ニュース雑記帳

日々のニュースからテーマを拾い雑考してます

受精卵取り違え事故(事件?)に思うこと・・・

2009-02-24 16:55:43 | Weblog
このニュースを目にしてから、ずっと考え続けていたんですけど・・・なんやかやいっても、やっぱり、命って、自分のものじゃないんですよね・・・少なくても、自力で生きられるようになるまで。

中絶が認められている社会だから、それは分かっているつもりだったんですが・・・こうしてニュースで、あらためて思い知らせられると、う~ん・・・やっぱり、ちょっと考え込んじゃいます。

もちろん、他人の子どもかもしれない(いや、確定だったのかな?)命を、自分のお腹の中で育てて産んで、しかも我が子同様に愛して育てなさいなんて、誰も強要できる事じゃないから、中絶するのも、させるのもやむなしとは思うんだけど・・・なんていうかなぁ~・・・ニュースなどで、捨てられた命についてのコメントを全く目にしなかったものだから・・・それはもう今さら言うべきことじゃないのかなって・・・なんだか、ものすごく切なくなっちゃってね・・・。

もしかしたら、当事者にとって、ものすごくデリケートな問題だから、あえて触れないようにしているのかもしれなくて・・・そうだとしたら、ここでこんな風に取上げるのは、残酷な仕打ちなのかもしれないけど・・・う~ん。

ドラマなんかで見ていると、医師が「母体が危険になったら、お母さんの命を優先するので、お子さんは諦めてください」なんて説明しているシーンがあって・・・あれが、実際の医療現場を再現しているものなら、命の優先順位は、すでにある命の方が、これから産まれる命より上という判断になっているということなんだと思うんですよね。

たとえばレイプによる妊娠の場合の中絶も、そういう判断を少し押し広げたものでしょうね。レイプされ妊娠してしまった女性が、これからも生きていけるようにするには、それしかないかなと・・・そう思いますものね。

それをもっと拡大解釈していくと、低年齢者の妊娠の場合の中絶だとか、経済的理由による中絶ってことになるんでしょうか・・・たぶん、そうなのかな。わたしの場合、これらの中絶を、心から「しかたない」とは、どうしても言えない気持ちが強いんですが・・・でも、だからといって「絶対駄目です」「産みなさい」とは言えない・・・それは、やっぱり、言えないですよね。産めばいいってものじゃないのは確かだし・・・産まれること以上に、生きることは大変だから・・・う~ん、やっぱり「しかたない」のかな。

ただね・・・やっぱりね・・・今回のような事件に出会ってしまうと・・・どうしても、命が弄ばれている気分になってしまって、ものすごく切ないんですよ。一生懸命望んでくれて、精神的にも、肉体的にも、経済的にも、時には社会的にも辛い思いをしながら、この世に自分を誕生させてくれた人たちを恨む気持ちはないけど・・・でも、そうして生まれた命の側、そうして捨てられた命の側のこと・・・みんなは、どう考えているのかなぁ~とかね・・・それは、思わずに、いられなかったり、するんですよね・・・するんですよ・・・・・

「死刑をもって臨むのは重きにすぎる」ことはないでしょ

2009-02-20 23:15:59 | Weblog
一昨日のニュースでしたが・・・隣人の女性を強姦目的で拉致し、それがバレそうになったら殺害し、遺体をバラバラにしてトイレに流すなどして、ほとんど処分してしまった、かなり猟奇的な犯罪を犯した犯人に対する判決が下りましたね。

無期懲役・・・予想通りでありました。

殺害後の行動が、亡くなった女性に対してはもちろん、遺族や関係者を、ひどく傷つけるものでしたけれど・・・殺害された人数などを考えると、たぶん死刑の判決は下らないだろうなと思っていましたが・・・やっぱり、そうなりましたね。

裁判官は「検察官が死刑を求めるのも理解できないことではない」とは言ったようですが、「殺害の態様は執拗な攻撃を加えたものではないし、残虐極まりないとまではいえない。死刑を選択する基準という観点からは、被害者が命を落とした後である死体損壊などの態様を過大に評価することはできない」と、ものすごく冷静に判断したようです。

それを、間違っているとは、わたしにも言えないんですよ。ただね・・・「死刑をもって臨むのは重きにすぎる」と言われると・・・それは違うだろうって、そう思わずにいられないんですよ。事故でも過失でもなく、自分の都合で、自分の意思で、誰かの命を奪った者に足しては、「死刑をもって臨むのは重きにすぎる」ということは、ありえないですよ。

死刑をもって臨むのは当然、だって、人の命は、それほど尊びたいものだから・・・けれど、だからこそ、たとえ罰を与えるためにしても、人が人の命を奪うことは控えよう・・・奪われた命を思うと、悔しくて悲しいけれど、そうしよう・・・ってことなら、なんとか納得しようという気にもなるんですが・・・「死刑をもって臨むのは重きにすぎる」と言われてしまうと、頭は理解するんだけど、心が「それは違うだろ!」って強烈に拒否してしまいます。

藍那も裕太も、家を出て、一人で暮らし始めて・・・こういう事件が、今まで以上に、心を落ち着かなくさせます。自分が何かの事件に巻き込まれて、無念な最後をとげたとしても・・・それを「しかたない」って諦めることができる自信はありますが・・・藍那や裕太に何かあった時、犯人を許す自信など、わたしには全くありません。というより・・・無理です、その後の人生を楽しく生きることなど・・・正直、生き続けることそのものに自信がありません。わたしに限らず、親というものは、多かれ少なかれ、みなそのような気持ちでしょう。

そんな残された人の為に、社会が何が出来るか・・・その観点で法律を考えた場合・・・やはり、死刑って仕方ないのかなと思います。特に、終身刑がないのなら、仕方ないのかなと思います。

冤罪の可能性のこと、どんな理由(法による刑罰)であれ人が人の命を奪うべきではないという考え方・・・もちろん、よく分かります。けれど、私刑を許さない社会においては、残された者が納得できる処罰というのは必要でしょう。

裁判員制度において・・・こういう事件は、どう判断されるようになるんでしょうね。より感情的な判断がくだされるであろうと思う反面、自分が死刑の判決を決めるのは嫌だと言う気持ちが働くかもとも思いますし・・・難しいところですね。

わたしも、頭は「死刑は嫌」って言っています、昔も今も。けど、心は「死刑やむなし」って言います。

前科があるとかないとか、何人殺しただとか、そういうこと、殺された人にも、残された人にも、関係ないですよ。実際、一人の人が殺されたとき、死ぬのは一人じゃないですもん。少なくても、子どもを殺された親は、確実に死んだも同然ですよ。それでも、残された人たちは、生き続けていかなければならないとしたら・・・その人たちに対して、出来ることはなんだろう・・・そういう発想をもって欲しいと思うんですよね。それは、犯人を死刑にすることだけではないかもしれないけれど・・・そういう発想で考え、判断し、行動して欲しいと思うんですよ。少なくても、「死刑をもって臨むのは重きにすぎる」とは言って欲しくないです。

裁判官を責めたいわけじゃないんですよ。今の法律に照らしあわせば、適切な判断を下し、それにそった言葉を使っただけだと思うんです。だから、われわれの社会のシステムに対して言いたいんです。大切な人を失って、それでもなお生き続けなければならない人たちに何ができるだろうという発想をもってくれ!って。

珍しい名前の表札を盗む男(^^;

2009-02-17 17:51:14 | Weblog
他人の玄関先から「表札」を約290枚盗んだ犯人が、住居侵入と窃盗の疑いで逮捕されたというニュースを見ました。「珍しい名前」で、しかも「楷書体」のものが好きだったんですって(^^;。

絶対に良くないことだけど、微妙に共感している自分に笑っちゃいました。もちろん、どんなに「好き」でも盗んだりはしませんけど・・・妙にツボを刺激するニュースなのでした(^^;。