ニュース雑記帳

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騒音おばさんに、実刑判決

2006-04-21 17:24:32 | Weblog
「騒音おばさん」として一躍有名人になった河原被告に、奈良地裁が一年の実刑判決を言い渡しましたね。即日抗告したみたいなので、確定ではないですけどね。

まっ、人には、それぞれの価値観、それぞれの主張、それぞれの遣り方があるわけで、お互いに多少の不満や多少の不快さは許容さぜるを得ないものだと思うのですが、それでも「行き過ぎると犯罪になる」ってことなんでしょうね。たかが近所同士の揉め事で、たかが騒音による嫌がらせであろうと、程度が酷いと、それは犯罪になるんだということでしょうか。

人を傷つけても、時には殺してでさえ、自分の非を認めない人もいますが、大方の人は、どんなに嫌悪や憎悪を感じた相手でさえ、自分が傷つけてしまったと感じると、その瞬間から「悪かった」という気持ちが生じるものでしょう。だから、自分の行為が相手を傷つけたのだと、それもヒドク傷つけたのだと、それが分かれば、人は悔いることが出来るのだと思います。(まっ、それよりも「自分を守りたい」という気持ちが勝ってしまう場合も、少なくはないのですけどね・・・)

けれど・・・こういう、日常の行き違い的出来事に置いては、なかなかお互いに自分の非というのが分からないのが人間って奴で・・・ということは、微罪であればあるほど、反省するということが難しいのかもしれませんね。

そういう時は、他者に罰せられることによって、冷水を頭からかけられたように「悪かった」と気づくという、罰によるショック療法というのも有効かもしれません。騒音おばさんには、有効ではないみたいですが、ちょっと自己中度が高い世間知らず程度の人間だと、これでビックリして目がさめたりもしますよね。

が、問題は、何がどう転んでも、誰がどうアプローチしても、絶対に自分が悪いとは思うことが出来ない人もいるということです。中には、自分が行った良くない行動のすべてを「私はしていない」とまで思い込める人もいるようですが、ここまでいくともう、それは心の病の領域なんでしょうか。あるいは、何かの欠落なのかもしれません。

とにかく・・・騒音おばさん程度の事件から、とんでもない惨殺事件のようなものまで、事件の規模の大小とは関係なく、どうしても『自分が悪い』と思えない人に対して、我々はどう接していけばいいんだろう・・・と、それを考えてしまいました。こういう人たちの場合、いくら罰しても、罰が更正には繋がりませんから、何よりもそれが問題でしょ。

とはいってもね・・・ふうむ・・・ねぇ・・・どうしたらいいもんでしょうかね。