26.出雲大社-2度目の参拝
出雲大社は正式には「いずものおおやしろ」と云うそうである。
その創建については古事記、日本書紀にも記されており、
日本の神社の中でも古くから信仰を集めてきたものの一つである。
古事記などによると、天津神の住む高天原から追放された素戔嗚尊の子孫である、
大国主が出雲の国を治めていたが、天照大神は自分の直系の子孫が治めるべきとして、
建御雷神を使わして国譲りを迫り、その条件として立てられたとするのが出雲大社である。
創建当時は十六丈、現在のメートル法に直すと約48mもあったという。
以前はその真偽が疑われていたが、2000年に柱のうちのひとつが見つかり、
発掘調査したところ、直径1mあまりの柱を3本重ねて1本の柱としたという、
出雲大社宮司家に伝わる「金輪御造営差図」の証拠が出てきたため、
古来出雲大社が実際に48mの高さを誇っていたという説が実現性を帯びてきた。
今は江戸時代に立て直された24mの大きさになっていて、
まわりを瑞垣という回廊に囲まれ直接見ることは出来ないが、
48mの時代なら誰でも直接本殿を見ることが可能であったに違いない。

堀川を越えたところに建てられたコンクリート製の大鳥居、
宇迦橋の大鳥居が出雲大社“一の鳥居”にあたる。
ここから神門通りを進むと国道431号と交差する交差点があり、
ここに木製の“二の鳥居”がある。

今日は出雲でマラソン大会があったようで、
走り終えたランナーたちの中にも、出雲大社へ参拝する人が多くいた。
そういえば、一畑電車で出雲大社に向かってくる途中も、
沿道を走るランナーの姿を多く目にしたし、
中には一畑口から電車に乗り込むランナーもいた。
マラソンって、電車乗ってもいいものなのだろうか・・・。
松の参道を進むと途中に鉄で出来た“三の鳥居”があり、
その先の荒垣の中に銅製の“四の鳥居”がある。

四の鳥居を潜るといよいよ拝殿が見えてくる。

失火によって昭和34年に建て替えられたという拝殿。
ここで祈祷などが執り行われるという。
拝殿を回り込むと瑞垣で囲われた本殿があり、
その正面には八足門がある。

ここからは先は中には入ることが許されず、通常はここで参拝する。
ここでの参拝の仕方は通常の神社と違って、
“2礼4拍手1礼”というのは、今ではよく知られている。
八足門の先には玉垣で囲まれた本殿がある。
しかし特別拝殿が許される期間を除いてはその姿を見ることは出来ない。
本当は瑞垣を左回りに進んで社殿を参拝すべきなのだが、
時間が遅いためか、警備員がロープを持って止めていた。
とほほ・・・。
本殿を右に行くと神楽殿がある。

日本一大きいとされる注連縄で有名である。
日曜日だったため、参拝する人が行列をなしていた。
出雲大社前駅まで戻り、16:59川跡行きに乗り込む。
時間までもう一度デハ52などを取材する。
川跡に17:10に到着し、松江しんじ湖温泉から来た列車に17:12に接続、
構内踏切を渡ってこれに乗り込み、電鉄出雲市まで戻る。
出雲大社は正式には「いずものおおやしろ」と云うそうである。
その創建については古事記、日本書紀にも記されており、
日本の神社の中でも古くから信仰を集めてきたものの一つである。
古事記などによると、天津神の住む高天原から追放された素戔嗚尊の子孫である、
大国主が出雲の国を治めていたが、天照大神は自分の直系の子孫が治めるべきとして、
建御雷神を使わして国譲りを迫り、その条件として立てられたとするのが出雲大社である。
創建当時は十六丈、現在のメートル法に直すと約48mもあったという。
以前はその真偽が疑われていたが、2000年に柱のうちのひとつが見つかり、
発掘調査したところ、直径1mあまりの柱を3本重ねて1本の柱としたという、
出雲大社宮司家に伝わる「金輪御造営差図」の証拠が出てきたため、
古来出雲大社が実際に48mの高さを誇っていたという説が実現性を帯びてきた。
今は江戸時代に立て直された24mの大きさになっていて、
まわりを瑞垣という回廊に囲まれ直接見ることは出来ないが、
48mの時代なら誰でも直接本殿を見ることが可能であったに違いない。

堀川を越えたところに建てられたコンクリート製の大鳥居、
宇迦橋の大鳥居が出雲大社“一の鳥居”にあたる。
ここから神門通りを進むと国道431号と交差する交差点があり、
ここに木製の“二の鳥居”がある。

今日は出雲でマラソン大会があったようで、
走り終えたランナーたちの中にも、出雲大社へ参拝する人が多くいた。
そういえば、一畑電車で出雲大社に向かってくる途中も、
沿道を走るランナーの姿を多く目にしたし、
中には一畑口から電車に乗り込むランナーもいた。
マラソンって、電車乗ってもいいものなのだろうか・・・。
松の参道を進むと途中に鉄で出来た“三の鳥居”があり、
その先の荒垣の中に銅製の“四の鳥居”がある。

四の鳥居を潜るといよいよ拝殿が見えてくる。

失火によって昭和34年に建て替えられたという拝殿。
ここで祈祷などが執り行われるという。
拝殿を回り込むと瑞垣で囲われた本殿があり、
その正面には八足門がある。

ここからは先は中には入ることが許されず、通常はここで参拝する。
ここでの参拝の仕方は通常の神社と違って、
“2礼4拍手1礼”というのは、今ではよく知られている。
八足門の先には玉垣で囲まれた本殿がある。
しかし特別拝殿が許される期間を除いてはその姿を見ることは出来ない。
本当は瑞垣を左回りに進んで社殿を参拝すべきなのだが、
時間が遅いためか、警備員がロープを持って止めていた。
とほほ・・・。
本殿を右に行くと神楽殿がある。

日本一大きいとされる注連縄で有名である。
日曜日だったため、参拝する人が行列をなしていた。
出雲大社前駅まで戻り、16:59川跡行きに乗り込む。
時間までもう一度デハ52などを取材する。
川跡に17:10に到着し、松江しんじ湖温泉から来た列車に17:12に接続、
構内踏切を渡ってこれに乗り込み、電鉄出雲市まで戻る。