[東京 31日] - 日銀は1月29日午後12時38分頃、マイナス金利を導入することを発表した。一部の市場参加者同様、筆者も今年後半には超過準備に対する付利を0.1%から0.05%程度まで引き下げる可能性もあるかもしれないと思い始めていたが、このタイミングで、かつ一気にマイナス金利まで引き下げたのは予想外であり、驚きだった。
これまでの日銀の金融政策は、購入する資産の量とその内容にフォーカスするものだったが、今後はこれに金利が再び加わることになる。日銀の金融政策は明らかに新しい段階に入り始めたと言えるだろう。
マイナス金利の市場や経済に与える効果を分析・議論する前に、市場参加者の1人として指摘しておきたいことがある。それは、情報漏れがあったと考えられることだ。日銀がマイナス金利導入を発表する10分程度前に日本経済新聞電子版が「日銀、マイナス金利導入を議論」と報じている。日銀の金融政策はこれまでもたびたび事前に報道されることがあったが、先進国の中央銀行でこのようなことが頻繁に起こるところは他にない。日銀はこうした情報漏れが2度と起こらないよう、しっかりとした情報管理体制を整えるべきだろう。
日銀は先進国の中央銀行の中で唯一、政策発表の時間を決めていない。その理由は、政策発表の時間を決めると、実際の決定から発表までの時間が長くなってしまうことがあり、その間に情報漏れが起こる可能性があるからだ、という話を聞いたことがある。そこまでしても情報漏れが起こるのはどういうことなのだろうか。
ちなみに、日銀はこれまでウェブサイト上で政策発表の時間を分単位で公表してきた。もっとも、今回から発表時間の公表も止めている。「フェアディスクロージャー(公平な情報開示)」という世の中の流れに対して、日銀が逆行していると感じるのは筆者だけだろうか。
<11月にマイナス0.5%まで再引き下げか>
さて、マイナス金利導入の市場や経済に与える影響だが、複雑な要素が絡み合うため判断が難しい。特に銀行収益の悪化が最終的にどのように市場や経済に影響するかの判断によって、マイナス金利のインパクトに対する予想は異なったものになりそうだ。
ただ、円相場に対する影響としては、筆者がこれまで予想していた円高進行ペースを遅くさせる可能性はあるが、基本的な方向感に影響は与えないと考えている。場合によっては、しばらくは狭いレンジ内での動きが続くが、年後半になって一気に円高が加速するというリスクもあるかもしれない。
まず、マイナス0.1%という金利は、銀行が日銀に預けている当座預金の一部にかけられることになるわけだが、その部分はそれほど大きくならないと考えられる。日銀の発表によれば、当座預金は3つに分けられ、そのうちかなりの部分(基礎残高)には引き続きプラス0.1%の金利が適用され、残りの一部(マクロ加算残高)にはゼロ%が適用される。そして、最後の残った部分(政策金利残高)にマイナス0.1%の金利が適用されることになる。
2つ目のマクロ加算残高は、最初の基礎残高に掛目をかけて算出する部分もあり、結果的にマイナス0.1%の金利が適用される部分は、日銀がある程度柔軟に決めていくことになりそうだ。したがって、当初は過度に銀行収益を圧迫することにはならないかもしれない。東証銀行業株価指数は、先週金曜日のマイナス金利発表後、一時前日比7%程度下落したが、その後は反発し、前日比2%の下落でとどまっている。
しかし、銀行収益に与えるネガティブインパクトは当座預金のマイナス金利部分だけではない。市場金利が低下することにより、銀行収益がじわじわと悪化していく可能性はある。
また、今回日銀が発表した政策は、ダイレクトにマイナス金利を課す当座預金を制限する結果、日銀が追加利下げを行いやすい構造となっている。実際、当社のエコノミストは、日銀が今年11月に再び追加緩和を行い、日銀当座預金の政策金利残高に対する金利をマイナス0.5%まで引き下げると予想している。この結果、市場金利はさらに低下することが予想され、そうなれば一段と銀行収益を圧迫することになるだろう。先行きの収益減少が予想される中で、銀行が積極的にリスクを取ることは考えづらい。
銀行がマイナス金利を課されても、それを個人や企業の預金に付け替える、つまり個人や企業の預金にマイナス金利が課される可能性は低い。すでにマイナス金利が導入されている欧州の事例を見ても、ごく一部の例を除いて、金利はプラスを維持したままだ。
プラスが維持されるとの前提で、かつそれを預金者が信じるなら、現在平均して0.02%の普通預金金利には下げ余地が少ない。そうだとすると、今回の金融政策変更を受けて個人や企業が預金を動かすインセンティブはほとんどない。
ただ、預金者がマイナス金利を課されるのではないかと心配する可能性は考えられる。銀行の場合、マイナス金利を避けるために日銀当座預金から現金を引き出して、現金のまま保有しようとするとペナルティが課されるが、個人や企業は、マイナス金利が課せられて預金が目減りすると考えたら、預金を引き出すという行動に出るかもしれない。
もっとも、銀行はそうした動きが出ると困るため、預金者に対してマイナス金利が課されることはないと理解を求めるだろう。預金者がそれを信じるなら、前述の通り、結果的には今回の金融政策変更の影響はないということになる(結果的には銀行がマイナスを飲み込むので、銀行収益のマイナス要因にはなる)。
一方、貸し出し金利がそれなりに下がれば、マクロ経済に好影響を与える可能性は考えられる。銀行が新規に長期資金を貸し出す場合の平均約定金利は、昨年前半に0.8%台まで低下したが、後半には1%近辺まで上昇している。これが再び下がり始めれば、借り入れ需要は増えるだろう。ただ、収益が圧迫される銀行が果たしてどこまで金利を下げられるかは不透明である。
では、実質金利の低下がマクロ経済全般に好影響を与える可能性はどうか。この点でも、少なくとも当初は名目金利の下げ余地が小さいため、どこまで実質金利が低下するかは不透明だ。今後原油価格の下落や円安効果の剥落で、日本のコアインフレ率(除く生鮮食品)は0.2―0.3%ポイントほど低下することが予想される。一方、例えば日本の10年国債利回りはすでに先週金曜日に0.12%ほど低下し0.1%となっているが、一時的にマイナス金利に落ち込むことを想定しても、ここからの低下幅は0.1%程度だ。実質金利が現状から大きく低下するのは難しいと考えられる。
<リスクは利食いの円買い戻し増加>
日銀は今回、実質国内総生産(GDP)の伸び率が前期比年率プラス1.0%(7―9月期)と潜在成長率を大きく上回り、エネルギー・生鮮食品を除いたインフレ率が前年比1.3%上昇、ドル円相場がピークから10%も下落していない中で、マイナス金利を導入した。
日経平均株価は一時ピークから20%程度下落したが、それは英国やカナダでも同じことだ。今回の措置により、市場が日銀に追加緩和を期待するバーはかなり下げられたことになる。日銀は、市場が催促するたびに金利をさらに引き下げていかなければならなくなるだろう。
中央銀行が市場に振り回されて金融政策を行い続けることは明らかに経済にとってマイナスである。さらに、黒田日銀総裁は直前までマイナス金利は検討していないと述べていた。金融政策変更に関して嘘をつくことが良いか悪いかの議論はさておき、日銀に対する市場の期待は強まりやすくなったことは確かだ。今後、何を言っても、「結局は何かやってくれるのではないか」との期待は高まる。日銀はそうした市場主導で高まっていく期待に最後まで付き合うか、どこかで大きく市場を失望させるかのどちらかを選び続けなければならない。
円相場に対する影響としては、まず金利差縮小が考えられるが、このところ他の主要国金利も、グローバル経済の悪化を見越して低下基調にある。そのため、例えば先週1週間の2年スワップ金利の動きを見ると、円金利が0.1%ポイントと最も大きく低下しているが、米ドル金利も0.096%ポイント低下と、四捨五入すれば同じ程度の低下幅となっている。
10年国債利回りもほぼ同じような状況で、日本国債利回りは0.14%ポイント低下したが、米国債利回りも0.13%ポイント低下、ドイツや英国の国債利回りは日本国債よりも大きく低下している。金利差縮小はあまり期待できない。
それ以外の円相場への影響としては、日銀の金融政策に対する投機的な円売りが増えるということだろう。したがって、当面は円の上値が抑えられることになると考えられる。
もっとも、円を取り巻く環境はすでに大きく変わっている。経常黒字から来る円買いは大幅に増加。また、国内投資家はこれまでに外貨建て資産を大きく積み上げていることから、ここからさらに投資が増加する可能性は低い。むしろリスクは利食いの円買い戻しの増加だろう。
さらに、国内企業は海外留保利益を大きく積み上げていると思われる。3月末に向けて円が下落したところをとらえて、海外で積み上げた資金を日本に還流させる可能性がある。投機的な円売りによって、しばらく円の上値は抑えられるが、いずれは実需の円買いが勝り、どこかの時点で急速な円の買い戻しが発生する可能性にも注意が必要だろう。
*佐々木融氏は、JPモルガン・チェース銀行の市場調査本部長で、マネジング・ディレクター。1992年上智大学卒業後、日本銀行入行。調査統計局、国際局為替課、ニューヨーク事務所などを経て、2003年4月にJPモルガン・チェース銀行に入行。著書に「インフレで私たちの収入は本当に増えるのか?」「弱い日本の強い円」など。