2002年 デンマーク
監督: スザンネ・ビア
出演: ソニア・リクター、マッソ・ミケルセン、ニコライ・リー・カース、パプリカ・スティーン
交通事故で全身不随になったしまったヨアヒムと恋人セシリ。ヨアヒムを轢いてしまったマリーと医師である夫のニール。四人を描いた映画です。
現実を受け止められずセシリに辛くあたるヨアヒム。そんなヨアヒムの態度に混乱するセシリ。妻のマリーに頼まれて、セシリの相談相手になるニール。やがて、セシリとニールは惹かれあい関係をもってしまう。もともと真面目にニールは、セシリに本気になってしまい、思春期の娘に二人の関係を疑われる。そして・・・というようなお話。
デンマークで、1995年から始まった映画運動「ドグマ95」に則った映画なんですって。「ドグマ95」には「撮影はすべてロケーション撮影によること」とか「映像と関係のないところで作られた効果音などをのせてはならない」など、10の約束事があるらしいんですが、その中に「カメラは必ずハンディーで」というのがあって・・・わたしとしては「こりゃ駄目だ」って思っていたんです。だって、わたし、ハンディー駄目ですから。香港の有名な映画監督で、ハンディーを多用する人がいますが・・・彼の作品で酔いますからね、わたし(^^;。けど、この映画は、ハンディーの割には画面がシッカリしていて、酔いはしませんでした・・・よかった(^^;。
で、感想ですが・・・そうですね、恥ずかしさを押し殺して安易な言い方をしちゃうと「愛について考えさせられちゃいました」ですかね(照)。
愛に「正しい愛」も「間違った愛」もないわけで・・・結婚して子どももいるから他の女性を愛しちゃいけないとは言い切れないと思うし・・・というか、駄目といわれても愛してしまうことはあるわけで・・・ただ、その場合、どうするのかと、それが問われるわけで・・・・・自分がその立場にたったら、どうするだろうと、そんなことを考えてしまったり・・・
全身不随になって、自分に当り散らす恋人・・・そんな恋人に、一生をささげて介護しないとと、自分は人間失格になってしまうんだろうか・・・そんな時、誰かに抱きしめて欲しいと思うのは我がままなんだろうか・・・その人に惹かれてしまっては身勝手なんだろうか・・・自分がその立場にたったら、どうするだろう・・・と、そんなことを考えてしまったり・・・
二度と自分の足で立つことはない、恋人と肉体的に愛し合うことができないばかりが、その腕で恋人を抱きしめることもできない・・・そんな自分に、恋人や妻をもつ資格があるだろうか・・・恋人が自分から離れていかなかったとしても、それは同情からであって愛ではないのじゃないか・・・今後、対等な人間同士として愛し合えることなどあるんだろうか・・・このまま、今の恋人を自分に縛り付けておくのは、愛ではないのじゃないか・・・けれど、自分は愛されることもなく、愛することもできず、生きていけるだろうか・・・そんな状態で生きている意味があるだろうか・・・自分がその立場にたったら、どうするだろうと、そんなことを考えてしまったり・・・
相手の不注意があったにせよ、人一人、全身不随にさせてしまった自分に、幸せになる資格があるだろうか・・・恋人を失った女性が、そのかわりに自分の夫を奪ったとしても、それを責められるだろうか・・・自分がその立場にたったら、どうするだろうと、そんなことを考えてしまったり・・・
四人の登場人物、それぞれの立場で「わたしだったらどうする?」と考えさせられる作りになっているので、なかなか重い映画ではあります。
そうそう、文化や制度の違いなのかなぁ~・・・と、ちょっと腑に落ちなかったことが二つだけありました。大きな事故なのに、日本なら一番に問題になりそうな補償問題がまったく出てこなかったのは、デンマークの医療費が基本無料だからなんでしょうか。
それと、もう一つは、事故当日の夜に、車を運転していた側の家族が、友人を呼んで娘の誕生会をしているのが、まったく理解できませんでしたね。登場人物は、みんな悪人ではなく、むしろ善良な市民な感じなのに・・・デンマークの人にとっては、この行為って、違和感のあることではないのかなと不思議に思ってしまいました。
監督: スザンネ・ビア
出演: ソニア・リクター、マッソ・ミケルセン、ニコライ・リー・カース、パプリカ・スティーン
交通事故で全身不随になったしまったヨアヒムと恋人セシリ。ヨアヒムを轢いてしまったマリーと医師である夫のニール。四人を描いた映画です。
現実を受け止められずセシリに辛くあたるヨアヒム。そんなヨアヒムの態度に混乱するセシリ。妻のマリーに頼まれて、セシリの相談相手になるニール。やがて、セシリとニールは惹かれあい関係をもってしまう。もともと真面目にニールは、セシリに本気になってしまい、思春期の娘に二人の関係を疑われる。そして・・・というようなお話。
デンマークで、1995年から始まった映画運動「ドグマ95」に則った映画なんですって。「ドグマ95」には「撮影はすべてロケーション撮影によること」とか「映像と関係のないところで作られた効果音などをのせてはならない」など、10の約束事があるらしいんですが、その中に「カメラは必ずハンディーで」というのがあって・・・わたしとしては「こりゃ駄目だ」って思っていたんです。だって、わたし、ハンディー駄目ですから。香港の有名な映画監督で、ハンディーを多用する人がいますが・・・彼の作品で酔いますからね、わたし(^^;。けど、この映画は、ハンディーの割には画面がシッカリしていて、酔いはしませんでした・・・よかった(^^;。
で、感想ですが・・・そうですね、恥ずかしさを押し殺して安易な言い方をしちゃうと「愛について考えさせられちゃいました」ですかね(照)。
愛に「正しい愛」も「間違った愛」もないわけで・・・結婚して子どももいるから他の女性を愛しちゃいけないとは言い切れないと思うし・・・というか、駄目といわれても愛してしまうことはあるわけで・・・ただ、その場合、どうするのかと、それが問われるわけで・・・・・自分がその立場にたったら、どうするだろうと、そんなことを考えてしまったり・・・
全身不随になって、自分に当り散らす恋人・・・そんな恋人に、一生をささげて介護しないとと、自分は人間失格になってしまうんだろうか・・・そんな時、誰かに抱きしめて欲しいと思うのは我がままなんだろうか・・・その人に惹かれてしまっては身勝手なんだろうか・・・自分がその立場にたったら、どうするだろう・・・と、そんなことを考えてしまったり・・・
二度と自分の足で立つことはない、恋人と肉体的に愛し合うことができないばかりが、その腕で恋人を抱きしめることもできない・・・そんな自分に、恋人や妻をもつ資格があるだろうか・・・恋人が自分から離れていかなかったとしても、それは同情からであって愛ではないのじゃないか・・・今後、対等な人間同士として愛し合えることなどあるんだろうか・・・このまま、今の恋人を自分に縛り付けておくのは、愛ではないのじゃないか・・・けれど、自分は愛されることもなく、愛することもできず、生きていけるだろうか・・・そんな状態で生きている意味があるだろうか・・・自分がその立場にたったら、どうするだろうと、そんなことを考えてしまったり・・・
相手の不注意があったにせよ、人一人、全身不随にさせてしまった自分に、幸せになる資格があるだろうか・・・恋人を失った女性が、そのかわりに自分の夫を奪ったとしても、それを責められるだろうか・・・自分がその立場にたったら、どうするだろうと、そんなことを考えてしまったり・・・
四人の登場人物、それぞれの立場で「わたしだったらどうする?」と考えさせられる作りになっているので、なかなか重い映画ではあります。
そうそう、文化や制度の違いなのかなぁ~・・・と、ちょっと腑に落ちなかったことが二つだけありました。大きな事故なのに、日本なら一番に問題になりそうな補償問題がまったく出てこなかったのは、デンマークの医療費が基本無料だからなんでしょうか。
それと、もう一つは、事故当日の夜に、車を運転していた側の家族が、友人を呼んで娘の誕生会をしているのが、まったく理解できませんでしたね。登場人物は、みんな悪人ではなく、むしろ善良な市民な感じなのに・・・デンマークの人にとっては、この行為って、違和感のあることではないのかなと不思議に思ってしまいました。