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林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

青春の旅立ち-東海道本線各駅停車の旅・完結編4.

2025-05-07 | 鉄道・旅行

 4.1ヶ月前の運転見合わせの余波-予定変更の全駅取材完遂

8月18日日曜日の1ヶ月前、7月18日木曜日は、
通院のために計画年休を取って千葉に出掛けたが、
その帰り、JR千葉駅に行って、8月18日分の、
06:30東京発08:04掛川着の「こだま701号」と、
18:57静岡発20:18東京着の「こだま752号」の、
乗車券と指定席特急券を購入した。
今回は乗車時間がそれほど長くないので、普通席を予約した。

その3日後、8月21日日曜日から1泊2日の予定で、
南大高から浜松のでの東海道本線駅取材に出掛けた。
この時の予定は8月21日日曜日に南大高から豊橋まで17駅を取材、
8月22日月曜日には午前中、豊橋から浜松までの6駅を取材、
午後から飯田線の駅取材と豊橋駅周辺での鉄道取材を企画していた。
しかしこの日の未明、保線用車両同士が衝突するという事故があり、
結果として浜松から名古屋の区間が終日運転取りやめとなってしまった。
新幹線の開通区間と在来線との乗換駅となる浜松は大混雑で、
昼食後に入場規制で浜松駅の下り列車に乗ることが出来なくなってしまった。
そこで予定にはなかったが、浜松から掛川までの駅取材をして、
掛川から下り列車に乗り込み豊橋まで戻り、
豊橋で追加でホテルを予約して結果的には連泊し、午前中に帰宅した。

つまり、浜松から掛川の区間と、掛川駅近くの保存SLの取材が、
結果的に前倒しで完了してしまったのだ。
そこで8月18日日曜日の予定も変更せざるを得なくなってしまった。
午後からの予定が空白になってしまったので、
そこに新しい計画を組み込まなければならない。
今回の下記の予定を組んだ時に一度は計画し、
そのあと高山本線の取材を計画したために来年に廻した、
浜松から静岡までの取材を組み入れることにした。

 8月18日日曜日

04:49幕張-総武緩行線・下り・千葉行(10)-04:59千葉[7]
05:06千葉※-総武快速線・上り・久里浜行(38)-05:44東京[46]

 ※朝食/駅弁購入

06:30東京※-東海道新幹線「こだま701号」(94/1:34)- 08:04掛川[21]
08:25掛川-東海道本線・静岡行(5)-08:30菊川[26]
08:56菊川-東海道本線・熱海行(12)-09:08島田[36]
09:44島田※-東海道本線・興津行(4)-09:48六合[30]
10:18六合-東海道本線・熱海行(3)-10:21藤枝[31]
10:52藤枝-東海道本線・静岡行(2)-10:54西焼津[28]
11:22西焼津-東海道本線・熱海行(2)-11:24焼津[64/1:04]

 ※昼食/山正亭 11:30 - 14:00

12:28焼津-東海道本線・熱海行(6)-12:34用宗[30]
13:04用宗-東海道本線・興津行(3)-13:07安倍川[25]
13:32安倍川-東海道本線・熱海行(97/1:37)-15:09熱海[36]
15:26熱海※-東京上野ライン・宇都宮行(5)-15:31湯河原[23]
15:54湯河原-東京上野ライン・高崎行(3)-15:57真鶴[34]
16:31真鶴-東京上野ライン・小金井行(4)-16:35根府川[26]
17:01根府川-東京上野ライン・高崎行(4)-17:05早川[44]
17:49早川-東京上野ライン・高崎行(39)-18:04大船[47]

 ※夕食/石狩亭 10:00 - 01:30

18:51大船-横須賀線・総武快速線・津田沼行(78/1:18)-20:09津田沼[6]
20:15津田沼-総武緩行線・千葉行(6)-20:21幕張

結果として今回の旅で東海道本線の駅取材は完遂することになる。

予定変更に伴い、静岡から東京の「ひだま742号」の切符が不用になってしまった。
そこで7月28日日曜日、津田沼のUNIQLOに買い物に行ったが、
その前に津田沼駅のみどりの窓口に寄り、払い戻し手続きをした。

払戻手数料は560円だった。
この手数料も東海道新幹線1日運転見合わせの2次被害だ。

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青春の旅立ち-東海道本線各駅停車の旅・完結編3.

2025-05-05 | 鉄道・旅行

 3.詳細予定の策定と最終決定

8月18日日曜日は浜松から静岡までを駅取材することにしたが、
その一方で、浜松で浜松餃子の名店で餃子を喰いたいという想いもあった。
2015年9月20日から1泊2日で、
遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道の乗り潰しに出掛けたのだが、
宿泊した浜松で9月20日の夕食に予定したのが、
浜松餃子の名店「むつぎく」である。
しかし大混雑だったため、断念していた。
当時の様子を「遠鉄と天浜線の旅」から転載しておく。

 ここで予約しておいたホテルアセントプラザ浜松にチェックインする。
 地図をプリントアウトしておいたのだが、少し迷ってしまった。
 部屋に荷物を置いてからカメラバッグだけを持って再び出掛ける。
 浜松と云えば“浜松餃子”ということで、その中でも有名店の「むつぎく」に行く。

 

 しかし開店前に到着したにもかかわらず、すでに長蛇の列だった。
 店は路地裏にあったが、列は駐車場で蜷局を巻いていて、
 店のキャパを考えても1時間以上待たされるだろうと思い、断念した。
 このあとの予定はないが、さすがにそこまで待つ気力はない。
 やはりシルバーウィークということで訪問客も多いのだろう。

今回は浜松で昼食を喰うタイムスケジュールにしたいと思い、
新幹線で浜松まで行くのではなく、掛川まで行って浜松方面に取材、
この店のランチタイムの11:30a.m.前で取材を中断、
「むつぎく」で昼食を喰い、今度は浜松から静岡に向かって取材していく。

また、掛川駅近くにSLが静態保存されている。
今回はこれも取材したい。
これも2015年9月20日から1泊2日で、
遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道の乗り潰しに出掛けた時に、
目撃していて、この時は取材しそびれていた。
その顛末も転載しておく。

 天竜浜名湖線の掛川駅まで行き駅取材したあと、
 停車していた11:58の天竜二俣行きに乗り込む。
 列車が発車して車窓を見ていたら目が点になった。
 行きの新幹線で掛川駅を発車した時に駅近くに静態保存されているSLを見掛けたのだ。
 この時に掛川駅で駅取材したあとに予定を変更してこれを取材しようと思った。
 しかし更に予定を変更して掛川で昼食を喰う場所を探していたらすっかり忘れてしまったのだ。
 とほほ…。

これらを考慮して、予定を作成した。

 8月18日日曜日


04:49幕張-総武緩行線・下り・千葉行(10)-04:59千葉[7]
05:06千葉※-総武快速線・上り・久里浜行(38)-05:44東京[46]

 ※朝食/駅弁購入

06:30東京※-東海道新幹線「こだま701号」(94/1:34)- 08:04掛川[30]

 ※掛川市中央公園/C58形49号機取材

08:34掛川-東海道本線・浜松行(4)-08:38愛野[31]
09:09愛野-東海道本線・浜松行(4)-09:13袋井[33]
09:46袋井-東海道本線・浜松行(4)-09:50御厨[30]
10:20御厨-東海道本線・浜松行(2)-10:22磐田[48]
11:10磐田-東海道本線・浜松行(11)-11:21浜松[62/1:02]

 ※昼食/むつぎく 11:30 - 14:30 L.O. 14:00

12:23浜松※-東海道本線・浜松行(4)-12:27天竜川[45]
13:13天竜川-東海道本線・浜松行(3)-13:16豊田町[42]
13:58豊田町-東海道本線・浜松行(24)-14:22菊川[20]
14:42菊川-東海道本線・熱海行(12)-14:54島田[28]
15:22島田※-東海道本線・三島行(4)-15:26六合[32]
15:58六合-東海道本線・熱海行(4)-16:02藤枝[41]
17:03藤枝-東海道本線・浜松行(3)-17:06西焼津[43]
17:49西焼津-東海道本線・熱海行(16)-18:05静岡[52]

 ※夕食/五味八珍・静岡パルシェ店 11:00 - 22:00 L.O. 21:30

18:52-57静岡-東海道新幹線「こだま752号」(81/1:21)-20:18東京[32]
20:50東京※-総武快速線・千葉行(27)-21:18津田沼[5]
21:23津田沼-総武緩行線・千葉行(6)-21:28幕張

自然光で取材できるのはこの時期でも午後5時台が限界だろう。
天候によってはもっと早いかもしれないし、
雨だったら計画が白紙になる可能性もある。
西焼津で撤収して、残りの焼津、用宗、安倍川は来年への宿題にするしかないだろう。

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青春の旅立ち-東海道本線各駅停車の旅・完結編2.

2025-05-02 | 鉄道・旅行

 2.予定変更の計画中止と再変更の予定復活

2024年8月18日日曜日に豊橋から浜松まで取材することにしていたが、
その後、高山本線の駅取材と万葉線の電停再取材を企画し、
それを8月25日日曜日から26日月曜日の1泊2日で決行することにした。
当然、青春18きっぷは5回(人)分しかなく、
何処かの予定を取り消しにしなければならない。
そこで2024年の東海道本線全駅取材は断念し、
8月18日日曜日の「東海道本線・浜松~静岡編」は中止することとした。
浜松から静岡までの区間は2025年夏季に、
青春18きっぷを使用して取材することにしよう。

2024年5月末頃になって会社の同僚から、
9月9日月曜日に休みを取りたいので、代わりに出社してくれないかと頼まれた。
会社自体は月曜から金曜日までが平日業務だが、
土曜日も稼働しないと業務がこなせない。
ただ、社員の数が少ないため交代で休日出勤にすると、
休日勤務が増え、その分人件費が増えることと、
法令上、月2回以上の休日勤務が出来ないことなどもあり、
土曜出勤、平日代休のシフトになっている。
ひとによって休みの曜日が異なるが、自分は土曜出勤月曜代休になっている。
連休にするためには月曜に有休を取ることが多く、
そのため月曜出勤を頼まれることがたまにある。
ちょうど自分の予定と重なったこともあり、
一度は断ったが、その後よく考えて9月9日月曜日の代務を引き受けることにした。
そのため、9月8日日曜日に予定していた静岡から浜松の取材は中止した。
青春18きっぷの夏季の有効期間のうち、
現在開いているのは7月28日日曜日、8月11日日曜日、8月12日月曜日山の日、
8月18日日曜日、9月1日日曜日である。
この中の何処かで1回(人)分を使うことにするのだが、
7月28日日曜日と9月1日日曜日は月末月初で忙しく、
8月11日日曜日、8月12日月曜日山の日は連休であり、混雑が予想される。
そこで8月18日日曜日に青春18きっぷの旅を決行することにした。

この日はもともと豊橋から浜松までの取材を予定していたが、
取材対象の未訪問先が7駅しかなく、時間は持て余すことが予想される。
そこで9月8日日曜日に予定していた浜松から静岡の予定を移植することにした。
この予定なら午前に8駅、午後に6駅の14駅の取材になる。
そこで最終的に8月18日日曜日に浜松から静岡の取材を実行することにした。

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青春の旅立ち-東海道本線各駅停車の旅・完結編1.

2025-05-01 | 鉄道・旅行

 1.東海道本線静岡から浜松の駅取材計画

2024年夏季の青春18きっぷは、
東海道本線の全駅取材を中心に日程を検討した。
これ以外に中央東線で唯一駅取材が出来ていない小野の取材と、
篠ノ井線姨捨の取材も加え、以下のように企画した。

  7月21日日曜日~22日月曜日

 青春の旅立ち-2024年夏東海道本線全駅取材の旅

  8月4日日曜日

 青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅

  8月18日日曜日

 青春の旅立ち-東海道本線各駅停車の旅・豊橋~浜松編

  9月8日日曜日

 青春の旅立ち-東海道本線各駅停車の旅・浜松~静岡編

東海道本線の全駅取材は終点の神戸から名古屋のひとつ手前の、
尾頭橋までと静岡から熱海の区間が完了している。
残りの区間の取材を2024年にほぼ終わらせようと考えた。

2024年7月21日日曜日から22日月曜日に1泊2日で、
取材済みの尾頭橋から豊橋までの間の未取材駅を取材、
8月18日日曜日には豊橋から浜松までを取材しようと思った。
取材対象が少ないため、余力があれば浜松から先も取材続行することとする。

 8月18日日曜日

04:56幕張-総武緩行線・三鷹行(42)-05:38秋葉原[7]
05:45秋葉原-京浜東北線・磯子行(4)-05:57東京[24]
06:21東京※-東海道新幹線「ひかり631号」(87/1:27)-07:48豊橋

 ※取材対象駅/二川、新所原、鷲津、新居町、弁天島、舞阪、高塚

 ※昼食/浜松「むつぎく」11:30~14:30(L.O.14:00)

 ※夕食/五味八珍・浜松駅ビル・メイワン店 11:00 - 22:00

19:17浜松-東海道新幹線「ひかり520号」(85)-20:42東京[28]
21:10東京※-総武快速線・上総一ノ宮行(27)-21:37津田沼[6]
21:43津田沼-総武緩行線・千葉行(6)-21:49幕張

9月8日日曜日は日帰りで豊橋から浜松までを取材しようと思った。
午前中は静岡から掛川まで駅取材、掛川で昼食を喰い、
午後は掛川から浜松まで駅取材して浜松で夕食を喰ってから帰京する。
途中の取材時間は状況判断することとし、以下のように計画を策定した。

 9月8日日曜日

05:13幕張-総武緩行線・下り・千葉行(10)-05:23千葉[15]
05:38千葉※-総武快速線・上り・久里浜行(38)-06:16東京[47]
07:03東京※-東海道新幹線「ひかり501号」(59)- 08:02静岡

 ※午前取材対象駅/安倍川、用宗、焼津、西焼津、藤枝、六合、島田、菊川

 ※昼食/あじ助 掛川本店 11:30 - 14:00

 ※午後取材対象駅/愛野、袋井、御厨、磐田、豊田町、天竜川、浜松

 ※夕食/五味八珍・浜松駅ビル・メイワン店 11:00 - 22:00

19:17浜松-東海道新幹線「ひかり520号」(85)-20:42東京[28]
21:10東京※-総武快速線・上総一ノ宮行(27)-21:37津田沼[6]
21:43津田沼-総武緩行線・千葉行(6)-21:49幕張

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅12.

2025-04-22 | 鉄道・旅行

 12.雷鳴の松本と千葉あずさの帰宅-旅の終わり

予定外のアルピコ交通上高地線の新村まで往復し、
松本まで戻ってきたのは16:34だった。
帰りに予約していた「あずさ50号」は17:20松本発である。
乗り換え時間は44分で少し余裕があるので、
まずは未取材だったリニューアルされた西口を取材する。

空は灰色の雲に覆われていて、遠くで雷鳴も轟いていた。
再び駅に戻るタイミングで小雨が降り出してきた。
ステーションビルMIDORI4階の、
「信州地場産の館ふるた」でお土産を買い、
ここからは千葉までの乗車券と、
特急「あずさ50号」の指定席特急券で自動改札を入場する。

改札内の「信濃の風 駅弁あずさ」で駅弁やワインなどを買う。
ホームに降りて特急「あずさ50号」の到着を待つ。

特急「あずさ」にはE353系が充当されていて、
帰りもグリーン車を予約、9号車2番A席が予約されていた。

グリーン車に乗り込んで、17:20の出発を待つ。

特急「あずさ号」は原則として新宿を発着としているが、
朝の千葉発と夜の千葉着の設定があり、通称“千葉あずさ”と呼ばれている。

購入した駅弁は家に戻ってから喰うことにして、
モンラックカップワインの赤でブレイクして、千葉までの3時間30分を愉しむ。

千葉到着は20:50だった。

20:55発の総武緩行線に乗り換えて帰宅した。
千葉では雨は降っていなかった。

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅11.

2025-04-21 | 鉄道・旅行

 11.予定外のアルピコ交通新村の駅取材

姨捨から松本の移動中に調べた結果、

 15:26松本-アルピコ交通上高地線・29・下り(14)-15:40新村[39]
 16:19新村-アルピコ交通上高地線・34・上り(17)-16:34松本[44]
 17:20松本※-特急「あずさ50号」(211/3:30)-20:50千葉[6]

 16:05松本-アルピコ交通上高地線・31・下り(10)-16:15下村[7]
 16:23下村-アルピコ交通上高地線・34・上り(11)-16:34松本[44]
 17:20松本※-特急「あずさ50号」(211/3:30)-20:50千葉[6]

となり、15:26に間に合ったら新村で駅取材、
それに間に合わなかったら次の16:05に乗り、
16:34に松本に到着する列車番号34に乗るために、
手前の下新で7分の乗り換え時間で駅取材を強行する。
結果として昼食兼夕食を喰った「どんぐり」ではそれほど時間がかからなかったため、
15:26松本発の列車に乗り込み、新村まで行くことになった。

アルピコ交通新村駅は島式1面2線の地上ホームを有する上高地線の駅である。
1番線は下り新島々方面、2番線は上り松本方面が使用する。
駅舎とは構内踏切で結ばれている。

アルピコ交通上高地線は松本から上高地を結ぶ路線で、
かつては飛騨高山へ延伸する計画もあった。
安筑軽便鉄道、安曇鉄道が鉄道敷設免許を出願が何れも却下された。
1919年12月5日に筑摩鉄道が松本から龍島までの免許を受け、
島々線の路線名で1921年より工事を着工、
同年10月2日に松本から新村までの区間が開業、
この時、終着駅として開業した。
1922年5月3日に波多(現・波田)まで延伸、
同年9月26日に島々まで延伸して全通する。
全通後の1922年10月31日に社名を筑摩電気鉄道に変更、
1929年には島々から龍島までの未着工区間の免許が失効する。
筑摩電気鉄道は1932年12月2日に松本電気鉄道に社名変更、
路線名を1955年4月1日に「島々線」を「上高地線」に改称された。
1983年9月28日の台風10号の土砂災害で、
新島々から島々までの区間が不通になり、そのまま休止となった。
同区間は1985年1月1日付で正式に廃止された。
2011年4月1日付けでグループ会社を吸収合併、
これに合わせて社名をアルピコ交通に改称した。

新村車両所が併設されており、車両基地としても機能している。
駅取材後にあたりを散策し、車両基地を敷地外から撮影する。

新村は松本電気鉄道時代から使用されていた旧駅舎は、
アルピコ交通に社名変更した翌年に現在の駅舎が供用開始、
旧駅舎は保存も検討されていたが、5年後に解体された。
解体に際して、旧駅舎に掲げられていた社章が保存されていた。

駅構内にはイメージキャラクターの渕東なぎさの等身大パネルが設置されていた。
上高地線渕東と渚の駅から名前が取られたキャラクターで、
3000形にはラッピングトレインも運行されている。

現在使用されている電車は3000形と20100形の2種類がある。

3000形は1986年の昇圧に合わせ、京王電鉄井の頭線の1000系を、
京王重機整備で改造、整備の上、2両編成に短編成化して導入した。

2両編成×4本=8両が導入されたが、3001編成と3007編成は廃車、
3003編成はモハ10形リバイバルカラーを纏っているが、
現在は休車となって、新村車両所の車庫に留置されている。
現在は渕東なぎさのラッピングを施したなぎさTRAINのみ運行されている。

20100形は3000形置き換えのため東武鉄道20000系を、
京王重機整備で整備、改造した上で2両編成×3本=6両を導入、
2022年3月25日から運転が開始された。
18m級、ステンレス鋼車体、制御方式はIGBT素子VVVFインバータ制御。

新村で16:19発の20100形20101編成に乗り込み、松本まで戻る。
松本に到着したのは16:34で、44分の乗り換えで「あずさ50号」に乗り込む。

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅10.

2025-04-18 | 鉄道・旅行

 10.前倒しの松本と余剰時間の検討

塩尻での昼食を断念し、松本での乗車予定を1時間前倒し、
姨捨での駅取材時間も短縮したため、
予定では15:42発の篠ノ井線で松本に戻り、
松本到着予定時間は16:25で、55分の乗り換え時間で、
帰りの特急「あずさ50号」で千葉まで帰ることにしていが、
姨捨では約2時間前の13:43に乗り込むことが出来た。
つまり、17:20発の特急「あずさ50号」までには、
2時間51分の乗り換え時間がある。
松本に戻ってから昼食兼夕食を喰ったとしても、
2時間くらい余ってしまう。
そこで予定にはなかったが、松本電気鉄道・・・改め、
アルピコ交通上高地線で駅取材を加えられないか、
松本まで戻る篠ノ井線の車内でスマホで検索してみた。

今乗っている篠ノ井線松本行きは14:29に到着する。
昼食兼夕食に約1時間掛けるとして、
松本16:05に乗れば、下新駅まで往復できる。
更に15:26に間に合えば、新村まで往復も可能だ。
この予定では、先ずは松本でもともと夕食に予定していた、
「どんぐり」で食事することにする。

ここまで乗ってきたのはE127系100番台A8編成だった。
今日5回目のE127系100番台で、
4回はA2編成を追っかけて乗っていたので、初めての別編成だった。

長野地区ではJR東日本がローカル路線用に、
2両編成で運行が可能な車両として開発したE127系100番台のほか、
国鉄時代に登場した211系も2013年3月のダイヤ改正で、
幕張車両センターや高崎車両センターなどの余剰車が、
改造ののち転入してきて運用されている。

改札を出て予定していた「どんぐり」に行き、
ハンバーグとエビフライを喰い、駅まで戻る。

時間が中途半端だったのか、「どんぐり」は混ではいたが、
入店して直ぐに着席することが出来た。
そのため駅に戻ってきたのは3:10p.m.で、15:26に間に合った。
ホームで待っていると、20100形が入線してきた。

京王電鉄井の頭線1000系から転籍してきた3000形は知っていたが、
新型車両が投入されているとは知らなかった。
調べてみると、東武鉄道20000系から改造されているようだ。
15:26に間に合ったので予定通り、新村まで往復することにした。

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅9.

2025-04-17 | 鉄道・旅行

 9.姨捨駅のスイッチバック画像コレクション

姨捨駅は蒸気機関車時代の給水場を設置した関係で、
この駅に停車するために本線を外れ、
スイッチバックが必要になる。
その一方で本線はスイッチバックせずにそのまま通過する。
松本から長野方面に行く場合には、
本線の途中で分岐して駅に入線する。

姨捨から長野方面に行くには、いったん松本方面に行き、
待避線上に移動しなければならない。

大池踏切を通過してポイントを渡って待避線に入線する。

ここでポイントが切り替わるのを待つ。

本線に入線し、再び大池踏切を通過していく。

ここまで乗ってきたE127系100番台A2編成は、
長野方面に向けて走っていった。

姨捨駅に戻り、善光寺平と呼ばれる長野盆地を眺めながら13:43を待つ。
本線から松本方面に向けて電車が走っていく。
スイッチバックのため、姨捨駅のホーム下をいったん通過する。

この列車も本線から待避線に入り、スイッチバックして姨捨駅に入線してくる。

この列車に乗って松本まで戻る。

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅8.

2025-04-16 | 鉄道・旅行

 8.篠ノ井線姨捨の駅取材-前倒しの往復

松本での昼食を諦め、予定より1時間早い、
12:30始発の長野行きに乗り込んで、姨捨を目指す。

充当されていたのはE127系100番台A2編成だった。
この車両に乗り込むのは、塩尻から小野、小野から塩尻、
塩尻から長野の3回に加え、4回目でった。
12:30定刻に長野を出発し、姨捨到着は13:14で、44分の旅だった。

JR姨捨駅は相対式2面2線の地上ホームを有する篠ノ井線の駅である。
駅舎側は1番線に付番され、下り中野方面が使用、
駅舎と反対側のホームは2番線に付番され、上り松本方面が使用する。
駅舎と反対側のホームとは跨線橋で結ばれている。

姨捨に駅が出来たのは篠ノ井線が1900年11月1日に、
篠ノ井から西条まで部分開業したのと同時で、
当時は蒸気機関車のための給水場の設置が目的であった。
そのため本線からは分岐して駅に入線する形になっており、
駅の先は行き止まりで列車はスイッチバックし、
ポイントを切り替えて本線に入線する形態になっている。
そのため姨捨に停車しない列車は入線せずに直通していく。
駅舎の反対ホームからは長野盆地が見渡せ、
日本三大車窓のひとつとなっている。

姨捨はスイッチバックの駅である。
松本方面からは本線を外れて姨捨駅に至る。
ここから更に長野方面に行くには、
姨捨からいったん松本方面に行き、
ポイントを切り替えて本線に入る。

姨捨駅には停車しない列車はそのまま本線を直通する。
山岳地域を上るためのスイッチバックというよりは、
給水場を確保するため、平地のこの場所に停車するためのものだ。

そのため、本線は駅よりは少し低い位置を直通する。

予定では姨捨の取材時間は1時間23分を予定していたが、
予定を1時間前倒ししたため、撤収時間も1時間前倒しが可能、
更には早めに取材は思ったよりも早めに終わり、
結果的には更に1時間早く、13:43に乗り込むことが出来た。

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅7.

2025-04-15 | 鉄道・旅行

 7.塩尻の前倒しと松本の前倒し-昼食の断念

中央東線辰野支線の小野での取材時間は59分で、
少し時間を持て余したが、
11:11に漸く塩尻行きの列車がやってきた。

塩尻から小野に来る時に乗ったE127系100番台A2編成だった。
辰野で折り返しを待って再び塩尻までの運用に着くダイヤなのだろう。
小野から12分かけて塩尻まで戻ってきた。
塩尻の乗り換え時間は40分で、
この時間で「福和家」で昼食を喰うことにしていた。
塩尻駅から305mで、徒歩5分の距離である。
ダイヤ改正の前の乗り換え時間は1時間13分で、
塩尻での昼食は余裕があったが、
ダイヤ改正後では40分になってしまい、
往復を差し引くと30分しかない。
空いていればこの時間で食事は可能だと思うが、
混んでいたたり、料理の提供に時間がかかっては、
12:05発の松本行きに間に合わないかも知れない。
そこで塩尻での食事は諦め、そのまま松本まで行くことにして、
いったん外に出たものの、再び青春18きっぷで再入場した。

塩尻駅の駅蕎麦店「信州そば」の改札内入口。
改札外は待合室に面しているのだが、
こちら側のドアは異常に狭い。
痩せた人でないと、入店できないような気がする。
このドアを見るのも塩尻訪問の密かな楽しみである。

昼食を喰わなければ、11:43始発の松本行きに間に合う。
しかも充当されていたのはE127系100番台A2編成だった。

ここまで乗ってきた車両がそのまま松本行きに充当されている。
以前はこの区間は専属の123系が充当されていた時代もあったが、
今は他の区間と共通運用のようだ。

 ※塩尻駅に停車中の123系
 ※撮影日時 2001/11/25 11:22:51

114:43塩尻発の松本行きに乗り込み、終点の松本まで行く。
この列車は12:01に松本に到着する。

JR松本駅は単式1面1線と島式3面6線の、
計4面7線の地上ホームを有する篠ノ井線の駅である。
お城口(東口)側の島式ホームは0番線、1番線に付番され、
篠ノ井線専用で、0番線は松本発着専用、長野方面のみ線路がある。
中央の島式ホームは2番線、3番線に付番され、
篠ノ井線のほか、中央東線からの乗り入れ列車、大糸線が使用する。
西口に近い島式ホームは4番線、5番線に付番され、
4番線は篠ノ井線、中央東線から乗り入れ列車が使用、
5番線は篠ノ井線、中央西線からの乗り入れ列車が使用する。
単式ホームの6番線は島式ホームから少しずれた位置にあり、
アルプス口(西口)に接した位置にある。
6番線は大糸線専用で、大糸線方面のみに線路がある。
また6番線の反対側はアルピコ交通上高地線が使用、
こちらは上高地線方面のみに線路があり、
松本駅に隣接する松本車両センターの外側を走る。

駅取材してから夕食に予定していた「どんぐり」で昼食を喰おうと思い、
行ってみたら店の外にまで待ち客が溢れ、
このあとの予定を考えてここでの昼食は断念し、駅に戻る。
予定では篠ノ井線13:30発長野行きで姨捨に行くことになっていたが、
ここで昼食を断念すれば、1時間前の12:30に間に合う。
乗り込んだ車両はE127系100番台A2編成だった。

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅6.

2025-04-14 | 鉄道・旅行

 6.中央東線辰野支線小野の駅取材

特急「あずさ1号」で塩尻に到着したのは09:31だった。
中央本線辰野支線は塩尻から辰野の区間を往復するダイヤである。
充当されていたのはE127系100番台A2編成だった。

E127系は新潟地区で運行されていた急行形を置き換えるために、
1995年に0番台が新潟支社に2両編成×13本=26両が導入された。
長野支社でも1998年12月8日から松本地区に、
100番台を2両編成×12本=24両を導入した。
20m級、ステンレス車体、片側3扉、100番台はセミクロスシートを採用、
主電動機はかご形三相誘導電動機、モーター出力120kW、
GTO素子VVVFインバータ制御、TD平行カルダン駆動方式。
0番台と100番台とでは前面のデザインが異なり、
100番台は交流通勤形701系に酷似している。

塩尻での乗り換えは29分で、いったん改札を出て駅舎取材する。
東口駅舎はリニューアルされていた。

JR塩尻駅は島式3面6線の地上ホームを有する中央本線の駅である。
中央本線は東京から松本までが中央東線、
松本から名古屋までが中央西線として建設され、
塩尻から松本までの区間は重複し、
松本でスイッチバックする線形になっている。
国鉄が分割民営化した後は中央東線がJR東日本、
中央西線がJR東海に所属するが、重複する区間はJR東日本に所属する。
そのため中央西線の列車も松本まで乗り入れる。

橋上駅舎化されていて、1番線は中央東線みどり湖経由上り、
2番線は中央東線下り篠ノ井線直通、
3番線は中央東線辰野支線及び中央東線みどり湖経由の待避列車、始発列車、
4番線は中央東線みどり湖経由の待避列車、
始発列車及び中央東線下り篠ノ井線直通、中央西線名古屋方面、
5番線は中央西線名古屋方面、6番線は中央西線からの篠ノ井線直通列車が使用する。
4番線のみが中央西線、中央東線の両方に繋がっている。
1902年12月15日に国有鉄道として松本から延伸時に終着駅として開業した。
1906年6月11日に辰野経由で中央東線が延伸、
1909年12月1日に中央西線奈良井まで延伸した。
かつては中央東線と中央西線が直接繋がっていたが、
1982年5月17日に現在地に移転、
この時から中央東線と中央西線はスイッチバックする線形となった。

辰野支線の列車は10:00ちょうどに塩尻を出発した。
12分で小野に到着する。

JR小野駅は単式1面1線と島式島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する中央本線辰野支線の駅である。
ただ、駅舎と反対側の島式ホームの外側は一部線路が撤去され、
旅客営業には使用されておらず、保線車両の留置線となっていて、
実質的には相対式2面2線構造と云っていい。
駅舎側の1番線は下り塩尻方面、2番線は上り辰野方面が使用する。

1906年6月11日に岡谷から塩尻までが、
辰野経由で敷設された時に同時に開業した。
駅所在地は長野県上伊那郡辰野町大字小野で、
塩の道として機能していた三州街道や初期中山道の小野宿のあった場所だった。

駅の直ぐ近くには大鳥居が設置されていた。
駅前に設置されていた案内板には、

 ここ憑(たのめ)の里は、はるか平安の時代に、
 清少納言『枕草子』第六十二段『里は』に詠まれた由緒ある里であります。
 古くから官道である「東山道」が小野を通っていたことから、
 遠く京の都にも、たのめの里は知れていたものと考えられます。
 そして、今から四百余年前の天正十九(一五九一)年十一月二十三日、
 天下人秀吉の知行割りによって、 結果二つの村に分けられてなお、
 たのめの里は一つとして、人々はいつもの時代も一緒に、
 この故郷(ふるさと)の発展に力を尽くして参りました。

と書かれている。
小野駅の折り返し列車の待ち時間は59分だった。

時間を持て余し、近隣を写真を撮ってみた。
空は青く晴れて蒸し暑かったが心地の良い夏だった。

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅5.

2025-04-11 | 鉄道・旅行

 5.特急「あずさ1号」と塩尻の乗り換え

新宿駅に15分前倒しで到着できたため、
「箱根そば本陣」で朝そばを喰い、
事前購入した東京都区内から塩尻までの切符で改札を入る。

ホームに上がっていくと既に「あずさ1号」は入線していた。
中央東線特急には2017年12月23日に登場した、
E353系特急が充当されている。

E353系は基本編成9両と付属編成3両からなる12両で、
2015年から2019年にかけて基本編成9両編成×20本=180両、
付属編成3両編成×11本=33両の計213両が、
総合車両製作所横浜事業所で製造された。
付属編成3号車と基本編成4号車は貫通構造となっており、自動幌装置を装備、
高運転台構造、ダブルスキン構造アルミニウム合金製、
主電動機はかご形三相誘導電動機MT75B形、モーター出力140kW、
三菱電機製IGBT素子PWM制御インバータ制御及びVVVFインバータ制御、
TD平行カルダン駆動である。

基本編成9号車がグリーン車となっていて、
9号車1番D席を予約していた。

座席に着いて出発を待つ。
特急「あずさ1号」は定刻通り、07:00に新宿駅を出発する。

車窓からは先ほど朝食を喰える場所を探す時に見た、コクーンタワーが見える。
モード学園の校舎であり、首都医校などの専門学校などが入っている。

新宿駅の駅弁屋新宿5号店で購入したミックスサンド600円でブレイクする。
朝食として駅蕎麦を喰ったが、約2時間半の旅なので、
更に少し腹を満たしておきたいと思ったのだ。

特急「あずさ1号」は09:31に塩尻に到着した。

塩尻の乗り換え時間はダイヤ改正により29分となった。
それでも隣には辰野支線充当のE127系100番台A2編成が停車していた。

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅4.

2025-04-10 | 鉄道・旅行

青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅4.

 4.総武緩行線と新宿の新宿の朝そば-旅の始まり

2024年8月4日日曜日、晴れ、
当初の予定では5:00幕張発の総武緩行線・下りでいったん千葉に行き、
05:20千葉始発の総武緩行線で新宿まで行くことにしていた。
支度をして家を出て、JR幕張駅まで歩いて行く。

有人改札で駅員に青春18きっぷの3回(人)のところに、
「ありがとうございます JR東日本 8.-4 幕張駅」と押印して貰う。

思ったよりも早く支度出来たことから、
初電の04:49に間に合ってしまった。
いったんも始発駅の千葉まで行き、上り方面の電車に乗る。

幕張で1本早い電車に乗ったため、
千葉駅折り返し始発も05:20の1本前の05:05に間に合う。

ここまで乗ってきたE233系500番台にそのまま乗り込み、
そのまま「あずさ1号」の始発駅である新宿まで行く。
総武緩行線は通勤でも使っている乗り慣れている電車だが、
旅行の時でも東京駅へ山手線や京浜東北線と乗り換える、
秋葉原までしか乗車する機会がなく、新宿まで来るのは久しぶりである。
千葉駅05:05発の三鷹行きは06:15に新宿に到着した。

当初の予定では05:20千葉発に乗りことにしており、
新宿到着は06:30で07:00新宿発の特急「あずさ1号」には、
30分しか乗り換え時間がない。
これでは改札を出て朝食を喰う場所を探すのは難しいと判断し、
新宿駅で駅弁を購入し、特急「あずさ1号」の車内で喰うことにしていた。
しかし予定より15分早く新宿まで来たため、
乗り換え時間が45分となり、改札を出て朝食を喰う余裕が出来た。
そこで青春18きっぷで有人改札を出て、
朝食を喰える場所を探すことにした。

以前、通勤で新宿まで来ていた時に何度か利用した、
京王の新宿駅近くの「curry shop C&C新宿本店」に行ってみた。
しかしここの営業時間は、

 平日:6:45~23:00
 土曜日:7:00~22:00
 日祝:7:00~21:00

となっていて、開店時間まで待っていられない。
そこでここも以前入ったことのある「箱根そば本陣」に行く。
ここは小田急の系列の駅蕎麦店で、朝そば550円を喰った。

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅3.

2025-04-09 | 鉄道・旅行

 3.2024年春のダイヤ改正後の最終計画決定

2024年3月16日土曜日、JRグループのダイヤ改正が行われた。
JR旅客会社6社は基本的には独立した企業だが、
国鉄時代からの繋がりもあり、また相互乗り入れも行われてるため、
毎年春にJRグループで一斉にダイヤ改正が行われる。
新線開業や新駅開業などもこのタイミングで行われることが多い。

このダイヤ改正の目玉は北陸新幹線敦賀延伸で、
並行在来線がIRいしかわ鉄道と新規開業のハピラインふくいに分離される。
山形新幹線には新型車両E8系が投入開始、
成田エクスプレス専用だったE259系が房総特急にも投入、
これに合わせて車体デザインがN'EX感を薄めたものに変更されている。

このダイヤ改正で特急「あずさ1号」は塩尻到着が4分早まる。
また辰野支線では運転本数を減らす改正が行われた。
これによって計画がご破算になるかもと思ったが、
実際には塩尻発が30分繰り下げられ、
結果的には塩尻の乗り換え時間が2分から32分に増え、
乗り換えに余裕が出来た。
ただ、篠ノ井線のダイヤは変わらなかったため、
塩尻での昼食時間が1時間13分から40分に短縮になってしまった。

2024年春のダイヤ改正後に再度予定を組み直し、最終決定した。

 8月4日日曜日

5:00幕張-総武緩行線・千葉行(10)-05:10千葉[10]
05:20千葉※-総武緩行線・三鷹行(70/1:10)-06:30新宿[30]

 ※朝食/駅弁購入

07:00新宿-特急「あずさ1号」(148/2:28)-09:31塩尻[29]
10:00塩尻※-中央本線・辰野支線(12)-10:12小野[59]
11:11小野-中央本線・辰野支線(14)-11:25塩尻[40]

 ※昼食/福和家 11:00~22:00

11:51-12:05塩尻-篠ノ井線・松本行(18)-12:23松本[37]
13:30松本※-篠ノ井線・長野行(44)-14:14姨捨[83/1:23]
15:38-42姨捨-篠ノ井線・松本行(43)-16:25松本[55]

 ※夕食/どんぐり 11:00~21:00

17:20松本※-特急「あずさ50号」(211/3:30)-20:50千葉[6]
21:01千葉※-総武緩行線下り・三鷹行(10)-21:11幕張

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青春の旅立ち-中央東線全駅取材と篠ノ井線の旅2.

2025-04-08 | 鉄道・旅行

 2.中央東線小野取材と篠ノ井線の旅の計画

2024年夏季の青春18きっぷで、
中央本線辰野支線の小野駅を取材することにしたが、
これだけでは半日で仕事は終わってしまう。
折角塩尻ので行くのだから、篠ノ井線の姨捨も取材したい。
篠ノ井線は篠ノ井から塩尻を結ぶ幹線で、
特急「あずさ」は中央本線から途中駅の松本まで乗り入れる。
また、北陸新幹線開業で、篠ノ井から軽井沢までが、
しなの鉄道に分離されたが、篠ノ井は信越本線への接続駅であり、
中央本線と信越本線を繋ぐ役割もある。
篠ノ井線は2003年4月20日日曜日に乗り潰し済みだが、
スイッチバックのある区間にある姨捨は、
ホームからの眺望が絶景で、有名な駅である。
ここは何時か行きたいと思い、何度か企画に乗せたことはあったが、
運転本数の少なさなどからなかなか下車することが出来なかった。
そこで午前中に中央東線小野の駅取材後、
篠ノ井線の姨捨まで往復して駅取材、千葉あずさで帰宅する。
行きも帰りも千葉あずさを使いたかったのだが、
千葉始発の「あずさ3号」で塩尻まで行くと、
到着は10:14でそのあとの小野への取材が難しい。
そこで新宿発の「あずさ1号」に乗ることにした。
帰りは千葉あずさである「あずさ50号」で千葉まで戻ることとして、
以下のような計画を立てた。

8月4日日曜日

5:00幕張-総武緩行線・千葉行(10)-05:10千葉[10]
05:20千葉※-総武緩行線・三鷹行(70/1:10)-06:30新宿[30]

 ※朝食/駅弁購入

07:00新宿-特急「あずさ1号」(152/2:32)-09:32塩尻[2]
09:34塩尻-中央本線・辰野支線(12)-09:46-47小野[83/1:23]
11:10小野-中央本線・辰野支線(14)-11:24塩尻[73/1:13]

 ※昼食/福和家 11:00~22:00

12:37塩尻-篠ノ井線・松本行(17)-12:54松本[36]
13:30松本※-篠ノ井線・長野行(44)-14:14姨捨[83/1:23]
15:38-42姨捨-篠ノ井線・松本行(43)-16:25松本[55]

 ※夕食/どんぐり 11:00~21:00

17:20松本※-特急「あずさ50号」(211/3:31)-20:51千葉[4]
20:55千葉※-総武緩行線・三鷹行(10)-21:05幕張

この計画を立案したのは2023年12月1日で、
2024年春のダイヤ改正の前である。
ダイヤ改正後に再度ダイヤを改正して最終決定しよう。

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