97年に制作・放送した『鏡は眠らない(全五話)』を再放送していたNHKが、昨日放送予定だった第三話の少女による殺人シーンが「今の感覚で見るとリアルすぎる」からと放送を中止し、問題のシーンを修正して今日に放送することにしたというニュースを見ましたが・・・これって、どうなんでしょう。必要な処置なんでしょうか。ちなみに、四話の殺人シーンも、同じ理由で修正して放送するそうですが・・・それって、適切な処置なんでしょうか。
北野たけし監督が、以前「俺の映画の暴力シーンには、ちゃんと痛みがある」と仰っていたと記憶しています。暴力とは痛いものなのだ・・・それが伝わらない暴力シーンは、むしろ危険だと、北野さんは仰っていたように、わたしは受け取ったのですが・・・そういう視点から見ると、NHKの処置は、むしろ不適切だったように思えます。
ずいぶん前ですが、子どもたちに、我々は命を食べているのだということを理解させる為に、牛だったか豚だったかの解体を体験させた小学校の先生が、やり過ぎたと非難されたことがあったと思いますが・・・その時は、わたしも、それは少し刺激が強すぎるでしょうと思いました。後に、うちの子ども達が、中学校で解体済みの豚の内臓を解剖するという授業を受けていましたけど、その程度で十分ではないかと思います。
とすると・・・『鏡は眠らない』の殺人シーンもまた、牛の解体を実経験するほどに刺激的だということなんでしょうか・・・実際に、そのシーンを見たわけではないのですけど、なんとなく過保護な判断だった気はします。
わたし自身が、子どもにとって何が一番好ましいことか・・・自信をもって、こうだと言える基準を持っているわけではないので、NHKの処置を頭から非難することも出来ないとは思っています。もしかしたら、出来るだけ子どもたちには暴力的なものを見せない方がいいのかもしれない・・・う~ん。けど、やっぱり・・・現実に在ることなのに、まるで無い事のように、子どもたちの目から汚いものや怖いもの悪いものを隠すっていうのは・・・やっぱり、適当ではない気がします。そういうものが現実にあることを知らしめて、その上で、自分の内側にあるそういうもの、自分の外側から襲ってくるそういうものに、どう対応していくのかということを学ばせるのが大人のすべきことのような気がします。そんなことはないでしょうか?
北野たけし監督が、以前「俺の映画の暴力シーンには、ちゃんと痛みがある」と仰っていたと記憶しています。暴力とは痛いものなのだ・・・それが伝わらない暴力シーンは、むしろ危険だと、北野さんは仰っていたように、わたしは受け取ったのですが・・・そういう視点から見ると、NHKの処置は、むしろ不適切だったように思えます。
ずいぶん前ですが、子どもたちに、我々は命を食べているのだということを理解させる為に、牛だったか豚だったかの解体を体験させた小学校の先生が、やり過ぎたと非難されたことがあったと思いますが・・・その時は、わたしも、それは少し刺激が強すぎるでしょうと思いました。後に、うちの子ども達が、中学校で解体済みの豚の内臓を解剖するという授業を受けていましたけど、その程度で十分ではないかと思います。
とすると・・・『鏡は眠らない』の殺人シーンもまた、牛の解体を実経験するほどに刺激的だということなんでしょうか・・・実際に、そのシーンを見たわけではないのですけど、なんとなく過保護な判断だった気はします。
わたし自身が、子どもにとって何が一番好ましいことか・・・自信をもって、こうだと言える基準を持っているわけではないので、NHKの処置を頭から非難することも出来ないとは思っています。もしかしたら、出来るだけ子どもたちには暴力的なものを見せない方がいいのかもしれない・・・う~ん。けど、やっぱり・・・現実に在ることなのに、まるで無い事のように、子どもたちの目から汚いものや怖いもの悪いものを隠すっていうのは・・・やっぱり、適当ではない気がします。そういうものが現実にあることを知らしめて、その上で、自分の内側にあるそういうもの、自分の外側から襲ってくるそういうものに、どう対応していくのかということを学ばせるのが大人のすべきことのような気がします。そんなことはないでしょうか?