ニュース雑記帳

日々のニュースからテーマを拾い雑考してます

民主党の細野議員とアナウンサーの山本モナさんのスキャンダル

2006-09-30 12:32:08 | Weblog
なんだかなぁ~(^^;。

別に、ことさら不倫を応援する気はないけど、とりあえず、ものすごくプライベートな事柄だとは思うよなぁ。だから、当事者、つまりは細野さんの家族や、山本さんの家族以外の人が、とやかくいうことでもないと思うよな。

ただ・・・彼らの職業が、問題っちゃあ問題かもしれない。

芸能人の恋愛事情は、否応なく人の興味をソソルものだ・・・みたいなこととは違うよ。芸能人つまり人気商売をしている人たちというのは、大衆にとってある種の擬似恋人だから、そういう意味で興味の対象になってしまうのは、致し方のない部分はあるでしょ。それを、芸能マスコミなんかは「有名税だ」って言うんだろうね。でも、政治家や報道の仕事をしている人の場合は、別に大衆の擬似恋人じゃないから・・・そういう意味で、世間で騒がれても仕方ないという風には思ってない。

そうじゃなくて・・・むしろ、交通課のお巡りさんが、飲酒検問に引っ掛ってしまった事件の方に近い感じかな。「この職業に付く限り、この分野にだけは、特に身を清くしておかなければならない」みたいな意味で、細野&山本さんのスキャンダルは、ちょっとイタダケナイとは思うよね。特に、二人にとって、今の時期は、すごく大切じゃなかったかな? 自民党のトップが安倍さんに変わったばかりの時期の民主党、その民主党の中で重用され始めた細野さんの将来。山本さんは山本さんで、人気報道番組に抜擢されて、アナウンサーとしてこれからって時。不倫そのものより、それぞれの仕事に対する覚悟みたいなものが疑われる出来事になっちゃったね。

もちろん、お二人が、自分たちの職業人としての未来はもちろん、党のこれからや、番組云々なんてのもどうでもいい・・・それより「この恋に生きる」って思ってるんだったら、それこそ、もう外野がとやかく言うことでもないけどさ。

そうそう、大衆側から、一言だけ言っておきたいことは・・・政治家にしろ、報道に携わる人にせよ、「力」を持つことになる人は、悪い人が脅しのネタにするようなスキャンダルは避けてもらわないと困るよ。以前、外務省にお勤めの人が、駐在国の諜報関係の人たちに脅され、情報提供を強要され、自殺してしまった事件があったと思うけど・・・興味本位の対象になるスキャンダルや、個人的に恐喝されるようなスキャンダルなら、個人の器量裁量でお好きにと思うけど・・・一般の人たちにまで不利益が回ってくるようなことは、責任をもって回避してもらわないとね。今回のスキャンダルは、そんな大げさなことじゃないと思うけど・・・念のため(^^;。

小林薫被告、死刑決定

2006-09-26 16:35:04 | Weblog
2004年の11月、奈良市で女の子が誘拐され、悪戯され、殺された。犯人は、その姿を携帯メールで女の子の母親に送りつけた・・・その犯人小林薫被告に、検察は死刑を求刑していた。

けれど、通常、被害者の人数が三名以上にならないと、なかなか死刑判決は出ないらしい。殺害の方法が残虐であるなどの理由があれば、被害者数が二人でも死刑になることはあるらしいが、一名だと死刑になる確率は極めて低いのだとか。

が、小林被告は、性的犯罪の前科があり、逮捕後も反省の様子は全く見せず・・・また、社会で幼い子どもが被害者になる残忍な犯罪が増えていることから、もしかしたら、死刑判決もあるやも・・・と、判決の行方が注目されていた。

そして・・・結果、死刑。世論を反映した判決だと言えるんだろうな。

わたしは、世の中には「死をもって贖うしかない罪」があると思う。そして、小林被告の犯した罪は、その「死をもって贖われるべき罪」だと思う。だから、死刑判決は、しごく妥当だと思う。

ただ・・・本人が死をもって贖うのではなく、死をもって贖わせるとなると・・・それを誰がするのか・・・神ならぬ身が、それをしてもよいものだろうかと思わなくもない。このジレンマ・・・。

が・・・たとえ解けぬジレンマを感じているとしても、宙ぶらりんで選択しないまま放ってはおけない。どちらかを選ばなくてはならないとしたら・・・わたしは、子を持つ親として、死刑の執行を選択する。ここで、国家が犯人を死刑にしなければ、今度は、国家が遺族を殺すことになると思うから。だって、たとえ体は活きていたとしても、子を無残な形で奪われた親の心は死んでしまうだろうから。彼らに対して、国家が出来ることは、犯人を相応しい罰で処罰することしかないから。犯人と被害者、双方を前にして・・・完全に公正な立場など、取りえないとしたら、わたしは被害者に偏る方を選びたい。

ただ・・・もし、被害者の人たちが、犯人の死刑を望まないなら、それも考慮して欲しいと思う。つまり、わたしは、司法は無機質に公正であるより、被害者及び彼らが属している社会の味方であって欲しいと思っている。それによって生じる、判決の幅を、不公平だとは、わたしは思わない。

東京地裁、国旗国歌を義務化した東京都教育委員会を違法と判断

2006-09-23 11:32:56 | Weblog
「東京都教育委員会が卒業式などの行事で、教職員に国旗に向かっての起立や国歌斉唱を求めているのは、思想と良心の自由を定めた憲法に違反する」と、東京地裁の難波孝一裁判長が判決を下しましたね。石原都知事は、すぐに控訴するって言ってましたが・・・彼的には、当然でしょうね。

わたし自身は、自分が児童・生徒・学生だった頃、君が代を歌ってたかなぁ。小学校は、地元の市立小学校だったから、歌ったのかな。中学からは、ミッションだったし・・・君が代は歌った覚えがないんだけど・・・もしかしたら、それは、あまりにも当たり前のことだから、特に印象に残らなかったのかな。でも、それぞれの学校の校歌を歌っていた覚えはあるよ。今でも、ちゃんと歌えるし(^^)。

何かを強制されるって、あまり好きじゃない。特に、敬意や愛情を強要されるのは、すごく不満。だけど・・・公共の機関で、公的行事の時に、所属集団の旗や歌を大切にするっていうのは、そんなに変なことではないと思うけどな。国旗に向かって起立したり国歌斉唱するのが嫌だって言っている先生たちは、日の丸や君が代だけが嫌なのかな。たとえば、区の歌や旗、都の歌や旗なんかでも・・・とにかく、強制されたくないってことなのかな。でも、それだったら、先生って仕事、出来なくない? 先生って、子どもに、嫌なこと、いっぱい強制するよ。これがルールだからとか、これが正しいことだからとか、これは必要だからって、子どもが納得してないことや、嫌がることをさせてるよ。教育には、そういう側面が、色濃くあると思うけど・・・それが嫌なら、先生って出来ないんじゃないかな。

そういえば『TV談義の掲示板』で話題にしたけど、長野県では行事の度に、長野県歌の『信濃の国』っていう歌を歌うってTV番組で取上げていたけど・・・なかなか、微笑ましい感じだったよ。番組の作り方のせいかもしれないけど、長野県が軍国主義を引きずっている感じはなかったなぁ。

それに、スポーツ選手が、日の丸を見上げて君が代を歌う姿にも、我々は感動したりするんでしょ・・・なんで、そんなに、日の丸や君が代を、戦争の象徴として嫌うのかな(^^;。

そういえば・・・前にも話したかもしれないけど・・・うちの大学の先生で、君が代が大嫌いな人がいて、その話をし始めたら授業が二時間潰れるので、学生は、喜んで、その話題を先生にふっていたってことがありましたね(爆)。その先生曰く、「君が代ってのは、天皇さまの御世ってことだぞ。今の政府は、天皇を象徴と頂く民主主義国家の日本のことだなんていってるが、そんなのは詭弁だ! だから、あの歌は、天皇様の御世が、どこまでも続くように、わが身朽ち果てるまで頑張りますって歌だぞ!なんで、そんな歌を、われわれが国家として歌わなくちゃいかんのだ!!」だそうです。

となると・・・戦後、象徴天皇制になったからには、君が代は国家として相応しくないっちゃぁ、相応しくないかもしれないんだけど・・・そうなれば、すべきことは「国歌をどうするか」っていう議論だよね。そもそも、日本に国歌なんてものはいらないのか、いやいや国歌は必要だから「君が代」はやめて他のを作るか、このまま「君が代」でいくのか・・・それをハッキリ決めて、決めたからには、不満があっても、公人なら公式行事では従おうよってことにならないかい?

ちなみに、わたしは、国際的なお付き合いなどを考えれば、国歌も国旗も必要だと思うよ。でもって、君が代の歌詞に、多少の引っ掛りはあるけど、フランス国家論争の時の「国歌というものは、そんなにコロコロ変えるべきものじゃない」というのには、説得されるものがあったし・・・「君が代」のままでいいかなと思います。日の丸も、君が代も、他国と比較して、とっても個性的だし・・・面白いと思うし。

そうそう、これも、ドイツ・サッカー・ワールドカップの時の、ドイツ国旗の時に話したと思うけど・・・香港の若手の女優さんが、日本軍が使っていた日の光付きの日章旗を模様にした洋服を着て中国のイベントに出て、襲撃されるわ、ものすごいバッシングを受けるわで、結局、泣きながら謝罪した事件があったんだけど・・・確かに、軍の使用していたタイプの日章旗は、対外的に差しさわりがあるかも。でも、シンプルな日章旗(普通の日の丸の旗)に、戦争責任を取らせる必要はないんじゃないかな・・・と、わたしは思うよ。

ということで、わたし的には、難波裁判長たちの判決って、ちょっと奇異に感じます。どうせ高裁や最高裁もあるんだし・・・ここで一回、こんな判決があってもバランス的にいいかも・・・とは思ったりしますが、最終的に、この判断なら、それは違う気がするなあ。

核兵器を持っていい国、持っちゃ駄目な国

2006-09-22 17:41:11 | Weblog
国連、核問題で揉めてますね。

それにしてもね・・・この核問題で、わたし、いつも不思議に思うんですよ。どうして核兵器を持ってる国が、持ってない国が持とうとするのを非難できるのかなって。

きっと、モノの分かった人たちからは、「話は、そんな単純なじゃない」って言われる思うんですけど・・・でも、一番、当たり前の意見じゃないですか?

アメリカのやっていることって、権力を持っている奴の「自分以外の奴が力を持つと、自分の地位が危うくなるから、早めに叩いて潰しておこう」的な発想の行為に見えますけど・・・そうじゃないなら、それが分かるようにして欲しいな。

たしかに・・・たとえば、北朝鮮が核兵器をドンドン開発しても平気かって言われたら、それは阻止しなきゃとは思いますよ。だから、それと同じで、イラクにしてもイランにしても「奴らは危ない国だから、核を持たせちゃいかん」って言われると、まあまあ理解できないことはなくもない。でも、その時にも、アメリカさんには言いたいですよね「あなたは、危ない人じゃないの?」って。

アメリカは、世界の良心で、世界の指導者で、世界の軍隊だから、核だって他の平気だって、どんどん持つべきだけど、アメリカに逆らう国には武器を持たせちゃいかん・・・と、アメリカさんは思っているように見えるけど、そうじゃないんなら、そうじゃないと説明して欲しいな。アメリカさんが説明してくれないなら、アメリカさん大好き日本政府が、かわりに説明してくれてもいいからさ。


美しい国、ニッポン

2006-09-21 15:57:21 | Weblog
安倍さん、総理、決定しましたね(^^;。

報道は、結果が分かっている選挙なんて「ツマラナイ、ツマラナイ」って言ってますが、「ツマラナクナイ」小泉劇場に対しては、それはそれで「面白ければいいわけじゃない」って言ってますよね。まっ、報道の役目の一つとして「批判」というのあるわけだから、政治家の太鼓持ちになるよりは、批判精神を発揮してもらう方が、絶対に良いですけどね。

けど、よくある「安倍新総裁に期待できますか」っていうのは、政治に関して素人の我々には、まだ答えの出しようのない質問ですよね。ジャーナリストや学者さんたちなら、安倍さんに関する相当量のデータをお持ちでしょうから、予測がつくかもしれませんが・・・われわれ一般庶民が安倍さんを意識したのって、北朝鮮による拉致問題が大きく話題になり始めた頃からで・・・そんなに、よくは知らないですよね、安倍さんのこと。まあ、わたしくらいの歳の人なら、お父さんの晋太郎さんのことを覚えてますから、その坊ちゃんが総理になられたのか・・・ヨカッタね、くらいの感想は持ちますけどね(^^;。

というわけで、われわれにしてみれば、日本の政治のリーダーとしての安倍さんを知るのはこれからなわけですが・・・さぁ、どうなっていくでしょうね。楽しみであります(^^;。

が・・・安倍さんが、自らの今後の方針を象徴する言葉として選ばれた「美しい日本」ですが・・・安倍さんの考える「美しい」は、わたしが考える「美しい」と同じなのかな・・・それに関してはね若干の不安が、なくもないです。もし、安倍さんが考える「美しい」が、内側も外側も「強い」ということなら、わたしは、それを「美しい」とは思えないから。むしろ「醜い」と思うから。

たとえば、彼の「自主憲法」に対する拘りというのも、「自立した大人でありたい」という美しさの追求としてなら、わたしには納得できるものです。けれども、武力を持ってマッチョな国になる為には今の憲法のままじゃ駄目だから・・・ということなら、わたしは嫌ですね。

美しくある為には、内側が強くなければいけないとは思っていますが、外側を飾り立ててコケ脅かしするようなエセ強者には不快感しか感じません。なので、内側の脆弱さを隠すように、外側だけマッチョな国を「美しい日本」だなんて言われたら、それには切れちゃいますよ。安倍さんの本心・・・これから、見極めていかなくっちゃね(^^)。

オウム事件の松本被告、死刑確定

2006-09-16 15:54:29 | Weblog
オウムの松本さん、死刑が確定しましたね。冤罪の可能性は無さそうだし、弁護側の手順には、あまり賛成できなかったし・・・当然っちゃぁ、当然の結果かな。

中には「これで、真相解明の可能性が失われた」と言っている人もいたけど・・・このまま裁判を延々と続けても、真相解明の可能性は無かったんじゃないかな。司法の役目としては、ここまでなんじゃないかな。

なら、今後も、さらなる事実解明に責任を負うのは、誰なんだろう・・・被害者あるいは遺族の方たち?一番強く、さらなる事実解明を望んでらっしゃるのは、きっと被害者やご家族の方たちだと思うけれど、だからといって義務や責任を負わされる立場でもないでしょう、それは。

だとすると・・・やっぱり、報道機関なんじゃないのかな、その任を負うべきなのは・・・違う?

そういえば、山口県の徳山工業高等専門学校の女子学生が同級生に殺害された事件で、容疑者とされた男子学生(19歳)のことを実名で報道した週刊新潮が、彼の死後になって始めて実名報道しはじめた読売新聞・日本テレビ・TV朝日のことを非難していたけど・・・あれも、どうも奇妙な話だな。

容疑者少年の死後に実名報道した側は、容疑者が亡くなっているのだから更正の機会もないし、社会的に影響力のある事件だったから実名報道したって言っているみたいだけど、この理由にはどうも居心地の悪さを感じてしまう。かなりの確立で、亡くなった少年が犯人だとは思われるけど、もう弁解する余地もない被疑者に対して「更正の余地がない」という言い方は、どうも気分が良くない。

でも、かといって週刊新潮が、我こそが正義、我こそが報道機関の在るべき姿を示している的な上からの批判も、かなりどうかと思う。警察側が下した、容疑者の少年は他の人に危害を加える恐れがないとの判断は正しかったようだし、週刊新潮の主張する、少年法の精神より社会の利益を優先したというのは、かなり怪しい主張でしょ。雑誌を売らんがため、よりセンセーショナルにしたかったからの実名報道というのが、本当のところだったんじゃないかって気がするでしょ。

となると、こういった姿勢の報道機関に、どれほどの任が背負えるのかとは思うけれど・・・でも、やっぱり、真実の追究、そして公開することは、報道機関の役目じゃないのかな。是非、オウムの真実を、これからも報道機関には追究していって欲しと思うな。

飲酒運転、厳罰化の動き

2006-09-14 13:56:04 | Weblog
飲酒運転による事故の話題、ものすごく沢山、取上げられていますね。今までも、あったはずなのに、話題にするっていったら、蟻が集るように一斉に騒ぎ立てるんですよね。でも、そのおかげで、良い動きが生まれるなら、それも良い事だとは思うんですけどね。

正直、わたしも二十代前半は、飲んで運転してました。田舎なものだから、都会で飲む機会があった後、電車で家の近くまで帰ってきても、そこから家までの足がないんですよね。だから、駐車場から自宅まで、飲酒運転したこと、あります。

その時の気持ちですか? まずは「わたしはお酒に強いし、酔ってないから」ってことですよね。今考えると怖ろしいことですけど、当時は飲んでいても安全運転する自信があったんですよね。「むしろ、注意する分、いつもより安全なくらいだ」なんて思ってましたよね・・・とんでもないですよね。

けれど、子どもが生まれて・・・そういうことは、一切しなくなりました。何故って、まずは「死なないぞ」って気持ちが、ものすごく強くなったからですね。それまでは、他人に危害を加えるのは悪いことだと思うけど、自分に何か起こる分には、どうでもいいかなって思ってました。けど、子どもが生まれたら「この子達が成人するまでは、健康で元気でいるんだ」と執念に近い思いを持つようになりましたから、危ないことはしないと、そう心に誓ったわけです。

それから、母親になったんだから、子どもに「ルールを守る」ということを教えなくちゃいけなくなったわけで・・・悪ぶって、それがカッコいいなんて言ってられなくなったわけです。自分が、ルール違反をしながら、子どもたちに「ルールを守りなさい」とは言えませんからね。

わたしは、基本として「ルールだから守れ」と教えるのは、正しい姿勢だとは思ってないんです。間違ったルールもあるし、行き過ぎたルールもあるし、そういうのに対しては、無批判に従属しちゃいけない。むしろ「違う!!だから、従わない!!」と表明しなくちゃいけないと思っています。けど、その分、正しいと思うルールに対しては、ちゃんと守る姿勢を見せなきゃと思うわけです。そして、飲酒運転をしないというのは、守りたいルールの一つだったわけです。

というわけで・・・わたしは、24歳から、飲酒運転はしなくなりましたが・・・世の中には、24歳前のわたしと同じような人が、まだ沢山いるわけですね。

その人たちに対して、厳罰化の効果は・・・たしかに、一部の人たちにはあるでしょうね。根は悪くない、普通の人たちに対しては、厳罰化や、今のような世論の批判は、大いに有効だと思います。

けど、一番の問題は「無頓着な人たち」なんだと思います。周りがこれだけ騒いでいても、それが耳に入らない人たちには、厳罰化の知らせも心に響かないでしょう。こういう人たちに対して抑止力を持つものって何なんでしょうね・・・それを突き止めなきゃなりませんね。

けど・・・無茶をしていた自分のことを思い出すと、他人様のことより、自分の子どもたちのことが心配でなりません。若い彼らは、若かった私と同じようなことを考えるのではないかと思うと、折に触れ「気をつけてね。お酒飲んだら、運転は絶対に駄目よ」と、五月蝿いくらいに言っているのですが・・・一応「分かってるって。意外に、常識的なんよ」などと返事はくれても、心配でならないです。

被害者になるのは勿論、加害者になっても、人生が一変してしまいます。大きな事故になると、先の人生はお互いに台無しです。気をつけてね・・・無茶はしないでね・・・口うるさい親にならずにはいられません。

誰に天皇になって欲しいか

2006-09-07 16:55:49 | Weblog
もう、ニュースは紀子さんの出産のことばかり。まぁ、仕方が無いかな、未来の天皇になる親王さんの誕生だもんな・・・そりゃぁ、騒ぎにならない方が変かもしれない。

皇位継承問題に関しての意見は、すでに述べたと思う・・・といっても、何を述べたか、あまり覚えてないけど(爆)・・・要するに、父系固持か、母系容認かって問題は、どちらにも「なるほど」という主張があるわけで・・・結局は、我々国民が、どちらを望むかってことでしか決められないでしょ。どちらが正しいかではなく、どちらを選ぶか・・・今の象徴天皇制では、それしか最終的な判断基準はないと思う。となれば・・・とりあえず、父系男子を親王が誕生した上からは、この時点で性別に関わらず長子相続なんてことにはならないでしよう。よほど切羽詰らないと、この件に付いては、誰も(政治家だけじゃなく、国民も)判断を下したがらないと思うもん。

でも、そうなると、愛子ちゃんは天皇にならないってことか・・・誰かと結婚して民間人になるんだ・・・それを思うと、なんだか、ちょっと不思議な切なさを感じてしまった。愛子ちゃんにとっては、それはむしろ幸せなことかもしれないと思うんだけど・・・なんとなく、寂しさというか、切なさというか、残念な思いがしてしまうのだ。

でも、たとえば、次男だというだけで天皇にならないだろうと思われた秋篠宮さん(実際は皇太子さんの次は宮さんで、その次が誕生した親王さんだけど)に対して、わたしはそんなことを感じたことがあったか・・・いや、一度も無い。では、未来の天皇である親王さんのお姉さんたちに対して、そんな思いを抱いたか・・・そんなことは、さらにまったくない。では、どうして、愛子ちゃんだけが特別なんだ。

それはつまり・・・愛子ちゃんが、皇太子さんの次の天皇になることを、かなりの確立で意識していた時間が、わたしの中にあるからだ。一度も期待していないことが叶わなくてもショックはないが、少しでも期待したことが叶わないと、人はガッカリするものだということだ。

でも・・・わたしが愛子ちゃんに対して持っていた視線って、象徴天皇では、とっても大切なことなんじゃないかと思った。つまり、いきなり馴染みの無い人に「資格がある」「正当性がある」からと、天皇になってしまわれても、それには気持ちが付いていかないということだ。出来るだけ長い時間、出来れば産まれたときから「この子が、将来、われわれの国の天皇になるんだな」と見守っていくことが必要なんだと思う。

そして、我々は、実際に、そういう眼で、愛子ちゃんを見守ってきた・・・それを、親王が生まれたから、じゃぁ、もうあんたはいらないって・・・それはないだろうと、そういう気分になっているわけだ・・・今、わたしは。

最初に言ったように、愛子ちゃんの幸せを考えたら、天皇になんかならない方がいいかもしれない。民間に降嫁して、出来るだけ普通に近い生活をさせてあげたいという気持ちもある。けど・・・男の子で良かった!!親王さま誕生オメデトウっ!!そんな世間のムードに、奇妙な憤りを感じてしまう、この不思議な感覚(^^;。

わたしでそうなんだから、皇太子さんや雅子さんも、そういう思いがおありなんじゃないかな・・・ほっとする反面、何か愉快でないものが、あるんじゃないかな。だからこそ、秋篠宮さんや紀子さんも、出産を迷われた時期があるんじゃないかな。

そんなことを思うと・・・そうまでして、この天皇制、この伝統、守るべきなんだろうかとさえ思う。彼らを、当たり前の普通の人間に戻してあげなきゃいけないんじゃないかと思う。日本を象徴する天皇というよりは、日本の伝統を最も深く伝承している素晴らしい一族として敬愛していけばいいのじゃないかと思う。自由に自分の気持ちも口に出来ない、自分たちの跡継ぎを自分達で決められないなんて状況に押し込んで・・・むしろ、とんでもなく酷い仕打ちをしているように思うんだけどなぁ。

とにかく、東宮家の方たちも、秋篠宮家方たちも、幸せであって欲しいな。普通に人として幸せであって欲しい・・・わたしは、そう思います。


死んだ競走馬はいずれも特に成績が優秀ではないという・・・

2006-09-03 16:12:16 | Weblog
以下は、ネットで見ることが出来る、毎日新聞の2006年9月3日12時10分付けのニュースです。

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厩舎火災:2棟全焼し競走馬9頭が焼け死ぬ 千葉・船橋

 3日午前1時5分ごろ、千葉県船橋市若松1の船橋競馬場内にある調教師、及川肇さん(44)の厩舎(きゅうしゃ)から出火、隣接の川村昭男さん(69)の厩舎に燃え移り、木造モルタル一部2階建て厩舎計2棟(計600平方メートル)を全焼した。厩舎内の宿舎で生活する厩務員6人にけがはなかったが、及川さんが調教している競走馬13頭のうち2~5歳の9頭が焼け死んだ。他の4頭は逃げ出して無事だった。

 県警船橋署などによると、現場は競馬場南側の78棟ある厩舎群の一画。死んだ競走馬はいずれも特に成績が優秀ではないという。

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わたしが気になったのは、一番最後の一文・・・「死んだ競走馬はいずれも特に成績が優秀ではないという」という部分。

意図するところは分かる。つまり、損害額についての情報を、暗に提供しているわけだ。要するに、そんなに大きな被害ではなかったと言いたいわけだ。記事を読む人たちは、そこが一番気になるだろうと、記事提供側は判断したのだろう。

さすがに、人が亡くなった場合にニュースで「亡くなった人は、いずれも収入が多くない人たちだった」などとは言わないけど・・・最近の傾向だと、本心では、そこが肝心だと思われているのかも・・・などと勘ぐりたくなる記事だった。

ちなみに・・・交通事故の被害者の方に対する補償金は、被害者の収入額と無縁ではないはず。だとすると、やっぱり・・・かな。

命に重い軽いの区別は無いなんていうけど・・・実際には、人によって、明らかな扱いの差ってあるよね。それが現実だよね。

人でもそうなんだもん・・・馬となれば「死んだ競走馬はいずれも特に成績が優秀ではないという」と言われても、仕方ないのかな。でも、なんだか、ものすごく切なかった・・・馬鹿みたいに、切なくて悲しい一文だった。

惨すぎる・・・娘を殺された母の自殺

2006-09-01 13:35:22 | Weblog
もう、言葉がない・・・惨すぎる・・・

六年前、帰宅途中を襲われて、愛娘が殺された・・・犯人は捕まったけれど、まったく反省する様子はない・・・昨年春の二審、横浜地裁で無期懲役の判決を言い渡たされ退廷する際にも、傍聴席の遺族に向かって「おまえが駅に迎えに行かなかったから死んだんだよ」と暴言を浴びせた・・・一年間、母は、その言葉に苦しめられた(だぶん)・・・そして、母は電車に飛び込み、自らの命を絶ってしまった。

娘が、突然逝ってしまっただけでも、十分以上の苦しみがある。我が子に先立たれる以上の苦しみ・・・わたしは、思いつかない。親たちは、たとえ自らに何の罪がなかったとしても、我が子を守れなかったことで自分を責める・・・命ある限り、自分を許せず責め続ける。

そんな、子どもを失った親に向かって・・・その子どもを奪った奴が・・・何を言うんだっ!!! この暴言は、罪にならないのかっ!!

それから・・・鉄道会社は、遺族に損害賠償を請求したんだろうか・・・娘を失い、また妻を失った夫に、お金を払えと言っただろうか・・・せめて、そんなことはしなかったと信じたい・・・世の中は、それほど冷血ではないよね・・・そう信じたい。

それにしても・・・それにしても・・・悔しすぎる・・・・