ringoのつぶやき

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戦後70年検証安倍談話(上)持論抑え「おわび」加筆―支持率低下、安保法案が影。(日経)

2015年08月15日 07時51分36秒 | 政治

 安倍晋三首相は戦後70年談話の作成にあたり、「謝罪外交」からの脱却を狙う持論と、歴代内閣の認識を踏襲する現実論で揺れた。当初は先の大戦への「おわび」を記した1995年の村山談話の「上書き」を狙ったが、安全保障関連法案の審議に伴い内閣支持率が低下。公明党の要請も受けて「おわび」を加筆し、持論へのこだわりを抑えざるを得なくなった。(1面参照)
 本格的に文言を練り始めたのは4月だった。談話は首相の口述を今井尚哉首相秘書官と兼原信克官房副長官補(外交担当)らが聞き取り、紙に起こす作業から始まった。「戦後70年に談話は必要はないといわれているかもしれない。だから今までと違う位置づけの談話にしたい。未来志向だ」。首相は指示した。
 この時点で狙いは明確だった。「おわび」「侵略」は盛り込まず、村山談話を「上書き」する。「もう一度書く必要はない」。首相からこう聞いた関係者は多い。
 4月下旬のアジア・アフリカ会議や米議会演説で首相は「反省」には触れたが、「おわび」は言及しなかった。「世間の反応を見る意味もあった」(首相周辺)という。目立った批判はなく、首相は自信を深めた。
 ただ、あまりに保守色が強くなると、中国や韓国との関係は悪化する。首相周辺が5月下旬ごろ、水面下で中韓両国がどう反応するか探り始めると、やはり厳しい空気が伝わってきた。浮上したのが閣議決定をせず個人的見解の談話にする案だった。
 首相は「今回は好きなようにやりたい。何にも縛られたくない」とも語った。首相の思いを存分に反映する、との狙いで6月に事務方が首相に「閣議決定も『おわび』『侵略』もなし」と提案し、具体化に動き始めた。
 ところが、そうした検討が6月下旬に表面化すると、異論が上がる。保守派の自民党議員からは「閣議決定で公式な政府見解にすべきだ」。それより無視できなかったのは公明党だった。「勝手に激しい談話を出されても困る。中韓との関係をこじらせないでほしい」(幹部)と不満を募らせていたためだ。
 「談話を出した後で公明党が批判をすると大変です。公明党と一致して決めるため、閣議決定した方がいいと思います」。6月下旬、側近の一人は首相に訴えた。6月初旬には衆院憲法審査会で、参考人全員が安保法案を「違憲」と指摘。その後、自民党若手議員の勉強会で報道機関への「圧力発言」も表面化した。首相は揺れた。政権に逆風が吹き始めると、公明党を巻き込む閣議決定に傾いていった。
 「14日に閣議決定する」。首相は今月5、6両日、自民党三役らを次々に官邸執務室に呼び、こう伝えた。その場で原案もみせ、了承を求めた。
 7日には公明党の山口那津男代表とも協議。山口氏に示した原案には「おわび」「侵略」は明示しなかった。山口氏は「おわびの心があると相手方に伝わる誠意ある表現を使うべきだ」と求めると、首相は「承ります」と引き取った。
 首相は悩んだ末に「できるだけ多くの国民と共有できるような談話を作りたい」と考え「おわび」の記述が固まった。
 だが、その後も周囲には「今までの談話より発展的な位置づけにしたい。過去にとらわれないと分かるようにしたい」と注文した。「(将来世代に)謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と明記し、首相がこだわる「脱・謝罪外交」を掲げることにした。
 「最終的にこうなりました」。首相は談話発表の数日前、山口氏に連絡した。公明党が求めるキーワードは盛り込まれた。「首相もギリギリのところだったんだろう」。同党幹部は首相の苦渋の決断を評価した。
 「良かったでしょ」。14日夜、首相は自民党の高村正彦副総裁と都内のホテルで会食し、談話を自賛した。首相周辺は「安保法案の違憲問題から流れが変わったが、結果としてみんなが納得する内容になった」と胸をなで下ろした。
 一方で、談話の作成に携わった一人は「首相は本音は納得していないんじゃないか」との見方を示す。首相を支持する保守派には、妥協に不満もくすぶっている。



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