7.福知山線の完乗とJR西日本のトラウマ
福知山線は馬車軌道として川辺馬車鉄道によって尼ヶ崎(現・尼崎)から伊丹まで敷設されたのが始まりで、
軽便鉄道に改築して1893年12月12日に尼崎から池田(現・川西池田)までを開業、
川辺馬車鉄道は社名を摂津鉄道に変更した。
摂津鉄道は1897年2月16日に阪鶴鉄道と合併、改軌の上同年12月27日に宝塚まで延伸された。
阪鶴鉄道はその後も延伸を続け、1899年7月15日に福知山南口(現・福知山)まで延伸した。
福知山から綾部、新鶴舞(現・東鶴舞)までは官設鉄道として開業、
阪鶴鉄道は1907年8月1日に国有化、1909年10月12日の線路名称制定で阪鶴線となる。
1912年3月1日の線路名称改定で阪鶴線のうち福知山以南が福知山線となる。
福知山線を語る上でどうしても外せないのが2005年4月25日の福知山線脱線事故である。
尼崎から塚口に至るカーブを速度超過した207系が7両編成の快速電車の前5両が脱線、
沿線に建っていたマンションに叩き付けられ、乗員乗客107名が死亡するという悲惨な事故となった。
現場は半径304mという急カーブになっており、東海道本線から福知山方面に大きく弧を描いている。
そのため速度超過が起こりやすい場所として以前から知られていたという。
07:54に大阪駅を出た丹波路快速は東海道本線を尼崎まで行き、ここに停車する。
尼崎を出ると徐行しながら福知山線への分岐に行き、徐行しながら事故現場のカーブを曲がる。
本当に恐る恐る走っているという感じで、ここまでゆっくり出なくても大丈夫だと思うのだが、
やはのこの場所はJR西日本にとっては特別な場所であり、10年以上経ってもトラウマは消えないのだろう。
カーブを曲がりきって直線になっても徐行は続いたが、坂口を過ぎた当たりからスピードを上げる。
まるで事故現場は息を止めて通り過ぎたように元の快速電車に戻って伊丹まで進んでいく。
1時間9分で篠山口まで行き、ここで普通列車に乗り越える。
さらに57分の旅で終点の福知山まで行く。
福知山は福知山線の終着駅であり、山陰本線の駅でもある。
また京都丹後鉄道宮福線の終点でもあり、MF100形104が停車していた。
停車している115系6000番台、115系6500番台などを撮影して改札を出た。