林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

Steptwo-東京大手私鉄乗り潰しの旅10.

2020-10-16 | 鉄道・旅行

 10.新宿の彷徨と中野の断念-旅の終わり

新宿で下車したのは2:00p.m.前で、
このまま帰るのは少し早すぎると思ったので、
小田急の改札を出て少し新宿の街を彷徨する。
新宿西口には以前から気になっていた巨大構造物を取材する。

これも家に帰ってから調べて分かったのだが、
地下街の排気口と換気口となっているようだ。
そこに蔦が絡まり、まるで小さな山のようになっている。
このあと東口の方に抜けて歌舞伎町に行く。

テレビ中継などで有名な「歌舞伎町一番街」のアーケードである。
繁華街の象徴としてたびたび登場しているが、
ディープな歌舞伎町はこの奥にある。
進んでいくとTOHOシネマズがあり、屋上にはゴジラが覗いている。

これはゴジラヘッドといわれ、観光地になっている。
元は新宿コマ劇場があった場所である。
このあと東口まで行く。
東口といえばスタジオアルタである。

言わずと知れたフジテレビのお昼の名物番組「笑っていいとも」の、
公開生放送をやっていた場所で、このビルは番組冒頭などで良く映っていた。
このあとそのまま中野に行き、
ここで以前から行ってみたかったレンガ坂に行く。

素敵な通りだが、思ったよりも距離が短かった。
このあと、中野で何時も行っている「ハンバーグハウス」で、
ハンバーグを喰おうと思ったが、閉店していた。
仕方がないので、中野での夕食は諦めそのまま帰宅する。

家に戻って机の上を見たら、
やはり予定表がそのまま置かれていた。

とほほ・・・。

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Steptwo-東京大手私鉄乗り潰しの旅9.

2020-10-15 | 鉄道・旅行

 9.小田急多摩線の完乗と寝落ちの新宿行き各駅停車

武蔵野線で北府中から改めて府中本町に行き、
ここで南武線に乗り換え、登戸まで行く。
登戸は既に取材済みなので駅取材はせずにそのまま乗り換える。
今回乗り換えて初めて知ったが、
小田急登戸駅はドラえもんが至る所に得かがれていた。
駅名標までドラえもん仕様となっていた。

この時は分からなかったが、
登戸駅は藤子・F・不二雄ミュージアムの最寄り駅のひとつで、
小田急がそれに乗ってこの駅をドラえもん仕様にしたようである。
しかし実際はここから約1.4kmにあり、
徒歩で行くのはちょっとしんどい距離である。
ここで唐木田行きの急行に乗り換え、終点まで行く。
小田急多摩線は新百合ヶ丘から分岐するが、直通する列車も多い。

小田急電鉄唐木田駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する多摩線の駅である。
多摩線の終着駅であり、全ての列車が折り返す。
また喜多見検車区唐木田出張所が近接しており、回送列車も多い。
配線上から喜多見検車区唐木田出張所への回送は、
2番線、3番線が使用され、1番線からはスイッチバックが必要である。
多摩線は多摩ニュータウンへのアクセス線として、
1974年6月1日に新百合ヶ丘から小田急永山までの区間が開業、
1975年4月23日に小田急多摩センターまで延伸、
1990年3月27日に唐木田まで延伸して全通した。
駅所在地が東京都多摩市唐木田一丁目のため、
駅名も「唐木田」となったが、
ホームの北端から南端までの大部分は多摩市中沢地区にある。

駅取材して乗って来た電車が折り返し新宿行き各駅停車だったため、
これに乗って登戸まで戻り、ここで南武線に乗り換えてそのまま立川まで行く。
立川で夕食を喰ってから中央線に乗り換えて三鷹まで行き、
ここで始発の中央・総武緩行線に乗り換えて帰宅する…予定だった。
しかし蓄積していた疲労のせいか、車中で爆睡してしまい、
目が覚めたのは下北沢を過ぎた辺りだった。
仕方がないのでそのまま小田急新宿まで行くことにした。
ここで30000形EXEα「はこね」を見掛けて取材する。

これは汎用型ロマンスカーとして1996年にデビューした、
30000形EXEを2017年にリニューアルした車両である。

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Steptwo-東京大手私鉄乗り潰しの旅8.

2020-10-14 | 鉄道・旅行

 8.北府中の緊急下車と再びのEF65形2060号機

西国分寺から2つ先の府中本町まで行くことにしたが、
途中の北府中で車窓からEF65形500番台を見掛け、
予定にはなかったが急遽ここで下車することにした。
下車して見てみると、EF65形535号機だった。

しかしパンタグラフは下ろされ、
構内入れ替え用のディーゼル機関車に繋がれていた。

EF65形1965年に国鉄が開発した、
平坦地区用の直流電機機関車である。
基本番台は貨物列車牽引用として135両が製造された。
単機使用の非貫通型前面である。
一方、500番台は高速客車列車牽引用のP形、
高速貨物列車牽引専用としてF形がそれぞれ17両ずつ製造された。
500番台も基本番台と同じ1965年に誕生している。
500番台は運用が限定されていたため、
旅客列車、貨物列車両方に使用可能な汎用機として、
1969年にPF形として1000番台が誕生している。
こちらは重連の使用も考慮して貫通型の前面になっている。

EF65形535号機1968年に基本番台から改造して誕生した。
国鉄分割民営化後、JR貨物高崎機関区に配属された。
しかしEF65形535号機は2004年12月11日の、
JR貨物高崎機関区の一般公開で既に取材済みだった。

ここから再び府中本町に行こうと思い電車の到着を待っていると、
貨物列車が通過していった。
牽引機はEF65形2060号機だった。

これはSteponeで成田線我孫子支線の乗り潰しと榎戸、成東の駅取材のあと、
千葉駅で通過した列車の牽引機だったELである。
緊急事態解除後の旅は、このELに見守られているのかもしれない。

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Steptwo-東京大手私鉄乗り潰しの旅7.

2020-10-13 | 鉄道・旅行

 7.小田急アクセスのルートと武蔵野線車両

国分寺ではちょうど東京都知事選がまっただ中で、
南口では候補者が街頭演説をしていた。
昼食を喰える場所を探して南口駅前を歩いたが、
適当なところが見つからず北口に出て、
駅前にあった元祖博多中州屋台の看板のある、
「ラーメン一竜」に行き、味玉ラーメンと明太めしを喰う。
このあと小田急多摩線に行くが、
予定表を家に忘れてきてしまったため、行き方が分からない。
スマホで検索したら、中央線で新宿まで行き、
小田急小田原線で新百合ヶ丘に行くと出た。
新百合ヶ丘から唐木田までが小田急多摩線で、
この区間を乗り潰すのが今日の最後の目的となる。
国分寺駅のJR中央線切符売り場に行き、
券売機の上に掲げられた路線図を見て、考えた。
確か以前JRから小田急に乗り換えた時、
登戸で乗り換えたことを思い出した。
そこで南武線登戸に行く方法を路線図で見て、
中央線から南武線に行くには、
武蔵野線経由で行くことを思いだし、
国分寺から中央線で隣の西国分寺まで行き、
武蔵野線に乗り換えて終点の府中本町、
ここで南武線に乗り換えて登戸まで行く。
このルートで小田急にアクセスすることに決め、
まずは西国分寺まで行く。
西国分寺では地上に中央線、高架線に武蔵野線が十字に交差している。

武蔵野線のE231系は中央・総武緩行線からの転入車で、
山手線E235系投入で余剰となったE231系500番台が、
11両編成から10両編成に変更されて中央・総武緩行線に転入、
そのため余剰となったE231系が玉突きで武蔵野線に転入したのだ。
山手線にE231系500番台が投入された時も、
余剰となった205系が短編成化されて各地に転出している。
そのうちの一部は武蔵野線にも来ていて、
武蔵野線は山手線の新型車両が投入されるたびに、
余剰車が転入してくる運命になっているようだ。

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2020-10-12 | 更新情報

「signboard of station」を第145回更新しました。

「い」に筑肥線伊万里駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/


「気動車」を第826回更新しました。

JR一般形にキハ126-1011の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/

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2020-10-11 | 更新情報

「Station-駅から始まる物語」を第1280回更新しました。

708.JR指宿枕崎線西大山駅に画像追加いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「signboard of station」を第144回更新しました。

「か」に筑肥線唐津駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/


「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第550回更新しました。

「ディーゼル機関車 図鑑」にDE10形1118号機を公開いたしました。

http://encyclopedia.shikisokuzekuu.net/


「ライトレールの時代」を第161回更新しました。

富山地方鉄道市内線を更新しました。

http://lightrail.nekonikoban.org/


「旅の徒然に」を第601回更新しました。

「全国普通鉄道 乗り潰しの旅」に「相鉄・JR直通線の完乗」を公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/

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2020-10-10 | 更新情報

「signboard of station」を第143回更新しました。

「さ」に篠栗線篠栗駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/


「気動車」を第825回更新しました。

第三セクターの若桜鉄道WT3300形WT3301の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/

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Steptwo-東京大手私鉄乗り潰しの旅6.

2020-10-09 | 鉄道・旅行

 6.小平の乗り間違いと多摩湖線のコラボ色車

東村山から西武新宿線で2つて前の小平に戻る。
西武園線から乗り換えた時に、
30000系「スマイルトレイン」も取材できた。

小平から拝島線に乗り換えて隣の萩山に行く。
…予定だったが、乗り込んだ列車は久米川に到着した。
この駅は東村山から小平に行く途中にあった駅である。
拝島線に乗り込んだつもりが、
再び西武新宿線の下りに乗り込んでしまった。
とほほ…。
久米川で慌てて下車し、反対側へホームに行って小平まで戻り、
改めて拝島線に乗り込む。
予定では小平で昼食を喰おうと思い、
候補の店も事前に調べておいたのだが、
予定が前倒しになったため、店が開くまで30分近くあった。
そこで国分寺に出てから昼食を撮ることにして、
拝島線で萩山まで出て、多摩湖線に乗り換えて国分寺に出る。

乗り込んだ電車が新101系は、
「伊豆箱根鉄道創業100周年コラボレーション色」だった。
伊豆箱根鉄道は西武鉄道が株式の4分の3以上を所有する、
西武ホールディングス傘下の鉄道事業者で、
三島から修善寺までの駿豆線19.8km、
小田原から大雄山までの大雄山線9.6kmの2路線を所有する。
駿豆線で使用されている1300系は、
元西武鉄道新101系が種車となっており、
この車両の塗色を西武鉄道所有の新101系で再現している。

 ※参考 伊豆箱根鉄道1300系 
  撮影日時 2015/06/10 9:39:01

国分寺まで戻り、西武鉄道の完乗は完了した。
ここから小田急多摩線の乗り潰しに出掛けるが、
その前にここで腹ごしらえである。

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Steptwo-東京大手私鉄乗り潰しの旅5.

2020-10-08 | 鉄道・旅行

 5.西武鉄道西武園線と西武園駅

西武西武園線は東村山から2.4kmの、
起点と終点しかない盲腸線である。
開業させたのは西武新宿線系統を敷設した西武鉄道である。

西武鉄道新宿線系統は川越鉄道が1894年に、
現在の国分寺線や新宿線の一部を開業させたことに始まり、
1920年に川越電気鉄道が武蔵野水電に吸収合併され、
1921年に後の都電杉並線となる西武軌道を吸収合併している。
武蔵野水電は1922年11月1日に帝国電灯に吸収合併されるが、
同年11月16日に鉄道部門を独立させて、
武蔵鉄道に鉄軌道事業を譲渡し社名を「西武鉄道」とした。

西武園線は新宿線系統として、
1930年4月5日に村山線の名称で敷設された。
開業時は東村山から2.8km先に村山貯水池前が仮設駅として開業した。
開業時は現在の八高線箱根ヶ崎までを結ぶ、
箱根ヶ崎線が母体であり、その部分開業だった。
村山貯水池前は1939年1月27日に正式駅となり、
1941年3月1日に狭山公園に改称された。
戦時中の1944年5月10日に不要不急線として休止、
戦後の1948年4月1日に再開、
同時に狭山公園を村山貯水池に改称した。
1950年5月23日に野口信号場から分岐して、
0.5kmの距離に西武園臨時駅が開業した。
1951年3月1日に野口信号所から村山貯水池の区間が廃止、
村山貯水池は西武園に統合、臨時駅だった西武園が常設駅となった。
路線名が1952年3月25日に西武園線に改称された。

西武園駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する。
北口は西武園競輪場に近接しており、
原則として普段は島式の2番線、3番線を使用し、
単式ホームの1番線は臨時ホームで競輪開催日などに使用される。

今は西武園競輪も開催されてはいるものの、
6月は新型コロナウイルスの影響で無観客での開催になっている。
このあと09:55発の東村山行きで戻る。

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Steptwo-東京大手私鉄乗り潰しの旅4.

2020-10-07 | 鉄道・旅行

 4.高田馬場の乗り換えと田無駅の安全確認の影響

予定表を持参し忘れたが、まずやるべきことは、
新宿から西武新宿線に乗ることでさすがにこれは分かっている。
しかし信濃町辺りで車窓からは雨が降っているのが見えた。
JR新宿東口から西武新宿駅まで徒歩移動することにしていたが、
小雨で傘もないためにこの徒歩移動は断念することにした。
西武新宿線は新宿ではJR新宿に乗り入れていないが、
高田馬場では駅が接続していて、中間改札も設置されている。
ここなら雨に濡れずに乗り換えられる。
そこで中央・総武緩行線で新宿に到着した時、
同時刻で接続した08:41発の山手線外回りに飛び乗る。
2つ先の高田馬場で下車して、
早稲田口の西武新宿線乗り換え口から乗り換える。
西武新宿線高田馬場駅のホームの中で路線図を探し、
それを見て西武園に行くには、東村山で乗り換えればいいと分かった。
西武新宿線は小平で拝島線に乗り入れる運転系統もあり、
西武新宿線終点の本川越行きに乗ればいいとわかり、
09:06発の急行本川越行きに乗り込む。
この急行は高田馬場を出ると、
鷺ノ宮、上石神井、田無と停車し、
ここからは各駅に停車して本川越まで行く。
しかし田無の隣の花小金井に停車した時に、
出発時間になっても発車しなかった。
不思議に思っていると、車内放送で車掌が、
「田無駅のホーム上での安全確認の影響で…」
運転を停止しているとのこと。
しかし乗っている列車は問題ないということになり、
約5分遅れで花小金井を出発し、
東村山には4分遅れの09:40頃に到着した。
西武園線もこの列車の到着を待って接続発車してくれたため、
慌てて乗り込んだ。

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Steptwo-東京大手私鉄乗り潰しの旅3.

2020-10-06 | 鉄道・旅行

 3.雨の予報と予定強行、ありえへん大失態-旅の始まり

6月21日日曜日の1週間の天気予報では、
降水確率が50%となっていて、
その後も天気予報では傘マークだったり、
時には曇りマークだったりしたが、
それでも降水確率は40%で雨の危険性は残っていた。
前日の1時間ごとの天気予報では全て曇りマークで、
降水確率は早朝が50%や60%、
あとは10%から20%だったため、
少し迷ったが予定を強行することにした。
1週間後の6月28日日曜日は降水確率70%になっていたため、
今週に決行するべきだと判断、
6月21日日曜日に予定を強行することにした。

当日は07:40幕張駅始発の中央・総武緩行線で新宿まで行く。
今回は割引切符などは使用せず、全てSuicaで移動する。
始発電車なので車内も空いている。

電車に乗ってからありえへん大失態に気付いた。
事前に予定表を一太郎で作成、プリントアウトしておいたのだが、
それを自宅に忘れてきてしまったのだ。
細かい予定は予定表を見ないと分からない。
この予定表を途中でなくしたことはあったが、
最初から持参し忘れたことはさすがにない。
これではこの先如何したらいいのか分からなくなったしまった。

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ホームページ更新

2020-10-05 | 更新情報

「Station-駅から始まる物語」を第1279回更新しました。

806.JR肥薩線吉松駅を加筆修正および画像追加いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「signboard of station」を第142回更新しました。

「ふ」に西鉄天神大牟田線二日市駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/


「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第549回更新しました。

「廃車&保留車 客車」に24系オハ25 551を公開いたしました。

http://encyclopedia.shikisokuzekuu.net/


「ライトレールの時代」を第160回更新しました。

富山地方鉄道市内線を更新しました。

http://lightrail.nekonikoban.org/

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2020-10-04 | 更新情報

「Station-駅から始まる物語」を第1278回更新しました。

111.JR高崎線高崎駅を加筆修正および画像追加いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「signboard of station」を第141回更新しました。

「た」に西鉄太宰府線太宰府駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/


「気動車」を第824回更新しました。

第三セクターの智頭急行HOT3500系HOT3509の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/

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2020-10-03 | 更新情報

「signboard of station」を第140回更新しました。

「あ」に西鉄甘木線甘木駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/

 

「気動車」を第823回更新しました。

第三セクターの智頭急行HOT3500系HOT3507の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/

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Steptwo-東京大手私鉄乗り潰しの旅2.

2020-10-02 | 鉄道・旅行

 2.“4月の晴れた土曜日に”から“6月の晴れた日曜日に”

3月に企画した時点では勤務シフトが、
平日月曜から金曜の早番で、土曜日が日直対応だったが、
6月から勤務シフトが変更し、
火曜から土曜の遅番固定に変更となった。
そのため休日が日曜と月曜になったため、
今回の企画も日曜日に変更することにした。

「4月の晴れた土曜日に」の企画では、
07:40幕張駅始発の総武緩行線で新宿まで行き、
ここで西武新宿駅まで移動、この時同時に朝食を喰う。
西武新宿から西武新宿線で東村山まで行き、
ここで西武西武園線で西武園まで往復、駅取材する。
東村山から西武新宿線で小平まで行き、
ここで駅取材後に昼食を喰う。
小平から西武拝島線で萩山まで行き駅取材、
萩山から西武多摩湖線で国分寺に出て、
JR中央本線に乗り換えて隣の西国分寺、
武蔵野線に乗り換えて終点の府中本町まで行き、
南武線で小田急小田原線と接続する登戸まで行く。
ここで多摩線直通で唐木田まで行き駅取材する。
折り返して新百合ヶ丘でも駅取材、
小田急小田原線で登戸まで行き、
JR南武線に乗り換えて立川まで行きここで夕食を喰う。
中央快速線で三鷹、中央・総武緩行線に乗り換えて帰宅する。

この企画をそのまま流用し、6月の日曜日に予定を決行することとして、
自粛要請段階的解除ステップ2に入った最初の日曜日、
6月21日日曜日に決行することにした。

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