2日目、その1からの続きです。
○ 知床峠越え
野付半島からは私が運転を代わりました。
海沿いは、風を一杯に取り込んで、気持ちよいシーサイドドライブ。
快調に運転を進めていきます。
羅臼を通った時に、礼文町という住所を見つけました。 礼文島と紛らわしくないのかしら。
いよいよ知床峠を登ることになります。
知床峠は標高738m。正直言って、できるかわかりません。箱根の山さえ運転したことがないのに、レベル高すぎー。
一合、二合と表示を見ながら上がっていきます。
ところで一合分の高さとは、山の頂上を十合目とみて、標高を十等分した数値だと知りました。
つまり、山によって違うわけですね。
共通した数値だと思って、六合目の時点で(富士山の五合目を越えているのね。え~ウソでしょ~、そのうち呼吸が苦しくなる~)とあせりましたが、まるきり違いました。あせったあ。
峠越えの途中に、私がひそかに好きで、誰も知らいだろうと思っていたマイナー音楽がチャロのiTunesにも入っているということが判明。
それを聴かせてもらい、動揺や感激を一生懸命コントロールしながら、ハンドルを切って行きました。
急カーブも結構あり、勾配もあるため、見る見るうちに上っていきます。
なんとなーく、カーブのガードレールがゆがんでいるような。いえ、考えてはいけないわ。
数え切れないくらいカーブを切り、峠に着いたときには、とても感動しました。
とてもいい見晴らしです。高いところまで登って来たんだなあと、原生林を見下ろしながら思います。
風も少し吹いていて、心地よくはありますが、暑すぎてまともに目を開けられない感じでした。
ドライブ中、シカを何頭も見かけるようになりました。
それだけ自然の中に入って来ているということなのでしょう。
車が2台続けて止まっていたら、なにかいるので見てみよう、というサインだとか。
アフリカのサバンナサファリみたい。
○ 知床五湖
峠で運転を交代し、反対側に下りて知床五湖へ。
世界遺産効果か、駐車場がとても込んでいて、結構待ちました。
これまで静かに旅をしていたのに、ここにきて予想外の大勢の観光客を見たので、驚きました。ツアー客が多いようです。
人の集まる観光地に来たのは、今回初めてかも。
一湖だけを見る木道のほかに、ほかの湖も周るループ道もあると言われます。
本当は、五湖全てを見たかったのですが、外にいるだけで汗が出るような厳しい暑さに負けて、木道の方だけにしました。
ループは、立ち入り申請書を書き、お金を払ってヒグマ対策のレクチャーを受けるとのこと。
本当にクマがでる地域なんだと実感します。
リンリンとクマよけの鈴を鳴らしている人が何人もいました。
バリアフリーの高架木道は長さ1.6kmで、360度の景色が開けています。
本当はすがすがしい木道なんでしょうけれど、さえぎるものなく日光を浴びるため、じりじりと焦げ付きそう。
誰もが日差しの強さに参っているようです。道東は涼しいと聞いていたのに、こんなに暑いなんて。
鹿があちこちでのんびり竹笹をはんでおり、みんな人垣を作って上からのぞいていました。鹿の子模様がかわいい。
「木道といえば、東電がああなってしまって、尾瀬の運営は大丈夫かしら?」という話になりました
知床は財団があり、世界自然遺産になったため、問題ないでしょう。
ただ、エゾシカが過去10年間で10倍の数に急増したため、生態系へのダメージが危惧されていることは、知りませんでした。
木の樹皮や花を食べるため、植生の変化が深刻なんだそうな。
エゾシカを捕獲するようになり、少しずつその事態は落ち着いてきていると、環境省の報告にありました。
かわいいシカさんですが、厄介ものだったとは。
高架木道の終点には回転ドアがあり、一方通行にしか出られないようになっていました。
「クマを見ても、お静かに」と言う表示を見つけます。
えっ、騒いではいけないの?静かにしていたら、そのまま食べられちゃう~!
帰り路、チャロはカムイワッカ滝への道路が通行止めになっていないか気にしていましたが、もはや暑さでぽーっとなっている私には、その理由がよくわかりませんでした。
そこからウトロまでは20km。どんどん坂を下りていきました。
北海道を通っていると「別」という地名によく出会います。
登別、江別、湧別など。倉本聡作品に、悲別という架空の地名もありました。
字を見ていると、なんだか寂しくなりますが、別とは川の流れという意味なんだとか。
そう思えば、特に切ない意味というわけではないんですね。
○ 酋長の家
5時すぎに今日の宿にチェックインしました。
酋長の家という名前で、なんだかネイティブアメリカンを連想しますが、そこではアイヌのおもてなしをしてくれるとのこと。
アイヌには、ほとんど縁がありません。
国語の教科書で読んだ『銀のしずく降る降る』の知里幸恵さんの話や、母にアイヌの血の混ざったエキゾチックな美人の友人がいた話くらい。
初めての北海道旅行で、アイヌの人からキタキツネの木のブローチを買った時、「ピリカリカ」と名前を彫ってもらったのが嬉しくて、今でも取ってあります。
もう少し知りたいと、『アイヌ文化フェスティバル2001』に参加し、そこでムックリをもらったこともあります。
でもその程度で、ネイティブのアイヌの人と話をする機会はないかもしれないと思っていました。
冷房のきいた部屋に通され、ほっと一息。
宿のそばには丸い大きな島のような場所があり、気になります。
チャロは部屋でのんびりしていると言ったため、私一人でその岩へ行ってみることにしました。
港もすぐそばで、カモメがたくさんいましたが、日中の港は、人気がなく閑散としています。カモメと漁船と私だけ。
ちょうど、遊覧船から大勢の人が降りてきました。知床観光遊覧船の発着所がすぐそばにあるようです。
○ オロンコ岩
岩の名前はオロンコ岩。遠くから見ても、近くから見ても、こんもりとした形のいい岩へと近づいていきます。
トンネルが通っているほどの、なかなか巨大な岩。
宿の人に聞いたら、上に登れるということだったため、道を探してぐるりと回り込み、階段を見つけて上がることにしました。
岩の上までは高さ60m。かなりきつい傾斜の階段に息が切れ、途中で何度も休みます。そしてとにかく、じりじりとした暑さに参りそう。
この日一番、汗だくになりました。
すっかり息が上がって、ゼイゼイしながら、ようやくの思いで上った岩は、言葉に尽くせないほどの眺望でした。
ほかにも近くにごろごろある奇岩が一望でき、眼下の港の様子や、遠方の知床半島まで見渡せました。
緑でいっぱいのところを、体温の上がった身体で歩いたため、虫に刺されないか気にしながらも、岩の上をぐるりと一周します。
上って降りる間に5人の人とすれ違ったので、挑戦者は割と多いように感じました。
知床10景の一つだそうです。
西日が差して、海はまぶしく輝いています。
なんとか写真に収めたかったのですが、日差しのきつさに断念し、目に焼き付けてきました。
あまりの暑さに扇子を取り出してあおぎますが、下りの階段も急で、そんなのんきなことはしていられませんでした。
ここでたくさん日光を浴びてしまったよう。
帰り路にはゴジラ岩がありました。
たぶん姿形がゴジラのようだからだろうけれど、どちらかといえば、顔はキングコングにそっくり。
でもスリムだから、身体つきは違うので、やっぱりゴジラなのかなあ。
なんだかもうどっちでもよいです。とにかく迫力ある岩でした。
宿に戻り、ほてってのぼせきった身体を清めに、すぐにお風呂へ。
この宿はウトロ温泉の源泉を引いています。
お湯は少し濁った色で、水を足しながらでないととても入れないほどの熱さでした。
○ アイヌ料理
さっぱりしてひと心地ついてから、夕食へ。
アイヌ料理を出してもらいました。見たことのない不思議な料理が並んでいます。
カニがでんとありました。
少ししたら、宿の女将が登場し、自分語りを始めました。
父親が阿寒湖アイヌコタン (集落)の酋長だったことから、宿の名前を酋長の家と名付けたとのこと。なるほど、そういう由来だったのね。
料理の説明をしてくれました。どれもすべて手作りで、だしは昆布から、塩辛も自家製とのこと。
鮭ではなく、鱒のちゃんちゃん焼きというのが新鮮。
鮭の白子を揚げたものや、かぼちゃ、もろこし、金時豆、クルミ、とうもろこしをつぶしてあえたラタシケップという食べ物など、とにかく初めて目にするものばかり。
キハダの実の、シケレベ茶は、聞くのも初めてです。
黄緑色で、はじめ熊笹茶だと思いました。
鹿肉は少しレアな感じが残っていましたが、3日以上煮込んで柔らかくしたもので、きちんと味付けされてあり、おいしかったです。
時間をかけてごはんをいただき、すっかりおなかいっぱいに。
カニは手伝ってもらいました。
大地のエネルギーを体内に取り込むようなアイヌ料理。
○ 女将の語り
女将の口から、アイヌの歴史も語られます。
ずっと長いこと北海道で幸せに暮らしていたのに、江戸時代に松前藩が置かれてから、苦難が始まったとのこと。
狩猟民族なのに、とつぜん日本民族と同じ農耕をしろと言われたり。
でもやり方を教えてもらえず、言葉もわからず、どうやったらいいのかさっぱりわからなかったり。
酋長が、和睦の席で、毒の入った酒を飲まされて殺されたり。
酔っぱらわせて前後不覚になったところで、都合がよいように書類にサインをさせられ、彼らの土地から強制的に追い出させられたり 。
それってまさに、ネイティブアメリカンと同じような迫害のされ方で、聞いていて胸が痛みます。
国連が認めても、日本国はずっと耳を傾けず、アイヌが先住民族であるとようやく認められるようになったのは、なんと2008年とのこと。
それって最近!洞爺湖サミットがきっかけで、あわてて認可したそうな。
事態は好転したかと思えても、その後も、なかなか進んでいないとのこと。
今は、アイヌのリスト作りをしている段階で、遅々として進まず、保護に至っていないそうです。
さらに、間に立つ団体や研究者が不当に資金を横取りしていた事件も起こったとのこと。
認可が下りても、まだまだ大変なようです。
アイヌのデザインについての説明もしてもらいました。
とがっているところは、そこで魔物を退治する、魔除けの意味があるそうです。
前々から、アイヌとイヌイットのデザインは似ていると思っており、自然崇拝や生活スタイルなどが近いからかしらと考えました。
最後に、アイヌ楽器のムックリを演奏してくれました。
ひもを弾いて鳴らすものと、簡単なものと、両方を。
ひものムックリは、私も持っていたことがありましたが、全く音が出ず、難しいなと思っていました。
そのあと、併設しているお土産屋で女将と少し話をしました。
2日前まではとても寒くて、半袖の人がふるえながら上着を買いにきたため、ポンチョは売り切れだとのこと。
2日前から真夏のような暑さになり、「ようやく夏が来たのかな?」と言っていますが、ちょうど私たちが来た日からというのが残念すぎ。
知床五湖でも日傘の人をかなり見かけました。
自分の持っていたムックリが鳴らなかったという話をしたら、簡単に音が鳴る方をはじかせてくれました。
女将の旦那さんは厚木出身。もはや純アイヌではないわけですね。
息子さんのお嫁さんは春日部出身だとのこと。遠くの血が混ざる、これもいいことでしょう。
女将本人は、阿寒神社で神式挙式だったそうですが、息子 さん夫婦は数年前、40年ぶりにアイヌ式の結婚式を行ったそうです。それはすてき。
「式次第は長老に教わった」と聞いて「長老ってまだいるのね~」とつぶやくチャロ。たしかに!
自分のルーツを大切にでき、出自を自由に誇れる世の中になって、よかったなあと思います。
おかみは、なかなか商売上手で、人がいいチャロは予定外のものも勧められるままに買っていました。
チャロが買ったシケレベ茶を、部屋で飲もうと、急須を借りに調理場に行きましたが、「それは雪平鍋で煮込むものだ」と教えられ、残念ながら飲めずじまい。
しばらく部屋でくつろいで、私は再び温泉へ。
24Hなのがうれしいですが、とにかくアツイアツイ。
それから日記を書いて、就寝しました。
○ 知床峠越え
野付半島からは私が運転を代わりました。
海沿いは、風を一杯に取り込んで、気持ちよいシーサイドドライブ。
快調に運転を進めていきます。
羅臼を通った時に、礼文町という住所を見つけました。 礼文島と紛らわしくないのかしら。
いよいよ知床峠を登ることになります。
知床峠は標高738m。正直言って、できるかわかりません。箱根の山さえ運転したことがないのに、レベル高すぎー。
一合、二合と表示を見ながら上がっていきます。
ところで一合分の高さとは、山の頂上を十合目とみて、標高を十等分した数値だと知りました。
つまり、山によって違うわけですね。
共通した数値だと思って、六合目の時点で(富士山の五合目を越えているのね。え~ウソでしょ~、そのうち呼吸が苦しくなる~)とあせりましたが、まるきり違いました。あせったあ。
峠越えの途中に、私がひそかに好きで、誰も知らいだろうと思っていたマイナー音楽がチャロのiTunesにも入っているということが判明。
それを聴かせてもらい、動揺や感激を一生懸命コントロールしながら、ハンドルを切って行きました。
急カーブも結構あり、勾配もあるため、見る見るうちに上っていきます。
なんとなーく、カーブのガードレールがゆがんでいるような。いえ、考えてはいけないわ。
数え切れないくらいカーブを切り、峠に着いたときには、とても感動しました。
とてもいい見晴らしです。高いところまで登って来たんだなあと、原生林を見下ろしながら思います。
風も少し吹いていて、心地よくはありますが、暑すぎてまともに目を開けられない感じでした。
ドライブ中、シカを何頭も見かけるようになりました。
それだけ自然の中に入って来ているということなのでしょう。
車が2台続けて止まっていたら、なにかいるので見てみよう、というサインだとか。
アフリカのサバンナサファリみたい。
○ 知床五湖
峠で運転を交代し、反対側に下りて知床五湖へ。
世界遺産効果か、駐車場がとても込んでいて、結構待ちました。
これまで静かに旅をしていたのに、ここにきて予想外の大勢の観光客を見たので、驚きました。ツアー客が多いようです。
人の集まる観光地に来たのは、今回初めてかも。
一湖だけを見る木道のほかに、ほかの湖も周るループ道もあると言われます。
本当は、五湖全てを見たかったのですが、外にいるだけで汗が出るような厳しい暑さに負けて、木道の方だけにしました。
ループは、立ち入り申請書を書き、お金を払ってヒグマ対策のレクチャーを受けるとのこと。
本当にクマがでる地域なんだと実感します。
リンリンとクマよけの鈴を鳴らしている人が何人もいました。
バリアフリーの高架木道は長さ1.6kmで、360度の景色が開けています。
本当はすがすがしい木道なんでしょうけれど、さえぎるものなく日光を浴びるため、じりじりと焦げ付きそう。
誰もが日差しの強さに参っているようです。道東は涼しいと聞いていたのに、こんなに暑いなんて。
鹿があちこちでのんびり竹笹をはんでおり、みんな人垣を作って上からのぞいていました。鹿の子模様がかわいい。
「木道といえば、東電がああなってしまって、尾瀬の運営は大丈夫かしら?」という話になりました
知床は財団があり、世界自然遺産になったため、問題ないでしょう。
ただ、エゾシカが過去10年間で10倍の数に急増したため、生態系へのダメージが危惧されていることは、知りませんでした。
木の樹皮や花を食べるため、植生の変化が深刻なんだそうな。
エゾシカを捕獲するようになり、少しずつその事態は落ち着いてきていると、環境省の報告にありました。
かわいいシカさんですが、厄介ものだったとは。
高架木道の終点には回転ドアがあり、一方通行にしか出られないようになっていました。
「クマを見ても、お静かに」と言う表示を見つけます。
えっ、騒いではいけないの?静かにしていたら、そのまま食べられちゃう~!
帰り路、チャロはカムイワッカ滝への道路が通行止めになっていないか気にしていましたが、もはや暑さでぽーっとなっている私には、その理由がよくわかりませんでした。
そこからウトロまでは20km。どんどん坂を下りていきました。
北海道を通っていると「別」という地名によく出会います。
登別、江別、湧別など。倉本聡作品に、悲別という架空の地名もありました。
字を見ていると、なんだか寂しくなりますが、別とは川の流れという意味なんだとか。
そう思えば、特に切ない意味というわけではないんですね。
○ 酋長の家
5時すぎに今日の宿にチェックインしました。
酋長の家という名前で、なんだかネイティブアメリカンを連想しますが、そこではアイヌのおもてなしをしてくれるとのこと。
アイヌには、ほとんど縁がありません。
国語の教科書で読んだ『銀のしずく降る降る』の知里幸恵さんの話や、母にアイヌの血の混ざったエキゾチックな美人の友人がいた話くらい。
初めての北海道旅行で、アイヌの人からキタキツネの木のブローチを買った時、「ピリカリカ」と名前を彫ってもらったのが嬉しくて、今でも取ってあります。
もう少し知りたいと、『アイヌ文化フェスティバル2001』に参加し、そこでムックリをもらったこともあります。
でもその程度で、ネイティブのアイヌの人と話をする機会はないかもしれないと思っていました。
冷房のきいた部屋に通され、ほっと一息。
宿のそばには丸い大きな島のような場所があり、気になります。
チャロは部屋でのんびりしていると言ったため、私一人でその岩へ行ってみることにしました。
港もすぐそばで、カモメがたくさんいましたが、日中の港は、人気がなく閑散としています。カモメと漁船と私だけ。
ちょうど、遊覧船から大勢の人が降りてきました。知床観光遊覧船の発着所がすぐそばにあるようです。
○ オロンコ岩
岩の名前はオロンコ岩。遠くから見ても、近くから見ても、こんもりとした形のいい岩へと近づいていきます。
トンネルが通っているほどの、なかなか巨大な岩。
宿の人に聞いたら、上に登れるということだったため、道を探してぐるりと回り込み、階段を見つけて上がることにしました。
岩の上までは高さ60m。かなりきつい傾斜の階段に息が切れ、途中で何度も休みます。そしてとにかく、じりじりとした暑さに参りそう。
この日一番、汗だくになりました。
すっかり息が上がって、ゼイゼイしながら、ようやくの思いで上った岩は、言葉に尽くせないほどの眺望でした。
ほかにも近くにごろごろある奇岩が一望でき、眼下の港の様子や、遠方の知床半島まで見渡せました。
緑でいっぱいのところを、体温の上がった身体で歩いたため、虫に刺されないか気にしながらも、岩の上をぐるりと一周します。
上って降りる間に5人の人とすれ違ったので、挑戦者は割と多いように感じました。
知床10景の一つだそうです。
西日が差して、海はまぶしく輝いています。
なんとか写真に収めたかったのですが、日差しのきつさに断念し、目に焼き付けてきました。
あまりの暑さに扇子を取り出してあおぎますが、下りの階段も急で、そんなのんきなことはしていられませんでした。
ここでたくさん日光を浴びてしまったよう。
帰り路にはゴジラ岩がありました。
たぶん姿形がゴジラのようだからだろうけれど、どちらかといえば、顔はキングコングにそっくり。
でもスリムだから、身体つきは違うので、やっぱりゴジラなのかなあ。
なんだかもうどっちでもよいです。とにかく迫力ある岩でした。
宿に戻り、ほてってのぼせきった身体を清めに、すぐにお風呂へ。
この宿はウトロ温泉の源泉を引いています。
お湯は少し濁った色で、水を足しながらでないととても入れないほどの熱さでした。
○ アイヌ料理
さっぱりしてひと心地ついてから、夕食へ。
アイヌ料理を出してもらいました。見たことのない不思議な料理が並んでいます。
カニがでんとありました。
少ししたら、宿の女将が登場し、自分語りを始めました。
父親が阿寒湖アイヌコタン (集落)の酋長だったことから、宿の名前を酋長の家と名付けたとのこと。なるほど、そういう由来だったのね。
料理の説明をしてくれました。どれもすべて手作りで、だしは昆布から、塩辛も自家製とのこと。
鮭ではなく、鱒のちゃんちゃん焼きというのが新鮮。
鮭の白子を揚げたものや、かぼちゃ、もろこし、金時豆、クルミ、とうもろこしをつぶしてあえたラタシケップという食べ物など、とにかく初めて目にするものばかり。
キハダの実の、シケレベ茶は、聞くのも初めてです。
黄緑色で、はじめ熊笹茶だと思いました。
鹿肉は少しレアな感じが残っていましたが、3日以上煮込んで柔らかくしたもので、きちんと味付けされてあり、おいしかったです。
時間をかけてごはんをいただき、すっかりおなかいっぱいに。
カニは手伝ってもらいました。
大地のエネルギーを体内に取り込むようなアイヌ料理。
○ 女将の語り
女将の口から、アイヌの歴史も語られます。
ずっと長いこと北海道で幸せに暮らしていたのに、江戸時代に松前藩が置かれてから、苦難が始まったとのこと。
狩猟民族なのに、とつぜん日本民族と同じ農耕をしろと言われたり。
でもやり方を教えてもらえず、言葉もわからず、どうやったらいいのかさっぱりわからなかったり。
酋長が、和睦の席で、毒の入った酒を飲まされて殺されたり。
酔っぱらわせて前後不覚になったところで、都合がよいように書類にサインをさせられ、彼らの土地から強制的に追い出させられたり 。
それってまさに、ネイティブアメリカンと同じような迫害のされ方で、聞いていて胸が痛みます。
国連が認めても、日本国はずっと耳を傾けず、アイヌが先住民族であるとようやく認められるようになったのは、なんと2008年とのこと。
それって最近!洞爺湖サミットがきっかけで、あわてて認可したそうな。
事態は好転したかと思えても、その後も、なかなか進んでいないとのこと。
今は、アイヌのリスト作りをしている段階で、遅々として進まず、保護に至っていないそうです。
さらに、間に立つ団体や研究者が不当に資金を横取りしていた事件も起こったとのこと。
認可が下りても、まだまだ大変なようです。
アイヌのデザインについての説明もしてもらいました。
とがっているところは、そこで魔物を退治する、魔除けの意味があるそうです。
前々から、アイヌとイヌイットのデザインは似ていると思っており、自然崇拝や生活スタイルなどが近いからかしらと考えました。
最後に、アイヌ楽器のムックリを演奏してくれました。
ひもを弾いて鳴らすものと、簡単なものと、両方を。
ひものムックリは、私も持っていたことがありましたが、全く音が出ず、難しいなと思っていました。
そのあと、併設しているお土産屋で女将と少し話をしました。
2日前まではとても寒くて、半袖の人がふるえながら上着を買いにきたため、ポンチョは売り切れだとのこと。
2日前から真夏のような暑さになり、「ようやく夏が来たのかな?」と言っていますが、ちょうど私たちが来た日からというのが残念すぎ。
知床五湖でも日傘の人をかなり見かけました。
自分の持っていたムックリが鳴らなかったという話をしたら、簡単に音が鳴る方をはじかせてくれました。
女将の旦那さんは厚木出身。もはや純アイヌではないわけですね。
息子さんのお嫁さんは春日部出身だとのこと。遠くの血が混ざる、これもいいことでしょう。
女将本人は、阿寒神社で神式挙式だったそうですが、息子 さん夫婦は数年前、40年ぶりにアイヌ式の結婚式を行ったそうです。それはすてき。
「式次第は長老に教わった」と聞いて「長老ってまだいるのね~」とつぶやくチャロ。たしかに!
自分のルーツを大切にでき、出自を自由に誇れる世の中になって、よかったなあと思います。
おかみは、なかなか商売上手で、人がいいチャロは予定外のものも勧められるままに買っていました。
チャロが買ったシケレベ茶を、部屋で飲もうと、急須を借りに調理場に行きましたが、「それは雪平鍋で煮込むものだ」と教えられ、残念ながら飲めずじまい。
しばらく部屋でくつろいで、私は再び温泉へ。
24Hなのがうれしいですが、とにかくアツイアツイ。
それから日記を書いて、就寝しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます