ニュース雑記帳

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JR福知山線脱線衝突事故、から一年

2006-04-25 16:54:15 | Weblog
う~ん・・・この事故に関しては、ものすごくコメントが難しい。事故の当事者ではないし、私自身が親しくしている人に被害があったわけではないのだけれど、かといって客観視できるほど遠くの事だとは思えない環境で・・・距離を置いた冷静な言葉も出てこなければ、渦中の人の痛みを伝えられるような立場にもなくて・・・この中途半端感が、この事故に対するコメントを拒ませている。

それで、オウムの地下鉄サリン事件の後、東京在住の友人たちに感じた微妙な恐怖感や喪失感みたいなものが、やっと少し理解できた気がする。彼らも、わたし同様、あの事件に直接巻き込まれたわけではなかったけれど・・・何か、普通ではいられないものがあったようだった。

福知山線は、わたしたちの住んでいる地域から大阪・京都方面に行く為には欠かせない路線で・・・だから、被害者の方たちの住所を見ると、ほとんどが馴染みのあるものばかりで・・・事故から数日は、あっちでもこっちでも通夜や葬式に出席する黒い服の人たちをみかけた。しばらくたつと、あそこの奥さんが亡くなったらしいよ、あちらは息子さんだって・・・と、具体的な情報も耳に入るようになって、時間と共に、事故が身近に迫ってきた感じがしたのを覚えている。

この事故では、時間帯のせいだろう、大学生が多く被害にあった。息子の友人もまた、この事故で亡くなった。高校時代の同級生の女の子も酷い怪我をしたらしい。みんな、大学一年生の歳だった。息子の関係では、友だちのお母さんも亡くなっている・・・そういえば、年配の女性も、多く被害に合われている。

娘は、この事故の時、福知山線のライン上にいた。わたしが、最寄のJRの駅(福知山線)まで送っていってから十分くらいたった時だったと思う。娘から「電車が止まっちゃったんだけど」と電話があった。それで、わたしがラジオを付けてみると、ちょうど事故の第一報が流れた。踏み切りで衝突事故・・・たしか、最初は、そう報道されたと思う。わたしは、娘に電話をし「なんか、事故みたい。しばらく待ったら動くんじゃない?」と気楽にそう伝えた。が、それから次々に事故情報が入り、事故の様子は、その度に悲惨にものになっていった。わたしが、改めて娘に電話すると、娘は開口一番「なんか、友だちから次々とメールがくるねん。みんな、大丈夫かっ!!って言ってくるけど・・・」と不審そうにたずねた。「なんかね・・・ものすご事故みたい。電車は、とうぶん動かへんと思うけど・・・なんとかなる?」「他の乗客の人たちは、みんな、歩いて宝塚駅まで行くって言ってはる。そこから阪急に乗り換えて、学校に行くわ。この靴で、宝塚まではキツイわぁ」彼女は、事故の重大さを、ほとんど知らずに学校へ行ったんだろう。

わたしはといえば、外での用事をすませ、家に帰ってからは、テレビ画面に釘付けになっていた。被害者の中に、知人がいても決して不思議ではない状況だったので、次々と発表される名前をビクビクしながら見ていた。知らない名前でも、歳が18歳だとか、二十歳だと書いてあれば、子どもたちの知り合いかも・・・と思って、心臓が縮む思いをした。ほとんどの人の住所は、景色まで思い浮かぶほど身近なものだったし・・・泣くとか悲しむより、怖いという気持ちばかりが先にたっていた気がする。

けれど、わたしが、この時、一番強く思っていたことは・・・「良かった」ということだった。娘が、あの電車に乗っていなくて良かった。亡くなったのが、息子じゃなくて良かった。信じられない酷いエゴイズムだと思いつつ、そう思わずにいられなかった。そう思った自分が、今でも恥ずかしいし、許せないと思うけれど、それが、あの時の一番正直な気持ちだった。

だから、この福知山線の事故に関する報道を見るたびに、「もし、うちの子だったら・・・」という想像が、あまりにもリアルで、どうしても貰い泣きをしてしまう
のだが、同時にそう思っている自分の他人事さ加減に腹が立っている。「もし、うちの子だったら」は、要するに「うちの子ではなかった」ということで・・・こんな私には、我が子を失った人の為に泣く資格などあるはずがない。

とにかく・・・どうしたって、その傷は癒えることはない。大切な人を失った傷がふさがることなどない。逆縁で去る者は、残した人の中から、一番大切なものを一緒に持っていってしまう・・・と思う。わたしなどに、この事故に対する言葉は、吐く資格がないのだ。