ニュース雑記帳

日々のニュースからテーマを拾い雑考してます

男と女の間には・・・

2009-06-27 19:57:11 | Weblog
数日前ですが、無理心中事件がありました。ドメスティック・バイオレンスの加害者である夫と、被害者である妻が、火災現場から遺体で発見され、その遺体には刃物傷があったことから、無理心中事件だろうと判断されたようです。

なんでも、このご夫妻、事件の前々日に、二人そろって警察署を訪れ、夫の入院について相談などしていたようですね。奥さんは、それ以前にも、少なくとも4度ほど、警察に相談に行っており、警察の人が被害届を出せば傷害事案として対処できますよと話したけれど、結局、奥さんが事件にすることは望まなかったらしいです。

お酒を飲まなきゃ、いい旦那さんで、暴力もなかったのかな・・・奥さんは、なんとか旦那さんに、お酒をやめてもらって、仲良く末永く添い遂げたかったのかな。そう思うと、なんだか、切ないですね。

DVの夫婦の場合、基本は、暴力を振るう夫が悪人で、暴力を受ける妻が一方的な被害者ですよね。けれど、時に、両者の間に「相互依存」があったりするとも言われていますよね。でも「相互依存」って、いったい何なんでしょうね。

DVと無縁に過ごしている人たちからすれば、暴力を受けているといっても、監禁されているわけじゃなし、夫の暴力が嫌なら、夫が仕事に行っている間にでも逃げればいいじゃないかって思いますが・・・多くの女性は、暴力を受け続けることによって無気力になってしまい、逃げようという気持ちすら奪われてしまうと聞きますし・・・そこまでいかなくても、恐怖感から逃げ出せなかったり・・・逃げ込む先がなくて我慢していたり・・・周りがサポートしてあげなきゃ、本人だけでは、なかなか抜け出せない状況にあるみたいです。

でも・・・周りが、いくら手を差し伸べても、本人が、イザとなったら、はっきりした態度をとってくれない場合は、ほんと多いみたいなんですよね。そうなったら、他人は手出しできなくなりますからね・・・。

わたしもね・・・直接にではないんだけど、何件か、DVの被害を受けている友人をもつ人から、相談をうけたことがあるんですよ。で、そういう場合は、いつも言うんです、「連れといで」って。直接の友人が匿うと、きっと簡単に見つけられてしまうだろから、縁が薄いワタシが匿うからって。でも、実際に、逃げてきた人は、一人もいませんね。どうやら、本人が「やっぱり・・・」って、躊躇うみたいです。

もちろん、DVがあっても、夫婦の間に確かな愛情があって、なんとか二人で、そのDV問題を乗り越えていこうというのなら、それを第三者が、無理やり引き離すべきじゃないとは思うんですが・・・もし、マインドコントロール的なことで、がんじがらめになっているなら、無理やりにでも助け出さなきゃって思いますし・・・そのあたり、他人で、しかも素人である身には、判断が出来なくて・・・そういうことがある度に「男と女の間のことは他人には分からん」と悩んでしまいます。

ただ・・・わたし、個人的に、うちの子に関しては、絶対にDVを許さないと決心しています。だから、藍那には宣言しています。藍那が「この人」と自分の意志で選んだのなら、収入のない人でも、浮気が酷い人でも、他にどんなマイナス条件があろうとも、仲を裂くようなことはしないつもりだけど、藍那に暴力を振るう人だけは、どんなに藍那が「彼が暴力をふるうのは、わたしのことを愛してるからなの」とか「わたしが悪いから彼が暴力を振るうの」とか「それでも、わたしは彼が好きなの」と言おうとも、絶対に別れさせるからねって。言い過ぎると、ほんとうに暴力があったときに、藍那が話してくれないかもしれないことが心配なんですが、わたしが唯一、親として拘っている点なので、それは本人に伝えています。

裕太に対しても「もし君が、彼女や奥さんに暴力を振るったら、わたしが君をボコボコにするからね」と言っています。たとえ溺愛する息子であっても、女性に対する暴力だけは許せないんです。

あら・・・話が、すこしズレましたかね。とにかく・・・わたしのDVに対する気持ちとは別に・・・男と女の間には、他人には計り知れない、底なし沼のような深い心の混沌があるなぁと思う、単細胞なワタシなのでした。

脳死は人の死か・・・

2009-06-20 18:37:38 | Weblog
これは、重い問題ですよね・・・

きっと、正解ってないと思うんですよ。やっぱり「選択」しかないと思うんです。「何が正しいか」じゃなく、「われわれは何を選ぶか」なんだと思います。

じゃあ、わたしは何を選びたいと思っているか・・・ふうむ、それでも、やっぱり難しいですね。ましてや、それを、そうは思わない人にも強制してしまう法律にするのは、どうも躊躇われますよね・・・ふうむ。

わたしはね、自分では臓器提供カードを持ってるんですよ。脳死になったら、さっさと、全部の臓器を取り出して、できるだけ有効に使ってもらえばいいと、そう思っているんです。

けれど・・・自分が、脳死した人から臓器提供を受けたいかといわれると・・・それはね・・・ふむ・・・お断りしたいというのが本心です。わたしの場合は・・・臓器移植せず、そのまま死なせてください・・・って、思います。

いえいえ、決して誤解して欲しくないのは、脳死者からの臓器提供を待っている人たちを、「そこまでして生きたいのか」なんて非難する気は、全くないんですよ。だって、もし、うちの子ども達が、脳死者からの臓器移植が必要な病気や怪我になったら、「そこまでしても生かして欲しい」ですから、本気で、心の底から。なんなら、自分が死ぬから、その臓器を使ってくれって、そう思いますもの。

そうだ・・・先日、藍那に「わたし、臓器提供カードを持とうと思う」って言われたんですが・・・それもまた、なんだか複雑な気分でした。そしたら、それを察した藍那が「持つけど、万が一、そういう事態になったら、判断はお母さんに任せるから、嫌だったら断ればいいからね」って言いました。考えるのも嫌だけど・・・もし、藍那に何かあって・・・そんな判断を下さなきゃいけなくなったら・・・どうしても臓器提供に同意できないか・・・一部の臓器だけでも、誰かの命の中で生き続けてもらうことを望むか・・・ほんと、その時になってみないと分からないというのが、正直な気持ちでした。

つまり、それくらい・・・一人の人間の中でも、立場によって、状況によって、思うことが変わってしまう事柄なんですよね。それを、規定してしまうのは、ほんと難しい・・・。

ただ、それをしないと、病気の子どもたちの国内での移植が出来ないわけで・・・ふむ・・・「臓器移植をする場合に限り脳死を人の死と認めてよい」ってのでは、駄目なんでしょうかね・・・。やっぱり、一律に「脳死を人の死にする」っていうのは・・・ふむ・・・