フォロ・ロマーノとはローマ帝政が始まった頃で紀元前6世紀頃に建設開始されたローマの
政治・宗教の核となすラテン語のフォルム(「広場」)であり、首都ローマの中でも最も歴史が
古く最大のものです。
その後東西ローマに分裂した辺りからこのフォルムの機能は廃れ、顧みられなくなって
地中の廃墟化しておりましたが、19世紀に発掘され、現在でもその発掘作業が進められて
います。
ボクがここを最初に訪問したのが四半世紀前。その印象が大分薄れかけてしまったのと、
ここ数年欧州をいろいろと旅をして古代ローマ遺跡を見るにつけ、その原点であるここを
再訪したくなりまた来てしまった次第です。尚、ラテン語のこのフォルムは20世紀後半から
再び脚光を浴びた言葉で、文化人の討論会等で多用され、建築の世界でも広場的意味合い
から「フォーラム」の名前をつける建物が多く現出しています。「フォーラム」はフォルムの英語
訳であります。
凱旋門の脇からちょこっと入ったところに入り口があり、そこで入場料を払って中に入りますが、
確か20数年前には無料であったと記憶しています。それと感覚的には単に遺講があるだけで
案内板もなく、柱の折れたものがごろごろしていた記憶が。それに比べるとかなり整備されて。
これは当時の行政庁の跡でしょうか。ブリック建築ですけど、その巨大さに圧倒されます。
現地の案内板に従えば「Domus Seviriana」となっていました。Google辞書を引いても訳語
が出て来ません。ドムスだから館で後ろはサービスのようですから公共建築物じゃないかと思う
のですが(スペイン語からの連想で間違っているかも知れません)
この広大な構築物跡にはびっくり。同じく案内板には「Stadum」と。恐らくここでも剣闘士が
活躍していたんだろうか。寧ろ演劇とか演説とか、そういう用途であったような気がしますが。
擁壁沿いに無数の柱が見えます。これってまさか天井があったのかしら。そうだとすると
かなりの長大スパンの梁が必要となりますけど。奥の崩れかかった壁面に無数の丸やら
四角やらの穴が空いています。これを見ると相当数の梁があったことが窺えます。
この広場にはガラスケースの中にこんなものが。最初見た時、びっくりしましたよ。
ローマ時代にこんなシュールな彫刻があったんかと(笑)
あとでよくよく考えたら、これって現代彫刻展でありましょう(苦笑)海外の歴史遺産
には、よくこういうモダン・アートが展示されるケースが多々あるので騙されてはいけませぬ
(爆)
この広場を囲む外壁。壁に無数の孔が。これは梁を押さえる孔であろうと思いますが。
前にご紹介したコロッセオにも同じような無数の孔が穿たれておりました。
ボク等が今いるところは「パラティーノの丘」という高台にあります。向こうにはさっきまでいた
コロッセオの巨大な建物が。
ー続くー