とちぎ発道路観察日記

このブログも開設から12年、、
頻度は少ないですが、今後ともよろしくお願いします。
令和5年3月22日

図書館に行ってきました。

2015-07-02 00:08:14 | 日記
おばんです。


前回の記事からずいぶんと間が空いてしまいましたが、いつものことですね(苦笑)


先日の日曜日は石橋と上三川の図書館に行ってきました。


私は中学時代に高校受験の勉強をする為に、毎週のように地元の図書館に行っていました。
図書館の落ち着いた雰囲気の中、机で勉強するとなぜか満足感が得られたのです(笑)


また、もうひとつ目的がありまして、それは・・・・




郷土資料を眺める事!


です(^_^;)







私が小学校の頃、社会科では「のびゆく○○町」といった教科書があって、地元の産業や歴史、消防警察などのお勉強をしてきました。
その教科書の写真が古く、貴重な写真が載っていてとても好きでした。

例えば、現在では美装化で電柱が埋められてしまったメインストリートでも昔の写真では、古い信号(小糸網目250や京三レモン250、さらには小糸の角型ゼブラ付で緑色塗装)が載っていて涙が出るほどうれしいのです。


・・・という事を勉強の合間(ホントはこっちがメインだったり(笑))にしてましたねぇ。





今回の収穫。

石橋町編
・町の交通設備の例で信号機の写真が載っているのだが、日本信号の丸型二代目250mmが載っている。かつては町内に設置されていたということ。
・石橋警察署前(現下野署)前の信号機は小糸製だった。詳細は不明だが、歩灯が小糸で車灯も丸型世代であることが確認できた。ちなみに現在は京三オマル型と同時期の歩灯。
・石橋交差点(駅前の)から1つ南側にある手押しが、小糸250mmの円弧アーム世代のもの。→小糸ブツブツ赤300→現在、京三VSSと同時期歩灯(だったような)
・国道4号×352号の下石橋北の立体がまだ開通しておらず、上三川方面からの352号と4号の平面交差だった。(当時は国道352号ではなく県道真岡・壬生線だったような)。
↑当時の352号は壬生方面から来て、現在の姿川橋西交差点から旧道を通って、国道4号交点の本町交差点までだったと思われる。ちなみに4号から先、真岡・上三川方面は県道のみの指定だった?
 ちなみに写真で見た下石橋北交差点は、現在の352号の橋脚があって、その両脇を通ってただけで、橋は無かった。
 当時はおそらく現在のバイパスを県道の名目で工事していた?
・本町交差点の看板は現在のローマ字入りではなく、「本町」とだけ書かれたタイプで信号灯器は現在と同じ日信丸型ブツ300mmだった。
・カワチ薬局のある交差点(文教通り)に京三宇宙人らしきものが写ってた。


上三川町編
・県道47号鬼怒大橋を降りた上三川の最初の信号は小糸円弧アームの灯器→小糸丸型ブツ300mm→現在はコイト薄型青粒少タイプ
・その先の旧道分岐点も小糸の円弧アームで矢印灯器が2つ付いていた。現在は京三VAT右折分離
↑交差点から石橋方面にバイパスが開通します!というようにまだバイパスにはバリケードが設置されていて、信号機も設置されたばかりのようだった。
・47号旧道と県道35号の交差点に真岡と石橋両方面に白看設置。
↑現在ある紺看と同じ内容(真岡方面)でした。
・町内に最初についた信号機は京三と思われるもので、六角ゼブラに緑色塗装でアームは旧式のまっすぐ斜めになっているもの。
・r35と新4の交差点は日信初代か2代目で矢印付
・新4は当時対面の2車線道路で上三川交差点降口(小山方面)には
 ↖真岡
  石橋
 の紺看あり(もちろんローマ字はなし)で2本の足で立ってる低いもの。
・交通標識の例の写真で40高・中速車の補助看あり






と覚えているものでこんな感じでした。
一部で憶測のものが混じっていることをご了承ください。

当時はまだデジカメなんてものはなく、カメラも貴重だったでしょう。そんな時代の風景写真はとても貴重です。
私も、標識や信号の写真を撮って十数年ですが、これからも今ではありふれている様子を撮っていきたいと思います。10年後は貴重な写真になっているかも。




ではでは。。。