ニュース雑記帳

日々のニュースからテーマを拾い雑考してます

岐阜の中二少女殺害事件

2006-04-22 12:09:00 | Weblog
岐阜県中津川市の空き店舗で、中学二年(13歳)の少女の遺体が見つかったというニュースから一日たち、殺害犯として高校一年生・15歳の少年が逮捕されたという発表があった。

で、この事件なのだけれど・・・少女の遺体が発見された際の報道から、視聴者には漠然と犯人のイメージが出来上がってはいなかっただろうか。そして、たぶん逮捕は近いだろうと、そんな印象を抱かなかっただろうか。

ちなみに、わたしは決して推理力のある方ではないが、そんなわたしでも、遺体の状態に関する報道のニュアンスとか、友人知人に彼女の日ごろの行動についてインタビューした内容の放送などを見ていて、「これは偶発的な事件で、犯人は彼女が親しくしていたという先輩の中でも特に距離が近かった男の子じゃないかなぁ~。だとしたら、捕まるのは時間の問題だな」と思った。

警察や報道機関が手にしている情報の全てが公開されるわけではないし、我々が知らされることには制限も偏りもあるが、その範囲内で、視聴者はついつい無意識に探偵になる。そして、自分なりの事実の探求というのを行ってしまう。けれど、今回の事件のように明確な犯人像にたどり着くことは、ほとんどない。

それなのに、どうして今回の事件は、こうも簡単にイメージが作りあげられ、しかもその通りの展開になったのだろう。単純に公開可能な情報が多かったからだろうか。それとも、かなりステレオタイプな事件だったということだろうか。あるいは各報道機関の誘導が適切だったからだろうか。

もし、報道機関の誘導が図に当たったということなら・・・逆に報道機関の予測が大はずれだったときの危険性を考えて、わたしはブルッと身震いしてしまった。いや、それだけじゃない・・・予測が当たったと思っているこの事件に関しても、間違った思い込みを、そこここで犯しているのかもしれない。全部が間違いじゃないにしろ、おおむね正解だという安心感に阻害されて、小さな間違いが見過ごされている可能性は大だ。だとすると、とても怖ろしいことだ。

事件の捜査や解明、そして裁き等がナイガシロにされてはならないのは当然のことだが、それに関する報道や、その報道を見る我々の眼にも、注意すべき点が多々あると指摘され気がする事件だなぁ。