分たちばかりが叱られる」と感じてしまうことは、ありがちなことです。それに、叱るか叱らないかは、その時だけの行動によるのではなく、それ以前の行動とも連動していますから、何かにつけ叱られる場合は、自分の日ごろの行動に何か原因があるのかもしれないわけですが・・・人は、そういう自分に都合の悪いことは考慮しない習性にありますから、先生の行動が理不尽に思えたりもするのです。もちろん、実際に先生に問題がある場合も、ないことはないですが・・・そういうことも含めて、学ぶのが学校という場でもありますし・・・親の立場としては、子どもたちに、心の中で渦巻く自分たちの不満をどう処理していくかを学ばせたいと考えています。

 ただ、今度の事件の場合、もう一つ気になったのは、漏れ伝わってきた「優しくして欲しかった」という、少女たちの言葉です。わたしは、男性社会のことは、あまり分からないのですが・・・女性の職場に置いて、上司の関心を取り合うタイプの女性というのを、何人か見てきましたが・・・少女たちにも、彼女たちと共通するものを感じました。上司も、同僚も、そんなことには全く拘っていないのに、上司は「○○さんのことを気にいっている」とか「△△さんには特に優しい」というようなことに、異常な拘りを持つ人が、大人になってもいるのです。それは、時に攻撃性を持ち、人間関係のトラブルを引き起こしたりするので、バカバカしいと笑って済ませられない、深刻な問題なのです。

そういう意味では、先生たちは、そういう資質の子どものことは、特に注意して、言葉がけなどに工夫をした方がいいように思います。愛が欲しいという欲望は、他のどんな欲望より、処理が厄介だったりします。だからといって、特別に優しくしすぎるのも厄介のもとですが、要チェックであることは間違いないと思います。

 とにかく・・・先生は大変だと思うのですが、子どもたちの先生に対する目、先生に期待するものは、実に重いのです。それに、まんま答えていたら、身が持たないとは思いますが、どうか上手にイナシテ欲しいです。喩えは適切ではないかもしれませんが、水商売の女性が、お客の男性をアシラウがごとく、上手に手のひらの上で転がして欲しいです。心を尽くして、本気で付き合っても頂きたいですが・・・やはり、テクニックも必要だと、そう思います。だから、教職課程では、そのような勉強も、是非、取り入れていただきたい・・・と、わたしは思うのであります。


JR福知山線脱線衝突事故、から一年

2006-04-25 16:54:15 | Weblog
う~ん・・・この事故に関しては、ものすごくコメントが難しい。事故の当事者ではないし、私自身が親しくしている人に被害があったわけではないのだけれど、かといって客観視できるほど遠くの事だとは思えない環境で・・・距離を置いた冷静な言葉も出てこなければ、渦中の人の痛みを伝えられるような立場にもなくて・・・この中途半端感が、この事故に対するコメントを拒ませている。

それで、オウムの地下鉄サリン事件の後、東京在住の友人たちに感じた微妙な恐怖感や喪失感みたいなものが、やっと少し理解できた気がする。彼らも、わたし同様、あの事件に直接巻き込まれたわけではなかったけれど・・・何か、普通ではいられないものがあったようだった。

福知山線は、わたしたちの住んでいる地域から大阪・京都方面に行く為には欠かせない路線で・・・だから、被害者の方たちの住所を見ると、ほとんどが馴染みのあるものばかりで・・・事故から数日は、あっちでもこっちでも通夜や葬式に出席する黒い服の人たちをみかけた。しばらくたつと、あそこの奥さんが亡くなったらしいよ、あちらは息子さんだって・・・と、具体的な情報も耳に入るようになって、時間と共に、事故が身近に迫ってきた感じがしたのを覚えている。

この事故では、時間帯のせいだろう、大学生が多く被害にあった。息子の友人もまた、この事故で亡くなった。高校時代の同級生の女の子も酷い怪我をしたらしい。みんな、大学一年生の歳だった。息子の関係では、友だちのお母さんも亡くなっている・・・そういえば、年配の女性も、多く被害に合われている。

娘は、この事故の時、福知山線のライン上にいた。わたしが、最寄のJRの駅(福知山線)まで送っていってから十分くらいたった時だったと思う。娘から「電車が止まっちゃったんだけど」と電話があった。それで、わたしがラジオを付けてみると、ちょうど事故の第一報が流れた。踏み切りで衝突事故・・・たしか、最初は、そう報道されたと思う。わたしは、娘に電話をし「なんか、事故みたい。しばらく待ったら動くんじゃない?」と気楽にそう伝えた。が、それから次々に事故情報が入り、事故の様子は、その度に悲惨にものになっていった。わたしが、改めて娘に電話すると、娘は開口一番「なんか、友だちから次々とメールがくるねん。みんな、大丈夫かっ!!って言ってくるけど・・・」と不審そうにたずねた。「なんかね・・・ものすご事故みたい。電車は、とうぶん動かへんと思うけど・・・なんとかなる?」「他の乗客の人たちは、みんな、歩いて宝塚駅まで行くって言ってはる。そこから阪急に乗り換えて、学校に行くわ。この靴で、宝塚まではキツイわぁ」彼女は、事故の重大さを、ほとんど知らずに学校へ行ったんだろう。

わたしはといえば、外での用事をすませ、家に帰ってからは、テレビ画面に釘付けになっていた。被害者の中に、知人がいても決して不思議ではない状況だったので、次々と発表される名前をビクビクしながら見ていた。知らない名前でも、歳が18歳だとか、二十歳だと書いてあれば、子どもたちの知り合いかも・・・と思って、心臓が縮む思いをした。ほとんどの人の住所は、景色まで思い浮かぶほど身近なものだったし・・・泣くとか悲しむより、怖いという気持ちばかりが先にたっていた気がする。

けれど、わたしが、この時、一番強く思っていたことは・・・「良かった」ということだった。娘が、あの電車に乗っていなくて良かった。亡くなったのが、息子じゃなくて良かった。信じられない酷いエゴイズムだと思いつつ、そう思わずにいられなかった。そう思った自分が、今でも恥ずかしいし、許せないと思うけれど、それが、あの時の一番正直な気持ちだった。

だから、この福知山線の事故に関する報道を見るたびに、「もし、うちの子だったら・・・」という想像が、あまりにもリアルで、どうしても貰い泣きをしてしまう
のだが、同時にそう思っている自分の他人事さ加減に腹が立っている。「もし、うちの子だったら」は、要するに「うちの子ではなかった」ということで・・・こんな私には、我が子を失った人の為に泣く資格などあるはずがない。

とにかく・・・どうしたって、その傷は癒えることはない。大切な人を失った傷がふさがることなどない。逆縁で去る者は、残した人の中から、一番大切なものを一緒に持っていってしまう・・・と思う。わたしなどに、この事故に対する言葉は、吐く資格がないのだ。

小沢民主党、千葉補選で勝利

2006-04-24 15:32:00 | Weblog
今日一番のニュースは、やっぱり千葉七区の補選の結果かな。詳細は、どこででも見られるから、あえて書きませんね。けど、政界やマスコミが騒ぐほど、興味が沸かないんだよなぁ。

たしかに、小沢民主党にとって最初の、そして小泉自民党としては最後の選挙ってことで、多少のドラマはあるけど、この一議席が国民に大きな影響をもたらすだろうかと言ったら、それはないでしょう。候補者お二人とも、政治家としてこれから育っていく方だろうし、どちらが選ばれても今すぐ何か期待できることってないと思うし。

もちろん、イメージ戦略的な部分では、自民党にとっても民主党にとっても、大きな選挙だったと思いますよ。けど、それは、今後の党の選挙戦略にとってということでしかなくって、我々には、あまり大きなことではない気がしませんか。その割には、マスコミは頑張って取り上げていた気はするけど・・・選挙応援で、あれだけオールキャストだと、取材しないわけにはいかないかな(爆)。

でもって・・・結局、955票差という僅差で民主党が勝ったわけだけど・・・自民党にとって、それが大打撃だったかと言うと、そうでもなくないかなぁ~と思うのは、素人考えかなぁ。

この結果は『国民のバランス感覚』じゃないかと、わたしは思うのですよ。ほら、前の選挙で、自民党が勝ちすぎているでしょ。当然、今度は自民党に対して厳しくなるよね。だから、大勝直後の自民党員の人たちから、「次の参議院選挙が心配だ」みたいな声が出てるって噂があったじゃないですか。それって、間違ってない読みだと思うんですよ。でももし、その『国民のバランス感覚』がこの千葉補選で働いたのだとしたら、自民党が心配していた参議院戦での振り子の揺り戻しが軽くなるかもしれないでしょ。としたら、この結果、必ずしも自民党にとって、悪くない結果だってことになりません?

ただし・・・自民党として心配なのは、東広島や沖縄、山口などであった市長選挙で、軒並み負けているってことで・・・これを組み合わせて考えると、『国民のバランス感覚』が、前回の衆議院議員選挙の大勝なんて次元ではなく、小泉さんの政策に対する反応として働き始めているのかもしれないですよね。今までの小泉さんの政策を否定するとまではいかなくても、「その方法は、そろそろもういいかな」的な判断に傾いているのかもしれない。だとしたら、民主党は「今だっ!!」ってことなんですけどね・・・だとしたら、その割りに、955票差は少なすぎるなぁ。メール問題が響いているか、小沢さんのキャラクターに対する不信感か・・・。

つまり、票差どおり、自民も民主も、微妙なところにいるってことかもしれませんね。だとしたら、これからが、非常に重要かも。さぁ~・・・両者、どう動いていきますかね。

阪急、「村上」阪神株を全株買い取りへ

2006-04-23 16:51:43 | Weblog
ジャンルを「経済」にしましたが、全く、経済のことは分かりません(^^;。が、関西人、特に大阪から神戸にかけての阪神文化圏が生活圏にあたる人間には、これはかなり大きな出来事なので、話題にせずにはいられませんでした。

とはいっても、正直「何故?」しか、言葉が出てこないのです。関西以外の地域の方には、いまひとつピンとこないと思うのですが、阪神と阪急というのは、ほんの少しだけ阪神が下町(瀬戸内海側)、阪急が山の手(六甲山側)を走っているという違い以外、すべてがカブルと言ってもいいほど、同じ地域で同じような商売をしている私鉄なのです。

両者とも、中心になる電車の路線は「大阪⇔神戸」間、狭い阪神地区を並ぶようにして走っています。そして、それぞれの駅を起点にバスを運行しています。両者とも、大阪(梅田)に、大きな百貨店を持っています。両方とも最近廃業しましたが、阪神は「阪神パーク」、阪急は「宝塚ファミリーランド」と言う、動物園&遊園地を経営してしました。そして、阪神がタイガースを持っているように、阪急も以前は「阪急ブレーブス」という球団を運営してしました。

経済や社会情勢に疎い一般人たる私が思いつく二社の個性の違いは、阪神はタイガースがシンボルで、阪急は宝塚少女歌劇がシンボルってところくらいです。

だから、そんな二つの会社が統合してしまったら、二つは一つに減らされてしまうんじゃないかと・・・それが心配なわけです。たとえば、銀行さんが統合されたら、支店がドンドン閉鎖されて減ってしまう・・・みたいな成り行きで、梅田にデパートは一つでええやろ、電車の路線も、どっちか一本でええやろってことにならないかと、それが心配なのです。

これが、同じ関西の私鉄でも、阪急と南海だとか、阪神と近鉄だと言われると、同じ関西内で同じ商売をしているといっても、テリトリーが違いますから、素人目にも事業拡大ってイメージが浮かぶのですが、阪神と阪急だと、本当にモロかぶりで、重なって一つになってしまうしかない気がするのです。

ちなみに、わたしは兵庫県でも比較的内陸部の住民で、中学から通学には阪急電車を使っていましたから、こと電車に関しては阪急びいきです。阪神の駅の、車体が斜めに止まり、プラットホームと電車の間が開いて、走っている時の音も心なしか騒がしいという下町情緒あふれる阪神電車より、上品な小豆色の車体&落ち着いた木目調の室内と光沢のある緑のシートの阪急がお好みですが(爆)、だからといって阪神がなくなるのは困るのです。

でも、世間の反応的には、「村上タイガース」の時のような騒ぎにもなってはおらず、落ち着いた感じですから・・・庶民レベルでは、あまり心配することもない出来事なのかなぁ。けど、企業として、阪急と阪神の間柄って、どんなものだったんだろう。仲が良かったなんて、ありえるんだろうか・・・これだけ、企業として活動する範囲がカブッテルのに。

まま、地域住民としては、ただ見守るしかないですかね・・・ほんと、これから、どうなっていくのかなぁ~、阪神文化圏。けっこう、鉄道の影響って大きいから、もしかしたら、何かの転機になるやもしれないなぁ。

岐阜の中二少女殺害事件

2006-04-22 12:09:00 | Weblog
岐阜県中津川市の空き店舗で、中学二年(13歳)の少女の遺体が見つかったというニュースから一日たち、殺害犯として高校一年生・15歳の少年が逮捕されたという発表があった。

で、この事件なのだけれど・・・少女の遺体が発見された際の報道から、視聴者には漠然と犯人のイメージが出来上がってはいなかっただろうか。そして、たぶん逮捕は近いだろうと、そんな印象を抱かなかっただろうか。

ちなみに、わたしは決して推理力のある方ではないが、そんなわたしでも、遺体の状態に関する報道のニュアンスとか、友人知人に彼女の日ごろの行動についてインタビューした内容の放送などを見ていて、「これは偶発的な事件で、犯人は彼女が親しくしていたという先輩の中でも特に距離が近かった男の子じゃないかなぁ~。だとしたら、捕まるのは時間の問題だな」と思った。

警察や報道機関が手にしている情報の全てが公開されるわけではないし、我々が知らされることには制限も偏りもあるが、その範囲内で、視聴者はついつい無意識に探偵になる。そして、自分なりの事実の探求というのを行ってしまう。けれど、今回の事件のように明確な犯人像にたどり着くことは、ほとんどない。

それなのに、どうして今回の事件は、こうも簡単にイメージが作りあげられ、しかもその通りの展開になったのだろう。単純に公開可能な情報が多かったからだろうか。それとも、かなりステレオタイプな事件だったということだろうか。あるいは各報道機関の誘導が適切だったからだろうか。

もし、報道機関の誘導が図に当たったということなら・・・逆に報道機関の予測が大はずれだったときの危険性を考えて、わたしはブルッと身震いしてしまった。いや、それだけじゃない・・・予測が当たったと思っているこの事件に関しても、間違った思い込みを、そこここで犯しているのかもしれない。全部が間違いじゃないにしろ、おおむね正解だという安心感に阻害されて、小さな間違いが見過ごされている可能性は大だ。だとすると、とても怖ろしいことだ。

事件の捜査や解明、そして裁き等がナイガシロにされてはならないのは当然のことだが、それに関する報道や、その報道を見る我々の眼にも、注意すべき点が多々あると指摘され気がする事件だなぁ。

騒音おばさんに、実刑判決

2006-04-21 17:24:32 | Weblog
「騒音おばさん」として一躍有名人になった河原被告に、奈良地裁が一年の実刑判決を言い渡しましたね。即日抗告したみたいなので、確定ではないですけどね。

まっ、人には、それぞれの価値観、それぞれの主張、それぞれの遣り方があるわけで、お互いに多少の不満や多少の不快さは許容さぜるを得ないものだと思うのですが、それでも「行き過ぎると犯罪になる」ってことなんでしょうね。たかが近所同士の揉め事で、たかが騒音による嫌がらせであろうと、程度が酷いと、それは犯罪になるんだということでしょうか。

人を傷つけても、時には殺してでさえ、自分の非を認めない人もいますが、大方の人は、どんなに嫌悪や憎悪を感じた相手でさえ、自分が傷つけてしまったと感じると、その瞬間から「悪かった」という気持ちが生じるものでしょう。だから、自分の行為が相手を傷つけたのだと、それもヒドク傷つけたのだと、それが分かれば、人は悔いることが出来るのだと思います。(まっ、それよりも「自分を守りたい」という気持ちが勝ってしまう場合も、少なくはないのですけどね・・・)

けれど・・・こういう、日常の行き違い的出来事に置いては、なかなかお互いに自分の非というのが分からないのが人間って奴で・・・ということは、微罪であればあるほど、反省するということが難しいのかもしれませんね。

そういう時は、他者に罰せられることによって、冷水を頭からかけられたように「悪かった」と気づくという、罰によるショック療法というのも有効かもしれません。騒音おばさんには、有効ではないみたいですが、ちょっと自己中度が高い世間知らず程度の人間だと、これでビックリして目がさめたりもしますよね。

が、問題は、何がどう転んでも、誰がどうアプローチしても、絶対に自分が悪いとは思うことが出来ない人もいるということです。中には、自分が行った良くない行動のすべてを「私はしていない」とまで思い込める人もいるようですが、ここまでいくともう、それは心の病の領域なんでしょうか。あるいは、何かの欠落なのかもしれません。

とにかく・・・騒音おばさん程度の事件から、とんでもない惨殺事件のようなものまで、事件の規模の大小とは関係なく、どうしても『自分が悪い』と思えない人に対して、我々はどう接していけばいいんだろう・・・と、それを考えてしまいました。こういう人たちの場合、いくら罰しても、罰が更正には繋がりませんから、何よりもそれが問題でしょ。

とはいってもね・・・ふうむ・・・ねぇ・・・どうしたらいいもんでしょうかね。

竹島問題

2006-04-20 16:51:48 | Weblog
やっぱり、今日はこれが一番のニュースかなぁ。でも、領土問題は・・・う~ん、難しいなぁ。大きな問題だとは思うんだけど、自分の態度が決まってないので、書き込みし難いのですよ、正直なところ。

まっ、みなさん、この問題については、よくご存知とは思いますが、一応、まとめたものを付けておきます。よかったら、見てみてください。で、違うところがあったら、違うよって教えてくださいね。わたしも、ちゃんと理解してるわけじゃないから。それに、できるだけ公正にと思ったけれど、それが出来ているかどうかも分からないし。

とにかく、この問題は、竹島と鬱陵島を一体と考えるか、別物と考えるかってことに尽きるかもしれません。韓国は一体だと考えているから、鬱陵島同様竹島(独島)も韓国領だと言っているのだろうし、日本は別物だと考えるから「漁に使ってきた実績があるから我が国のもの」と主張して憚らないわけでしょ。ああ、なんか微妙。

となると、わたしは、国際司法裁判所(ICJ)にジャッジしてもらえばいいと思うんだけど、どうして韓国は応じないのかな。公正な判断がされないと思う、何かがあるのかなぁ。

とにかく、死者まで出ている問題だし、きっと、これからまた凄く揉めるし、絶対に当事者同士じゃ無理だと思うんだけど・・・韓国は、どういう見通しをつけているのかな。このままだと、日韓の関係は悪化するだけだし、日本の猟師さんたちが襲われたりするの黙っていられないし、韓国の抗議活動はエキセントリックだから韓国人の人にも死者や怪我人が出ないとも限らないし・・・もう、第三者に判断してもらうしかないと思うのだけどなあ。

【竹島基本情報】
日本国の認識では、竹島は島根県隠岐郡隠岐の島町の島の一つです。隠岐島から北西約157Km、韓国の鬱陵島(うつりょうとう)からは約92Kmの位置(北緯37度9分30秒、東経131度55分)にあります。島は2つの小島(西島、東島と呼ばれる)と、これを取り囲む数十の岩礁で構成されています。面積は全てを合わせても約0.2平方kmで、日比谷公園ほどの大きさしかないそうです。

【竹島をめぐる歴史と日韓の認識の違い】
問題となっている竹島のすぐ側に位置する鬱陵島は西暦512年以来、韓国の支配下にあったそうです。が、1438年に、李氏朝鮮が渡航禁止命令を出し、この命令は1881年まで続いたそうです。なぜ、李氏朝鮮政府が無人島政策を実施したかは、税金逃れのため島に渡る人が後を断たなかったから、それを防止するためと、倭寇の襲撃が激しかったので、島民を守らんがためという二つの理由があったようです。
そして、鬱陵島が無人になっていた17世紀初頭、伯耆国(ほうきこく、今の鳥取県)米子の海運業者だった大谷甚吉が、航海中に暴風に遭い鬱陵島に漂着したそうです。彼は、鬱陵島を新島だと思い、一度帰国してから、1616年に江戸幕府から正式な渡航許可を受けて、村川市兵衛という人と一緒に、再度鬱陵島に渡りました。そして、この島を「竹島(鬱陵島)」と呼び、その後78年間にわたって毎年交替で島に渡り、アシカ猟やアワビの採取や木材の伐採などを行いました。
松島(竹島)は、竹島(鬱陵島)へ渡るコースの途中にある本当に小さな島でした。大谷&村川両家は、松島(竹島)を竹島(鬱陵島)へ行くための寄港地として、またアシカ猟の基地としても使用しました。
が、1692年に、大谷&村川両家が、竹島(鬱陵島)で朝鮮人に遭遇します。人数的に相手の方が多かったため、不利を感じた両家は、すぐに引き揚げて鳥取藩に報告したのですが、鳥取藩は定住しているわけじゃないようだし問題ないと判断したようです。が、翌年、両家が竹島(鬱陵島)に行くと、また朝鮮人がいたので、そのうち二名を米子に同行してきました。鳥取藩は幕府に、朝鮮人が竹島(鬱陵島)に来ないようにと朝鮮国に申し入れしてくれと頼みます。で、幕府は、対馬藩の宗氏をつうじて朝鮮人の竹島(鬱陵島)への出漁禁止を朝鮮に申し入れました。日本の申し入れに対して、朝鮮は当初、日本との友好を重んじ穏便に解決をはかる方針で交渉に臨んでいたのですが、交渉が長引く間に方針が強硬路線に変わってきました。そして1695年に、竹島(鬱陵島)は朝鮮領に属すると対馬藩へ文書を送ってきたのです。それを見た幕府は、検討の末に竹島(鬱陵島)を放棄することにします。以降、この竹島(鬱陵島)に関しては、日本政府も韓国政府も、ともに韓国領だという認識を変えていません。が、その側の松島だった竹島に関して、今、揉めに揉めているわけですね。
再び、鬱陵島および竹島(松島だった今の竹島)が取り上げられるのは、明治になってからです。が、この頃には、外国で作られた地図がどんどん流入してきて、極東アジアの海図は混乱していました。島の名前の認識なども、ぐちゃぐちゃだったようです。明治政府は、このころ盛んに提出された「松島開拓願」を受けて、「松島」という島の所在を確かめようとしたようですが、明治13年の実地調査で、江戸時代に問題になった竹島(鬱陵島)のことだと理解してたようです。それだと韓国のものだと判断されました。
が、日露戦争の頃に、日本政府の松島(竹島)への認識が変わります。日露戦争の時局柄、日本にとって松島(竹島)は軍事的に必要なものとなったのだという主張もありますが、公式には、あくまでも一漁師の松島(竹島)の「貸下願」に答えたものとなっています。明治維新以後、外に向かって活動をはじめた日本人たちは、当時もまだ無人だった竹島(鬱陵島)にも、どんどんと渡航するようになりました。それに対し、朝鮮政府が、1881年に日本人の渡航禁止を日本政府に申し入れ、1883年には日本政府も島内の日本人を強制帰国させるのですが、日本人の無断渡航は途絶えることはなく、ついに竹島(鬱陵島)には日本人警官が常駐するまでになりました。それと同時に、竹島(鬱陵島)への途中航路に当たるリアンクール島(松島)がアシカ漁の基地港として注目されるようになりました。そのような状況の下で、漁師の中井養三郎が同島におけるアシカ猟の独占を狙って、1904年9月二25日に「りゃんこ島(リアンクール島=松島)領土編入並ニ貸下願」を内務・外務・農商務の三省に提出します。その結果、リアンクール島の領土編入が閣議によって了承され、島名も竹島と決定され、1905年には島根県に編入されました。
が、このときの日本政府の思惑というのが、今の竹島問題をさらに混乱させています。というのも、このときの日本政府の決定は、表向きは中井という猟師の願いを聞き入れてということになっていますが、実際は日露戦を睨んだ軍事上の要求に沿ったものだったという解釈があるからです。
竹島問題の一番のすれ違いは「竹島(各国では独島)は日本も韓国の領土と認めている鬱陵島と一体だ」と考える韓国と、「鬱陵島は鬱陵島、竹島は竹島。韓国は竹島を運用してこなかったけど、日本は昔から竹島をアシカ漁の拠点にしてきた実績があるじゃないか」というものだけれど、それとは別に韓国にはカイロ条約を守れという主張があるのです。
第二次世界大戦後、GHQによって、竹島も沖縄や小笠原諸島と同様に、日本の行政権から外されたわけですが、サンフランシスコ講和条約によって日本に返されたと理解する日本と、カイロ条約(武力で無理やり奪った領地は元の持ち主へ戻す)を守るなら我々に戻されるはずだと主張する韓国とが、真っ向から対立しているのです。自国の猟師の要請を受け、無主地であった竹島を管理し自国領としたという日本にとっては、講和条約による竹島返還は当たり前のことですが、軍事目的で韓国領であったものを無理やり占領したと主張する韓国にとってはカイロ条約にしたがって韓国に返還されるべきものだということになるわけです。
と、これが大まかな、竹島問題の経緯であります。

『山口母子殺人事件』結審

2006-04-18 18:23:00 | Weblog
やっぱり、今日のニュースは、これかなぁ。七年前、二十三歳の女性が、当時十八歳の青年に殺された上に強姦され、側で泣いていた十一歳の赤ちゃんまで床に叩きつけられ更に首を絞められて殺された事件の裁判が、今日結審した。結果の言い渡しは後日のようだけれど・・・。

世の中には、残虐な事件や少年事件は、他にも沢山あるけれど、この裁判に関しては、一審二審と無期懲役の判決だったものが、最高裁で覆され極刑(死刑)になるのではないかという話題性と、策なのかなんなのか最高裁の弁論の日に被告側弁護人がドタキャンするという不祥事のせいで、ますます注目の的になっていた。

正直、世論は被害者側に同情的であるように思う。犯行が残虐な上、拘束後に被告が友人に出した手紙の内容の不謹慎さなども相まって、たとえ犯行当時に未成年であったとしても、もっとも重い罰を課すべきだという気持ちになるのもやむを得ないだろう。

それに、この事件の場合、被害者の夫であり父である本村さんが、本当に積極的に活動をされていたし、その反対側で被告の最後の弁護士たちは、とんだ不祥事を起こしてしまったし・・・世間の心情の流れは、一気に極刑へと傾いたと思う。

わたし個人としては・・・たしかに、死刑と言うものには、何かワダカマルものがある。それは、被告の弁護士である安田氏と同じかもしれない。なので、日本の刑罰に、ぜひ終身刑を採用して欲しいと思っている。けれど、それを今行われている個々の裁判で訴えるのは、何か筋が違うような気がする。つまり、ルールの再考の仕方の順序が、違うと思うのだ。

現行の決まりでは、死刑と言う刑がある。が、終身刑と言う刑はない。となると、無期懲役以上の罪に関して下される罰は死刑ということになる。が、それを変えようという意見がある。そのこと自体は悪いことではない。死刑廃止の意見が主張されるのも、死刑続行の意見が主張されるのも、まったく問題ない。それらは、論議され、必要なら改変されればいいと思う。が、それを、今行われている現実の一つの裁判の中で議論するようなことは、筋が違うと思うのだ。

もしかしたら、安田さんは、この裁判で死刑制度の是非など言っていないのかもしれない。報道を見ている私が、勝手にそう感じただけかもしれない。だから、安田弁護士が、純粋に、この被告の犯した罪に対する量刑として、死刑より無期懲役が相応しいと主張しているだけなのなら、それは被告の弁護士として非難されることではないかもしれない。が、どうも、被告も被害者も関係なく、死刑廃止論ばかりがクローズアップされているようで、私は腑に落ちない。

また・・・オウムの松本被告の裁判にも感じることだけれど、被告の弁護士のすべきことというのは、いったい何なのだろうという疑問が、あらためて沸いてくる。もちろん、どんな罪を犯した人にも、味方となって弁護してくれる人を付けるという裁判の制度には異議はない。けれど、その人の「味方になる」とは、いったいどういうことなのだろうか。どうも、今の被告人弁護士の仕事は、事後共犯になることなのかなと思う機会が多いのだ。

というわけで、個々の裁判を踏み台にするのではなく、正面から死刑や終身刑のことを論議して欲しいし、罪を犯した人の味方になるということを考えて欲しいなと思わされたニュースだった。