ニュース雑記帳

日々のニュースからテーマを拾い雑考してます

好きな男の子どもではなかったから・・・

2009-09-01 12:54:16 | Weblog
「好きな人の子どもではなかったから捨てた」。道端(?)に、産んだばかりの男の子の遺体を放置した女が、警察の取調べに、そう答えたそうです。

女は29歳。十代の少女なら、妊娠を回りの人に相談できず思い余ってということも、悲しいことではありますが、あるかもしれないと思えるのですが・・・29歳にもなって、と思わずにいられません。何か特別な事情がある人なのでしょうか・・・それとも「年齢を重ねれば、おのずと精神も成熟していく」というわけではないってことが、また証明されてしまったのでしょうか。

それにしても・・・好きな人の子どもではないから・・・胸が痛い理由です。

わたしが十代の頃でしたか・・・とある漫画の中で「真紅の寝床」というフレーズに出会いました。「深く愛しあう男女の営み」のことを表現したものであったと記憶しています。そして、愛し合う男女の愛の結晶として産まれた子どものことを「真紅の寝床から生まれた子ども」と、そう表していたと。

わたしにとって、その表現は、何故か胸を射抜くように衝撃的で・・・それ以来ずっと、こういう話題の時には使用させてもらっているのですが・・・たしかに、子どもにとって、自分が「真紅の寝床から生まれた」かどうかということには、無関心ではいられない事柄なのではないかと思います。

もちろん、真紅の寝床からうまれていなくても、その子の存在価値・意味には、何の影響もないのですよ。頭ではそれが分かっていても・・・心情的には「真紅の寝床から生まれた子ども」でありたいと、そう思わずにいられなかったとしても、致し方ないかなと、わたしはそう思うのです。

で・・・そのことは、生まれてくる子どもにとってだけでなく、産む女性にとっても、同様なのかなと・・・同じ女性でありながら、少し引いた言い方になりますが・・・こういう事件を耳にして、そう考えるのであります。

女性が子どもを産む・・・そこには、いったい、どういう気持ちがあるのでしょうね。自分の分身としての子どもが欲しい。家族としての子どもが欲しい。好きな人と自分を繋ぐものとしての子どもが欲しい。女性が子どもを産みたいと思う心の中には、女のとしての感情、母としての感情、生物としての感情など、さまざまな気持ちが渾然と融合しているのかもしれません。

でも、この事件の女性の場合は、母の部分が極端に痩せ細り、女の部分だけが肥大化していたのでしょうか・・・ほんとに、ものすごく残念でなりません。

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