ニュース雑記帳

日々のニュースからテーマを拾い雑考してます

NHK、番組再放送にあたり、少女の殺人シーンを修正して放送

2006-08-31 17:20:08 | Weblog
97年に制作・放送した『鏡は眠らない(全五話)』を再放送していたNHKが、昨日放送予定だった第三話の少女による殺人シーンが「今の感覚で見るとリアルすぎる」からと放送を中止し、問題のシーンを修正して今日に放送することにしたというニュースを見ましたが・・・これって、どうなんでしょう。必要な処置なんでしょうか。ちなみに、四話の殺人シーンも、同じ理由で修正して放送するそうですが・・・それって、適切な処置なんでしょうか。

北野たけし監督が、以前「俺の映画の暴力シーンには、ちゃんと痛みがある」と仰っていたと記憶しています。暴力とは痛いものなのだ・・・それが伝わらない暴力シーンは、むしろ危険だと、北野さんは仰っていたように、わたしは受け取ったのですが・・・そういう視点から見ると、NHKの処置は、むしろ不適切だったように思えます。

ずいぶん前ですが、子どもたちに、我々は命を食べているのだということを理解させる為に、牛だったか豚だったかの解体を体験させた小学校の先生が、やり過ぎたと非難されたことがあったと思いますが・・・その時は、わたしも、それは少し刺激が強すぎるでしょうと思いました。後に、うちの子ども達が、中学校で解体済みの豚の内臓を解剖するという授業を受けていましたけど、その程度で十分ではないかと思います。

とすると・・・『鏡は眠らない』の殺人シーンもまた、牛の解体を実経験するほどに刺激的だということなんでしょうか・・・実際に、そのシーンを見たわけではないのですけど、なんとなく過保護な判断だった気はします。

わたし自身が、子どもにとって何が一番好ましいことか・・・自信をもって、こうだと言える基準を持っているわけではないので、NHKの処置を頭から非難することも出来ないとは思っています。もしかしたら、出来るだけ子どもたちには暴力的なものを見せない方がいいのかもしれない・・・う~ん。けど、やっぱり・・・現実に在ることなのに、まるで無い事のように、子どもたちの目から汚いものや怖いもの悪いものを隠すっていうのは・・・やっぱり、適当ではない気がします。そういうものが現実にあることを知らしめて、その上で、自分の内側にあるそういうもの、自分の外側から襲ってくるそういうものに、どう対応していくのかということを学ばせるのが大人のすべきことのような気がします。そんなことはないでしょうか?

江川紹子さん、松本智津夫被告の四女の後見人申請

2006-08-29 16:26:42 | Weblog
オウム真理教の麻原彰晃(本名:松本智津夫)被告の四番目のお嬢さんが、オウムともオウムの世話をうけて生活している家族とも袂を分かち、自立したいから力を貸してもらえないかと、オウム問題の報道で有名なジャーナリストの江川紹子さんに相談し、江川さんは彼女の後見人になることを決心されたとか・・・

われわれに伝えられる情報での印象では、このお嬢さんは、まだ17歳だというのに、とてもシッカリした考えをもってるし、それを行動に移しているし、是非とも力を貸してあげて欲しいとは思うけれど・・・人一人の人生を預かるって、かなり覚悟がいることだよなぁ。

もちろん、お嬢さんは、江川さんに寄りかかりたいと思っているわけではなくって・・・父親たちが、あれほどの犯罪を引き起こしているにも関わらず、未だに信者さんたちからの献金で自分たちが贅沢な暮らしをするのは間違っているという考えで家を出たものの、17歳という年齢では、働くにしても部屋を借りるにしても後見人の承諾や保証がが必要で・・・それを、父親の弁護人であり、家族とも親しくしている今の後見人に頼むのは嫌なので別の人に・・・ということのようだから、精神的にも、経済的にも、江川さんに大きな負担をかけるつもりはないだろう。

けれど、江川さんからすれば、オウム側からも、オウムを非難する人たち側からも恨みをかう恐れもあるわけだし・・・口さがない人たちに、売名行為だと言われるかもしれないし・・・かなりリスクは大きいと思うし・・・

それに、やっぱり、このお嬢さんの人生に対して、彼女に対しても世間に対しても責任を背負っちゃったことに間違いないと思うから・・・荷も気も重い話だと思うなぁ。「リスクがあるかないかわからないことを、他人に頼むのは嫌だったから、自分で引き受けることにしました」と仰った江川さんの言葉から、はっきりとリスクを覚悟している様子が見て取れたしね。

他人の人生に深く関わっていくって、それが血の繋がった我が子でも、なかなか重いことでしょ。なのにね・・・ほんと、大変だ。

けど、お嬢さんの方も、なんの因果か、とんでもない重荷を背負わされているわけだから、それを一人で背負えというのも、酷なことだものね・・・誰かが、それもオウムの外の誰かが、彼女を支えてあげないといけないとは思う。そうなると、江川さんは、まさに適任者なのかもしれないけど・・・・こういう意見って、他人事だから言えることだよね。

でも、誰でも人は、それぞれに自分の親を背負い、自分の子を背負っているわけで・・・それを背負いきらないと、自らも自立もないわけで・・・お嬢さんには、是非とも頑張って生きて欲しい。また、本当に大変だと思うけど、江川さんにもヨロシクお願いしたい。なんていっても、ほんと、空々しい言葉にしかならないんだけどね・・・。

冥王星の気持ち

2006-08-27 15:35:51 | Weblog
「惑星の数が増えるそうだ。覚えるのが大変だ」などと言っていたら、なんと逆に一つ減ることになった・・・なんとなぁ(^^;。

この件で、わたし自身も使った言葉だが、惑星に「昇格」するとか「降格」するとか・・・でも、惑星ってのは、はたしてそんなに立派な位なんだろうか。惑星だと、いったいどんな得があるんだろう。惑星じゃなくなったら、何か損なことがあるんだろうか。

確実に、冥王星自身には、なんの影響もないだろうな。人間どもが、自分のことを惑星だと言おうが、そうじゃないと言おうが、冥王星は痛くも痒くもないどころか、何も思わないだろう。人間どもは「惑星が一つ消える」なんて言っているが、発見される、ずっと前から冥王星は存在していたし、惑星でなくなっても、まったく変わらず存在し続けている。

つまり、世の中が押し付けてくる分類なんて、本人にとっては、どうでもいいことなんだよね。どんなグループに組み込まれようと、どんな名前で呼ばれようと、あるいは存在それ自体を認知されようと認知されまいと、そんなことは我が存在や我が本質と、何も関わりのないことだってことだもんな。

もちろん、その世の中って奴の中で、他と関わりを持ちたいとか、地位を築きたいと思うなら、そんなことも言ってられないけどね。だから、人間は、冥王星のように、飄々と存在し続けるなんてまねは、なかなか出来ないんだけどね。

無資格ヘルパー派遣、看護師&準看護師の助産業務指示

2006-08-25 17:41:10 | Weblog
先日、無資格ヘルパーをヘルパーとして派遣し、摘発をうけた社会福祉法人(?)がありましたね。

今度は、看護師や準看護師に助産婦の仕事をさせたと有名産院が摘発されていました。

たしかに、無資格の人を派遣して、それで介護保険から支払いをうけるというのは、ルール違反ですし、看護師や準看護師といえど助産婦の資格のないに、妊婦の内診をさせるのも違法でしょう。

ただし、背後に見える、両者に共通する問題点・・・つまり「慢性的な人手不足」ということは、彼らの犯した罪と、それに見合う罰の問題とは別に、緊急かつ真剣に論じられなければならないと思いますよ。でなければ、同じことが、またどこかで起こると思います。

たとえば、ヘルパーの仕事は、相当な訓練と知識がないと決して出来ないというような仕事ではないのですよ。特に、仕事内容を体に触れないで主に家事をする「生活援助」に限れば、下手なヘルパーさんより、ベテラン主婦の方が巧く出来るかもしれません。また、体に触れる「身体介護」の仕事にしても、家族に体の不自由な人がいて世話をした経験のある人なら、新米ヘルパーより、よほど的確な介護が出来るかもしれません。

看護婦さんと、助産婦さんの違いと言うのは、わたしにはよく分かりませんが、両者の間の違いと言うのは、気が好く気も利く家事上手の主婦と資格のあるヘルパーの違い程度・・・つまり、あともう少し専門的な知識をプラスすれば追いつけるくらいの差なのではないでしょうか。

だとしたら・・・今回、摘発をうけた病院や法人のように大きな組織なら、資格取得の為の費用を組織が負担するとか、研修の為の有給休暇を取りやすくすることによって、現スタッフの中から有資格者を増やすような努力が出来たのではないでしょうか。

また、それを行政側から支援する方法として、仕事を休んで講習を受けにいかなくても、現場何年以上のベテラン助産婦や、ベテランヘルパーに付いて、何時間以上の助手体験があれば、ペーパーテストで資格を得られるようにするというような便宜は図れないものでしょうか。

とにかく、なんとか、質の良い助産婦さんや、質の良いヘルパーさんを育成できなきゃ、同じようなことは、これからも起こると思います。だから、単純にルールを破った者を罰すれば終わりということじゃなく、それとは別に、根本的な対策を講じていくべきなのじゃないでしょうか。わたしは、そう考えますけど。

子猫殺しの是非

2006-08-24 14:10:07 | Weblog
直木賞作家でタヒチ在住の坂東眞砂子さんが、日本経済新聞18日付夕刊15面の「プロムナード」に寄稿した「子猫殺し」というエッセイが物議を醸しているようだ。

なんでも坂東さんは、自分が飼っている猫が産んだ子猫を、野良猫対策として殺しているらしい。子猫を殺すぐらいなら、最初から親猫に避妊手術をしておけばいいのに・・・と、考える人は多いと思うが、彼女は、それでは愛猫の性の充実を邪魔すると考えと言う。彼女にとっては、避妊手術も生まれてすぐの子猫を殺すことも同じことらしいが、そうは思えない人も多いだろう。わたしも、思えない一人だ。

彼女の「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない」という主張は、とてもよく理解できる。けれど、彼女自身も言っているように「生まれた子を殺す権利もない」わけだ。なら、彼女が選択すべき道は、生き物を飼わないことか、あるいは生まれてくる子どもたちの引き取り手を見つけることであって、生まれた子猫を自宅隣の崖下に放り投げることではないと思う。

ご自身では「殺しの痛み、悲しみも引き受けて」の行為であると仰っているが・・・それが、わたしには、とても傲慢な言い様に感じられて、正直、嫌な気がした。坂東さんとしては、何かに一石投じたい思いがお在りになったのかもしれないが、彼女が言う『生』とか『死』ということが、どうも心に響いてこない。

『命』というところから、今の社会の「ペット問題」を論じる切っ掛けとして、子猫殺しを選んだのだとしたら、目的には賛同できても、方法には賛成できないし・・・さっきも言ったように、どうも後付の弁解、もしくは詭弁に思える。

いっそ、もっと単純に「飼い育てている我が猫は超~可愛いから、避妊なんか可哀想で出来ない。けど、猫が増えすぎても面倒で世話できないし、引き取り手を探すのも大変だし、そのまま放っておいたら苦情がきそうだし・・・どうせ、生まれたての子猫には愛着もないんだから、チクッと良心は痛むけど、投げ殺しちゃいました」って言ってしまえばどうなんだろうとすら思う。

なんだかなぁ・・・とっても、居心地の悪いニュースだなぁ~と思っている。

暴力団と警察官の関係って

2006-08-21 18:12:04 | Weblog
大阪拘置所の刑務官が、収容中の山口組系暴力団組長に便宜を図って、お金を受け取ったり、旅行の世話を受けたという事件がありましたが・・・

暴力団に所属する人たちと、警察に所属する方たちは、生活している世界に重なりがあるんですよね。一般人に分類される私たちの場合、具体的な感情を抱くほど近い距離で、彼らに接触することはないですから、暴力団員といったら、まとめて一つの「暴力団員」というイメージしか抱けないでしょ。けど、警察に努める人たちには、同じ暴力団の構成員といっても、一人一人別の個性をもった人たちとして・・・つまり、暴力団員といえど、ちゃんと一個の人間として見えるだろうなと思うんです。

だって、警察の方たち、特に暴力団を対象にした操作をする人たちは、彼らの事を知らなければ仕事にならないわけで・・・好きじゃないにしろ、仲良くならないにしろ、距離が近くなってしまうのは仕方ないことですよね。

となると・・・つまり、生身の人間が生身の人間に近づくと、理屈で割り切れない感情も生まれ得るわけで・・・もしかしたら、彼らの間には、私たち一般人には分からない種類の感情の行き来があったりするのかなと思ったわけです。

癒着ということじゃないんですよ。そういうことも起こりうるかもしれないけど、激しい憎悪が行き交うのかもしれないし・・・とにかく、我々には分からない関わりっていうのがあったりするのかなと・・・

大阪拘置所の事件の当事者たちの間の感情がドウだったかも分かりませんけどね。

イスラエル・レバノン、やっと停戦

2006-08-14 23:21:22 | Weblog
やっと停戦合意に辿りつきましたね。イスラエルとレバノン。とはいっても、全く解決した感はありませんけど・・・っていうか、あの地域で「解決」なんか有り得るんだろうかと思ってしまう。それでも、たとえ束の間でも、戦闘や爆撃がないにこしたことはないです。だって、そこには人々の生活があるんだもん。

それにしても・・・国連運営って、大変だろうな。今更って言われるだろうけど、公平な立場で、しかも真剣に問題に取り組もうとする国なんて、ないみたい。

自分に関わりのある問題には、どの国も必死になる。たとえば、北朝鮮問題が議論される時には、日本は必死になったでしょ。けれど、今回のことになると、まるで他人事。なら、せめて中立でいられるかといったら・・・北朝鮮問題だけでなく、いろんなことでアメリカに助けてもらいたい日本としては、アメリカ寄りの立場しかとれないわけでしょ。でもって、アメリカは、完全にイスラエルに寄ってる。

結局、各国が、自分の利害の計算に明け暮れつつ、片手間に平和を謳う場所が国連なのかと思っちゃう。それでも、そんな国連でも、無ければ、世界はもっと酷いことになるのだと思う。国連は国連なりに、必死に頑張っているのだと思う。本当に大変・・・。

素人目からみると、常任理事国の持っている拒否権なんて、ほんとバカバカしいものに思えるけど、あれがなければ、常任理事国の国々は、自分たちの望まぬ決議が出たとき「じゃぁ、国連なんか止めるしぃ~」と居直ってしまって、国連が崩れてしまうんだろうな・・・まったく、どうしようもないや。

とにかく、ベストに出来なくても、よりベターを目指して、地道に頑張るしかないんだろうな。ただ、誰が頑張るのか・・・超国家的&超民族的思考の出来る人を、一人でも多く育てていくしかないよね・・・と思うわけなのでありました。

教祖に女性を斡旋する『摂理』幹部の心理

2006-08-12 22:20:20 | Weblog
最近のニュースで、「分からんなぁ~」と思ったのは、カルト集団と言われている『摂理』の、日本最高幹部姉妹の心だ。彼女たちは、教祖に女性たちを斡旋して、いったい何を得ていたのだろう。

彼女たちが男性だとしたら、教祖のオコボレを頂戴する旨みがあったのかなと思うけど・・・同じ女性の身で、この行動って、どうなんだろう・・・屈辱的ではないのだろうか。むしろ、自分たちは、教祖の性的生贄とは格の違う、より高級な生き物だというプライドをくすぐられたのだろうか。それとも、最初は辛く感じたとしても、金銭的欲望や権力欲を満たすために、女性としての自尊心は押さえ込んでしまったのだろうか。

そもそも、彼女たちにとって、教祖は、どういう存在の人なのだろう。

もし「付いて行けば美味しい思いが出来そうな利用価値のある人」ということなら、教祖が喜ぶ玩具やお菓子をあてがって機嫌よくさせておこうとするのは、理解できないことはない。

けれど、もし本気で尊敬する気持ちがあって付いていっていたのなら、女性の斡旋は、同じ女性の立場として、辛い仕事のような気がする。たとえ、差し出される女性たちが、自分たちとは違うタダの慰み者だと分かっていても、それはとても辛いことのような気がする。つまり、敬愛する人が、自分ではない女性たちを相手にしていることに、嫉妬を感じずにはいられない気がする。

ふうむ・・・カルトの内部って、そういう感情もなくなってしまう世界なのかなぁ。

岐阜県の裏金500万円、焼却事件

2006-08-10 20:01:34 | Weblog
ここのところ、連日の話題の事件ですから、みなさん、よくご存知だと思いますが・・・地方自治体である岐阜県が、中央接待の為の費用として、こっそりプールしていた裏金の処分に困って、よりにもよって燃やしちゃったらしいと・・・なんともビックリなニュースが飛び出してきたわけです。

とにかく、許しがたいトンデモナイ行為なんですが・・・一つ、良い事が見えましたよね。慌てて裏金を処分しなくちゃいけなかったということは、だんだん、そういう不正行為が出来難い仕組みになってきているってことですから、それは良い傾向でしょう。ということは、岐阜県だけじゃなく、あちこちで同様のことが判明するかもしれませんが・・・驚いたり怒ったりするだけでなく、これをチャンスと捕らえて、どんどん今までの膿を出し切りましょうよ、ね。

それにしても、面白いなあと思ったのは・・・人は焦ると、本当にモノが見えなくなるんだなということです。目の前の危機から逃れるのに必死で、その先に何が待っているかが全く見えなくなるんですね。裏金が発覚したら大変だと思うあまり、それを燃やして無くしてしまおうとするなんて、大の大人の考えることじゃないですけど、それほど焦っていたんでしょうね。

私のような小者には、そんな大きな不正は、度胸がなくてとても出来そうにないですが、小さな不正なら日々に重ねて暮らしているわけで・・・それがバレそうになったら、当然のことながらジタバタと悪あがきして隠そうとしますが、それでも諦め時ってのはあるわけです。お金を燃してしまうなんてのは、ほんとうに子どもみたいな往生際の悪さで、さすがの私でもしないと思いますよ。

社会が成熟していなけりゃ、政治家や公務員も成熟していない・・・と、悪さまで成熟しないんですね。なんだか、お笑いって感じです。が、とにかく、本当に、これは良い機会ですから、これを期に、悪いところをドンドン改めていきましょうよ。悪いところがあるのは仕方ないことだけど、それを改めていかなきゃ、悪さはドンドン成長しますからね。頑張りましょう。

長野県知事選、田中康夫さん、惨敗

2006-08-07 18:04:56 | Weblog
田中康夫さん、長野県知事選で、負けてしまいましたね。しかも、かなりの大差で・・・ちょっと意外だったかなぁ。接戦って予想でしたもんね。

対抗馬の村井さんが、国政で防災を担当したこともある方で・・・田中さんは、脱ダムがウリの知事さんで・・・ちょうど、治水関係でトラブルが起こった時期だったというのが「天が村井さんに味方した結果」と言われる所以のようですが・・・そういうことなのかな。そうだとしたら、田中さんは不運だったとしか言いようがないけど・・・運も実力の内ってことかな。

けれど・・・田中さんの「キャラの威力」の有効期限が切れたってことかも・・・と思ったりもします。

わたしは、地方自治のこととかはよく分からないけど・・・田中さんは、決してキャラだけで大衆受けしたタレント知事ではなく、政治家としての手腕も無くはなかったという話ですよね。政治家的にも、素人から見て、どうなのかなぁ~と思うような発言がないでもなかったけど・・・脱ダムの考え方には賛成できるし、赤字財政の建て直しも、しっかりしてたんですよね。

けど、長野県という土地に根付いたイメージはなかったし、県議会は拒否反応を示していたし、最初に立候補されたときには政治手腕も未知数だったし・・・あの強烈なキャラがなければ、知事にはなれなかったかもしれない。だから、政治家としての田中さんにとって、あのキャラは、両刃の剣だったんだなぁと思うわけです。それに助けられたけど・・・今また、それに引き摺り下ろされたかなあって。つまり、あのキャラの有効期限が、これまでだったのかなって。

正直、わたしは、田中さんのあのキャラが苦手です。だから、わたしが長野県民だったら、投票の時には悩むだろうなと思います。政策や実績で判断すべきだとは分かっていても、やっぱりキャラって、心に及ぼす影響が大きいんですよね。人を外見で判断すべきじゃないと思いつつも、見える部分のイメージって無視できないですよ・・・ね。

田中さんは、こんなことでメゲナイ強さを持った方だと思うので、長野県知事ではなくなったとしても、これからも積極的に活動されていくでしょうし・・・出来るだけ、その姿を、偏見無しに見守らせていただきたいと思います・・・あまり自信はないけど、偏見無しを心がけます!!