1.三陸鉄道-成立と3つの路線、そして東日本大震災
三陸鉄道は岩手県が中心となって宮古市、大船渡市、
一関市、久慈市、釜石市などの沿線自治体と、
沿線企業が出資して1981年11月10日に設立された、
第三セクター鉄道事業者である。
明治期の三陸縦貫鉄道構想が礎になっており、
戦前の1939年9月17日に釜石から宮古までの山田線が開業、
戦後になって1972年2月27日には宮古から田老の宮古線、
1973年7月1日には盛から吉浜までの盛線、
1975年7月20日には普代から久慈までの久慈線が相次いで開業した。
しかしこのあとは国鉄の財政悪化により建設が凍結、
未成線の吉浜から釜石までの15.2 km、田老から普代までの32.2 kmは、
路盤は既に完成しており、レールの敷設もほぼ終了していた。
更に1981年9月18日には盛線、宮古線、久慈線も、
国鉄再建法による第1次特定地方交通線に指定され廃止が決定された。
これを受けて岩手県と沿線自治体は廃止線、未成線を引き受け、
第三セクターの三陸鉄道を設立して未成線の工事を継続、
1984年4月1日に宮古から久慈までの北リアス線、
盛から釜石までの南リアス線が開業した。
この時点で三陸鉄道の路線は山田線を挟んで、
北リアス線と南リアス線に分断されていた。
そして2011年3月11日の東日本大震災が発生、
直後は全線でが不通になっていたが、その後順次開業していった。
しかし災害復興により経営が悪化、上下分離方式が検討された。
山田線のうち、宮古から釜石までの区間は、
JR東日本が復興させた上で同区間を三陸鉄道に移管、
2019年3月23日に山田線宮古から釜石までの区間と、
北リアス線、南リアス線の含めて全区間がリアス線となった。
リアス線の盛から久慈までの区間は163.0kmとなり、
第三セクター鉄道としては日本最長である。
しかし成立の経緯から旧路線名では、
北リアス線が宮古から久慈までの71.0km、
南リアス線が盛から釜石までの36.6km、
そして東日本大震災後に転換された旧山田線の区間が釜石から宮古の55.4kmである。
この中で旧北リアス線の区間は2007年7月21日土曜日に、
ジョイフルトレイン「kenji」を使用した臨時列車快速「さんりくトレイン北山崎号」で、
盛岡から山田線で宮古まで行き、北リアス線で久慈まで乗り潰している。
一方で山田線は乗り潰したのは盛岡から宮古までの区間のみで、
宮古から釜石までの区間は未乗車のまま、
南リアス線も全区間未乗車のままだった。