ニュース雑記帳

日々のニュースからテーマを拾い雑考してます

履修科目不足で、卒業の危機

2006-10-26 18:04:39 | Weblog
大騒ぎですね、学校の履修プログラムの中に必修科目を入れてなくて、沢山の高校三年生を卒業させられないかもしれないって。多くの高校で、しかも今年だけじゃなく何年間もしてきたことらしいから、今年の高校三年生は運が悪いっていうか・・・もうすぐ、大学受験本番だというのに、気の毒としか、言いようがないなですよねぇ。

けど・・・なんで世界史が必修で、日本史は選択科目なんだろう。日本史は、中学でしっかり学んでるってことなの? そうだといいけど、日本史より世界史重視っていうのなら、なんだか納得できないなぁ。自分のことが分かってないのに、世界のことなんか分かるはずないもん。

で・・・話を基に戻して・・・高校としては、受験指導のためにはヤムナシの判断だったみたいですけど・・・公立なのに、なんか不思議な気がします。私立だったら、独自の方針というのを主張して、それに賛同する人が入学するっていう建前だから、受験指導に力を入れる学校があっても、全然構わないと思うけど・・・。

わたしは、高校生の時期、つまりその年齢の頃には、勉強よりもして欲しいことが沢山あるんですよね。だから、自分の子どもが高校の頃には、子どもたちが勉強以外のことを優先させるのを応援してました。けれど、なんとしてでも高学歴が欲しいと考える人たち・・・つまり「幸せになるには、まず金だ」と考える人ってことだと思うけど・・・そういう人がいても、それはそれで全然構わないと思ってますよ。

けど、それは、あくまでも、そういう人たちがいて、わたしのような考えの人間もいて・・・色んな価値観の人がいてもいいでしょうという意味です。けど、今回の事件を見ていると・・・「なんとしてでも高学歴」「幸せになるには、なにがなんでも金が必要」って人が、かなり多いんだなってことですよね。

そういえば・・・二極化って、よく言われてますが・・・それは、左右的な二極化ではなく、上下的な二極化として捉えられていて・・・わたしのような考えの人間は、哀れな落ちこぼれ下極に所属する者なんですよね。

だから「今の教育では駄目だ」って言っている人たちの言わんとしていることは、わたしのような考えの駄目な人たちを救ってあげなきゃってことになるですよね。素敵な上極に、みんなを引き揚げる教育をしましょうってことですよね。

けど、そんなの無理でしょう。上下二極の考え方は、下があって始めて成り立つんですもの、全員を上に入れようなんて、実は誰も望んでないし、そもそも不可能ですよ。そうじゃなくて・・・横並びの幅広い価値観を存在させる社会にして欲しいんだけどなぁ、わたしは。

いわゆる学力って奴を、けっして馬鹿にしてるわけじゃないですよ。お金と一緒で、ある程度の学力というのは、出来るだけ多くの人に、もれなく持って欲しいと思います。決して万能じゃないけど、それはそれで、けっこう役に立つこともありますからね。でも、人として、社会人として必要な学力って、そんなには必要ないですよ。なにの、どうして、そんなに学力ばかりに執着するのか・・・それは、今の社会で、力を持っている人たちが、学力と財力にしか自信がない人たちだから、それが絶対的な価値なんだということにして、自分たちの地位と自尊心を守りたいんでしょうね。けど、本当に、そんなに多くは必要ないですよ、学力なんて。そこそこあれば、十分です。

だから、学力大好き人間さんたちは、それを追及し続ければいいし、それ以外のものに価値や魅力や興味を感じる人は、自分の望むものに、自信と誇りをもって邁進できるような、そんな風な教育が理想だし、そんな風な社会が理想なんですが・・・なんだか、どんどん逆方向に進んでいる気がします。

なんとかしなくちゃ!!と言っている人の言っている事が、そもそも、わたしが望んでいるのとは逆方向な気がします。連れて行かれたくない方にしか、道が付いていかないとしたら・・・自分が行きたい道は、自分で作っていくしかないのかな。そうなんだよ、若者たちよ!!

輸血は常識、でも代理母は非常識

2006-10-24 17:33:05 | Weblog
宗教上の理由から、輸血を拒否する人たちがいます。そういう人たちは、自分は勿論ですが、我が子に対しても輸血させないようです。それで、ケガをしても、病気になっても、適切な処置が出来なくて、最悪の場合は、子どもの命が危険にさらされてしまうようです。

それで、ついに、最近、子どもに輸血することを拒否する親の親権を停止して、手術を強行し、子どもの治療にあたったという出来事がありましたね。

今を生きる私たちからすると、この件の場合、親の方が、どう見ても異常ですよね。だから、よくぞ強硬手段に出て、自分勝手で非常識な親から子どもを救い出してくれたと、喝采しますよね。けれど・・・何十年か前なら、少なくても百数十年前なら、倫理的な理由から輸血を躊躇ったとしても、決して変ではない。それどころか、むしろ良識派であればあるほど、輸血を躊躇ったんじゃないでしょうか。ちょうど、今の私たちが、脳死や臓器移植、代理母やクローン技術について、慎重になるべきだと言っているように。

つまり・・・問題は、生命に対する敬意というようなことではなく・・・新しい技術に対して、我々が、どれだけ馴染んでいるかってことだけなんじゃないでしょうか。

人間の欲望をエネルギーにした科学の進歩は、良くも悪くも止められないでしょう。発明されたことは、今は駄目でも、近い将来、かならず実用化される。けっして、お蔵入りにはしておけないんでしょう・・・原爆が、そのイイ例です。常に、慎重論を引きずりながらも、人は、欲望の猛進を抑えられない・・・とするならば、「使い方注意」という枷をつけるしかないのでしょうね。どれほど有効な枷が作れるか分かりませんけれど・・・。

日本の政治家が言う「核武装に関して議論すべき」との意見に関して

2006-10-21 15:40:24 | Weblog
中川さんや、麻生さんが「日本だって核武装することについて議論していくべきだ」って言ってますが・・・もし、本気だったら、これはマズイな(^^;。だって、日本は「持とうと思ったら、いつだって持てる技術も財力もあるのに、たとえ他の国が核で武装しようと、あえて日本は核を持たない」ってことに意味があるわけだからね。

けど・・・戦略として、こういうことを仄めかすことは、悪いことじゃないと思う。武士道的美意識からすると、あまり取りたくない戦略だけど・・・現実問題として、われわれが所属している国際社会では、黙って良い事したり、だまって我慢しても、それを誰も理解しないからね。良い事をしたら「良いことしましたよ!!」って積極的にアピールしないと駄目だからね。我慢するときは「今回は我慢してやるが、これは貸しだぞ」って、恩にきせなきゃいけない世界だからね。

だから・・・「日本は、敗戦以降、平和ボケした甘ちゃんの国だから、核を持つ根性はないなんて決めてかからないでよ。よく考えてみて・・・技術的にも経済的にも、その気になったら、数年で核兵器くらい、持てちゃうんだよ。もし日本がその気になったら・・・どうなるかなぁ~、世界の構図は」って、他の国に本気で考えてもらうのは、必要なことなんだと思う。

ただ・・・その状態を引っ張りすぎると、今度は、良識ある人たちから見放されてしまう。唯一の被爆国としての、存在意味も薄らぐ。だから「日本は核を持てないなんて安心しないでよ」とガツンと主張はしておいて、そのショックが現実の警戒心や敵意に変化する前に、「持てないわけじゃないけど、あえて持たないんだよ、日本は。それが、被爆国としての日本の決意だ!!」ということを、強く伝えるべきだよね。

と、わたしは思いますが。

日本から、無理心中を無くする方法はないものか・・・

2006-10-17 22:11:33 | Weblog
16日、東京都練馬区で、無理心中らしき事件がありましたね・・・・

26歳のお母さんが、5歳の長男と、11カ月の長女を道連れに亡くなった。部屋には、そのお母さんの「疲れた。ごめんなさい」と書かれた遺書が見つかったとか。ダンナさんの話では、どうも、育児疲れだったみたい・・・。

となると、大人が社会的な問題を抱えて、子どもを道連れの心中というよりは、病気による殺人及び自殺ということかもしれない。特に、彼女からすると、自らを苦しめているものが子どもたちだったわけだから・・・

けど、いわゆる一家無理心中・・・つまり、親たちが、自分たちの事情で死のうとするときに、子どもを残すのが不憫だからと、道連れにするのは、日本に独特な現象だといいますよね。少なくても、欧米では、あまりないことだって。それが、データとして正しいのかどうかわからないけど・・・たしかに、日本人の場合、親が経済的に追い詰められて、死のうとするような場合、子どもを道連れにすることが多い気はしますよね。

わたしも日本人ですが・・・たしかに、心情的には理解できますね。自分ですら生きられない過酷な状況の中に、子どもたちを残して行くなんて、そんな酷いことは出来ないって思うような気がします。けど・・・子どもを殺すってのも・・・う~ん・・・だから、結局は、どんなに辛くても、子どもたちが居る限り、生きなきゃ仕方ないって結論になりますね・・・平穏な時だからこそ言える事かもしれないですが。

けど・・・時々、聞くじゃないですか・・・子どもを連れて死のうと思って、海の傍、あるいは川の傍まできた時、子どもが「お母ちゃん、お腹すいた」とか「寒いよ、帰ろう」なんて言うのを聞いて、死ねなかったとかって。それが、すごく日本人的心情&行動のような気がします。

だから・・・本当に、子どもを道連れに死ぬところまで行く人たちは、今回の事件のお母さん同様・・・もう、心が壊れてしまったんだろうなと思いました。壊れてしまった心は、本人では、治せないですからね・・・

子どもという存在は、本当に、親にとって最後のツッカエ棒のような存在で・・・子どもがいなければ耐えられないことでも、子どもがいるから頑張れるし耐え切れるものなんですよね。でも、そんな子どもの存在が、親を、特に母親を追い詰めることがある。それは、本当に、病気だから・・・周りの人は、なんとか病院に連れて行って、プロの力を借りて、周りの人たち皆で、支えてあげべきなんですけど・・・女の人が、子どもを産むなんて当たり前のことで、育児なんで、誰でもしていることで・・・それを疲れただとか、しんどいだとか言っても、なかなか理解されない傾向があるのかな・・・

と、亡くなったお母さんに同情する点は、多々あるとは思うんだけど・・・それ以上に不憫なのは、やっぱり、幼くして命を奪われてしまった子どもたちですよね・・・

太平洋戦争に突入した頃の日本と、今の北朝鮮と・・・

2006-10-16 17:23:30 | Weblog
国連の決議に対して、受け入れられないと席を立つ北朝鮮の国連大使の姿に、太平洋戦争に雪崩れ込んでいく前の日本を思い浮かべる人は少なくないんじゃないかと思います。

でも、そういう人たちの中にも「とはいっても、金正日総書記と昭和天皇では、人柄から何から、まったく違う」と思う人は多いんじゃないかと・・・かくいう私も、その1人です。

でも、実際は、何一つ、直接に見聞きしたことからのイメージではないんですよね。北朝鮮の国連大使が席をたつ映像はニュースで見ましたし、同じように日本の外交官が国連で席をたつ映像はドキュメンタリー報道などて見た覚えがありますが・・・ただ、それだけでは、確たるイメージも作り上げられないわけで・・・わたしの中に、何かしらのイメージが出来上がっているから、両者が重なって見えたんでしょうね。

また、昭和天皇の人柄や、金正日総書記の人柄のイメージも・・・このお二人に、直接触れ合って培ったモノではないですから、結局は、作られたイメージの範囲でしかないわけですが・・・どうしても、違うと信じたいですね。

となると・・・民衆の正直な気持ちだとか、軍部の本音だとかも含めて、当時の日本のこと、とっても知りたくなりませんか? 出来るだけ美化することなく、けど、必要以上に卑下することもなく・・・できるだけ客観的な情報を知りたいと思いませんか?

日本は、この歴史から逃れたく逃れたくて仕方ないんですけど、近隣諸国との外交問題とか、正しい歴史認識うんぬんとかではなく・・・自らの知恵として、この時のデータを仕入れたいと思いませんか?

わたしは、北朝鮮の国連大使の後姿を見ながら、ふと、そんなことを思いました。

高田&向井ご夫妻の赤ちゃんは、誰の子なのか

2006-10-09 15:55:17 | Weblog
少し前になりますが・・・どこかの高裁が「高田・向井ご夫妻が、海外で代理母に産んでもらった赤ちゃんは、ご夫妻のお子さん」と認め、役所に、ご夫妻が提出した出産届けを受理するようにという判決が出て・・・その後、議論になってますよね。

問題は「分娩の母が法律上の母である」と決めている、その法律の意図ですよね。なぜ、そう決めたのか。それには、きっと理由がある。その理由が、今の世の中でも妥当なら、法律自体も妥当ということでしょう。

素人で思いつく理由と言ったら・・・財産権の問題でしょうかね。法律上、親となり子となった間柄には、相続権が生じるわけで・・・法律は、こういう権利問題に対して真剣ですから、この財産に関する権利の問題をクリアーにするために「分娩の母が法律上の母である」と決めたと。

けど・・・そうだとしたら、代理母に産んでもらった子どもは、代理母の子どもであるより、むしろ遺伝子上の母にした方が、財産に関する権利の問題は、スッキリしますよね。代理母の子どもにしてしまった方が、むしろ問題はヤヤコシクナル。

じゃぁ、他に何か、妥当な理由があるかしら・・・・ふうむ、素人では、思いつかないな。

母親の子どもに対する心情を汲むってことなら、ある程度は理解できますよ。十ヶ月お腹で育てて、苦痛の中で危険をおかして分娩して・・・それで、母親じゃないと言われると、分娩の母は悲しい・・・みたいなことはね。でも、法律が、そういうところの心情を汲んでくれてるとは、とても思えないし・・・代理母を引き受けた人は、そういうところは納得して引き受けたのだろうから・・・いざ、子どもの顔をみれば、愛情が湧いてしまうことはあるかもしれないけど、むしろ、その感情を抑えるように諭すべきですよね。

それに、そういう親の苦労を法律が汲むというなら、分娩の母親より、育ての母親こそ、本当の母ってことになるでしょ。産むより、育てるほうが、はるかに苦労ですもん。でも、そういうことは、まったく考慮してくれないでしょ、法律は。だとすると、とてもじゃないけど、代理母になった女性の気持ちを大切にして基準を決めてるとは考えられないですよね。

となると、あと考えられるのは、代理母出産に対して否定的な立場から、制裁的に認めないってことがありえますね。「代理母頼んでまで産むなんて、駄目だっ!! 駄目だといっているのに、無理やり強行しても、法律で認めてやらないぞ」みたいなね。これは、ちょっと有り得ますかね。

あとは、もう、単純に「ルールがあるから、それに外れたものは認めません」ってことかな。ああ~、これが一番、可能性がありそう(爆)。

思うにね・・・産まれてきた子どもが、幸せになるためには、何が一番いいかってことじゃないでしょうか。それを考えると、一番生まれてくることを望んでくれている人たち、つまり、代理母に頼んでまで、その子の誕生を望んだ遺伝子上の両親の子どもになることじゃないですかね。と、わたしは思いますけど。

これだけ、医療科学が進んできていますから・・・この際、親に種別をつけるなんてのはどうですかね。「甲種母」は、卵子提供者。ということは「甲種父」は、精子提供者になりますね。で「乙種母」は、分娩の母。ということは「乙種父」は無いってことですか。で「丙種母父」は、育ての母と父。あと、養子縁組などもありますから「別種父母」として、法律上の親・・・みたいな(^^;。どの種別の親でも、子どもに対して、それぞれある程度の義務を負うように規定するとかして、どんな特殊な産まれ方をした子どもでも、決して宙ぶらりんにならないように、なんとかして欲しいですよね。

とにかくね・・・権利とか資格問題より、「親になりたい。この子の成長に対して責任を負いたい。この子を、親として愛したい」と思っている人の元で、子どもが幸せに育てるようにサポートする法律であって欲しいですよね。産みっぱなし、産ませっぱなしは駄目ですよ、絶対に。

猟奇的事件に興味が集まるのは何故

2006-10-07 14:37:20 | Weblog
長野県で、男女3人の方たちが、頭部に鉄製のくいを打ち込まれて殺害されているのが発見された事件が起こりましたね。

亡くなったのは、48歳の会社員の男性と、高校3年生のお嬢さんと、現在行方不明になっている奥さんの78歳になるお母さん。うちと、そんなに違わない年齢構成のお宅です。

三人の頭に刺さっていた杭は、長さが約20センチ。ロープ止め用の金具だそうです。犯人は、木製のハンマーを使って、被害者の頭に、その杭を打ちこんだんじゃないかと。被害者の三人に、抵抗した形跡がないということだから、たぶん眠るなどして動けない状態の時に襲われたんだろうと、警察は見ているようです。

行方不明の奥さんは、精神的に不安定だったらしく、自宅には複数の薬があったとか。また、近所の人の話では、奥さん自身が「体調が悪い。暑さ寒さが分からず、食べ物をのみ込んだのかどうかも分からない。何もできない。赤ちゃんみたいだ」と言っていたらしくて・・・どうも、こういう報道から推測すると、この奥さんが第一容疑者なのかな。

けど・・・いくら情緒不安定だったとしても、家族の頭に、金属の杭を打ち込んで死亡させるって・・・尋常じゃないですよね。かなり、猟奇的ですよね。なんだか、ニュースを聞いて、鳥肌がたつ思いがしたんですけど・・・この、わたしの反応って、何なんだろうとも思います。

殺人ってことが、すでにショックなニュースでしょ。けど、その殺し方というのに、異様に反応している、この私の感性って何?と、思うんですよ。犯人は確かに猟奇的ですが、この私の感性も、プチ猟奇的ではないのか。それとも、これが一般的な反応なのか。みなさんは、どうですか? この殺人事件と、他の殺人事件、何か違って感じますか? 違うとしたら、いったいどんな風に違いますか? まったく、人の心とは、深い謎です。

臓器売買事件

2006-10-03 21:11:52 | Weblog
愛媛県で、売買された臓器でもって生体腎移植の手術が行われた事件がありましたが・・・生きる為に臓器が欲しいという気持ちは、十分に理解できるにしろ・・・売買ってことになると、人身売買的な犯罪は絶対に出てきてしまうでしょうね。これは、絶対に阻止したいですね。

先日、ドキュメンタリー番組で見たんですけど・・・法的に許される身内間での生体移植でも、後々いろいろ問題があるようですよ。臓器を上げた側と、もらった側・・・人間関係が対等でいられなくなることが多いって。

やっぱり、臓器移植って・・・問題があるのかも。

わたしは、まだ、実際に自分の死と言うものに、リアルに直面したことがないので、本当に自分が死を前にした時、どんな風に考えるかとか、どんな風に行動するかとかは、正直分からないんですが・・・最近は「生きることに執着しろよ」と自分に対して叱咤激励しています。

以前は、本当に、生きることに淡白だったんですが・・・今は、その頃の自分を、ひどく独りよがりで、しかも世間知らずだったと思うようになっているんですよね。だから、今は、出来るだけ生きることに執着できる人間でありたいと思っています。

そういう意味では、他の人を傷つけずに出来ることがあるなら、なんでもしなくてはいけない・・・なんでもしたいではなく、しなくてはいけないと思うんですが・・・他の人を傷つけずにというのが、非常に微妙ですよね。納得して自分の臓器を提供するといってくれている人からの生体移植でも、脳死した人からの移植でも・・・本当に、誰も傷つけていないかなと考え始めると、納得できる答えは出ない気がします。

それに・・・こういう話題の時には、いつも言っていますが・・・移植を必要としているのが我が子ということになれば・・・わたしは、鬼にも蛇にもなりますし、悪魔が魂をよこせというなら、喜んで差し出してしまうし・・・そういう「大切な人」の命を救いたいってことになると、人は普通ではいられなくなりますし・・・そんな気持ちを、臓器移植の可能性は、弄んでいるかもとも思ったりします。

とはいっても・・・やっぱり、生きることに執着するって、大切なことのように思います。潔くというと聞こえはいいですけど・・・簡単に、生きることを諦めるのは、自分を大切に思ってくれている人たちに対して、何よりも申し訳ないことですからね。ふうむ・・・医学の発達って、産まれる時にも、死ぬときにも、いろんな可能性を創り出してくれるから・・・有難いような、迷惑なような(爆)・・・でも、迷いながらも進まずにいられないのが人間ですから・・・臓器移植は、盛んになっていくんでしょうけど・・・とにかく、人身売買的な臓器売買は、厳しく取り締まって欲しいです、はい。