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おべんとう&フリー素材

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マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』【26】

2006-11-29 07:22:20 | 世の中のいろいろ
第26回・議院内閣の仕組み
を読みました。


内閣の仕組み、ちょっと難しくて私には理解できません。


憲法上、政党の活動について規制がないということは、
私たち国民がしっかり意識して、
私たちにとって不利にならないように政治の動きを見ていく必要があると言うこと。


アメリカの大統領制のように直接的な関わりではない代わりに、
私たちの声を国会で、少数派の声を含めて充分に議論されるべき。


内閣はその国会に対して責任を負う・・・


次は
第27回・議院内閣制と権力分立06-09-13UP
を読んでみます。


心配事が取り越し苦労でありますように。

マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』【25】

2006-11-28 07:20:20 | 世の中のいろいろ
第25回・政党と議院内閣制
を読みました。


今の日本の政治の進め方は、民主主義に反してはいないだろうか。


今の憲法で保障されているはずの、
国民一人一人の思想の自由を妨げるような方向に、
いつのまにか進められていくようなことはないか・・


少数派の意見にも耳を傾けて議論し進められているのか。
その政治家を支持しているのは他でもなく私たちなのですが・・・


日本の今の憲法の規定には、政党については触れられていない(そうです)。


ドイツの憲法では、過去の苦い経験から、
政党が憲法を批判できないように規定されているとか。


憲法と政治の関係をもう少し解説してくれます。


次は
第26回・議院内閣の仕組み
を読んでみます。

心配事が取り越し苦労でありますように。

マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』【24】

2006-11-27 13:03:42 | 世の中のいろいろ
第24回・原爆、核兵器は人間の尊厳に反する
を読みました。


戦争や原爆症で60年以上過ぎた今でも苦しむ人の存在、
またそれらに対する国の対応の事実を知れば、
戦争を肯定するどんな言葉も説得力はないですね。


実際に、心身ともに苦しんでいる人を目の前にして、
戦争や核兵器を肯定することができるでしょうか?


今の憲法のめざしている、国民一人一人を尊重すると言うことと、
このような結果が相反すると言うことは誰にでも理解できると思います。


次は
第25回・政党と議院内閣制 06-08-30UP
を読んでみます。


心配事が取り越し苦労でありますように。

マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』【23】

2006-11-25 15:26:06 | 世の中のいろいろ
第23回・同質性と多様性を読みました。


憲法改正案や教育基本法の改正案では、
国家の価値観を国民に押し付けるように解釈できる部分がある。


そうだとすると、同質性を求めることになり差別を生む。


今の憲法では、多様性を受け入れる社会をめざしている。
けど遠い・・・?


多様性を受け入れるためには、
相手の立場に立って理解しようとする姿勢が必要。


また、今の憲法は人間レベルの規定なので、
伊藤氏は、もっと広い範囲の自然界へ視野を広げるべきではないかと言っています。


人間の価値観を当てはめるのではなく、
地球レベルの多様性を受け入れる、
これは、地球環境を守っていくということに繋がっていくのだと思います。


今まさに、国際レベルで課題になっていることですよね。


とりあえず、人間レベルで多様性が受け入れられる社会が理想だけど。


次は、
第24回・原爆、核兵器は人間の尊厳に反する06-08-09UP
を読んでみます。

心配事が取り越し苦労でありますように。

マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』【22】

2006-11-24 07:50:30 | 世の中のいろいろ
第22回・個人の尊重その4 人はみな違う
を読みました。


伊藤氏が“日本国憲法の中で最も大切な価値”
と数回に渡って触れられている「個人の尊重」(憲法13条前段)。


憲法の下で、同じように尊重されるべき私たちが、
それぞれの違いを受け入れあってこそ、
進歩的な社会ができるとされている。


自分の幸せは個々に違う。
家族、地域、社会、国家など、誰かが決めるものではなく、
自分で決めるもの。


前にも書いたけれど、
お互いを尊重すると言うことは、
実はとても勇気が要り、簡単ではないのです。


でも私たちは、それが大切で必要だと感じていて、
みんなが幸せになれる社会を築きたいと思っているのなら、
勇気を出して違いを認め合い、共有していくことを避けてはいけないのです・・・


この部分に関しては、
障害をもつ息子の存在で、痛いほど感じているはずですが・・・、
障害児をもつ家族ではあっても、障害当事者ではない、という立場の違いがあり、
息子たちを本当に尊重できているのかどうか、自信ないのです。


このことについては、次で触れられているようです。


次は
第23回・同質性と多様性06-07-26UP
を読んでみます。

心配事が取り越し苦労でありますように。

マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』【21】

2006-11-23 06:39:08 | 世の中のいろいろ
第21回・犯罪抑止力と戦争抑止力についてを読みました。


犯罪被害者への救済措置が遅れているという現状、
被害者側の感情と別の部分で、
もっと進めていかなくてはならない問題がある。


「死刑」は、犯罪の抑止力になっているのか?


凶悪な犯罪を起こす人間は理性を失っているのだから、
「死刑になるからやめよう」という理性的な考え方をしないのでは?

また、
えん罪の可能性を考えると、取り返しのつかない死刑という懲罰はどうなのか。
 >>冤罪事件関係データベース


「死刑」という力による犯罪抑止力という考え方と、
「軍事力」という力による戦争抑止力という考え方は似ている。


冷静さを失った相手に力は意味がないと思われる。
冷静さを持った相手なら、力ではなく冷静にお互いの利益のための話し合いが有効ではないか?


外交交渉に、軍事力が必要という考え方を否定しない、
でも、そのメリットとデメリットを考えたとき、
日本にとって軍事力を持つことはデメリットのほうが大きいのではないか?


ひとりひとりの、そのような冷静な判断が必要な時だと思われる・・・


闇雲に「死刑反対」や「戦争反対」を唱えるのではなくて、
それはなぜなのか、ではどうしたらいいのかをきちんと考えていかなければ、なんですよね。


感情論だけでなく、ね・・・


しんどい・・・


次は
第22回・個人の尊重その4 人はみな違う06-07-19UP
を読んでみます。

心配事が取り越し苦労でありますように。

マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』【20】

2006-11-22 13:44:38 | 世の中のいろいろ
第20回・個人の尊重その3 刑事裁判と被害者
を読みました。


犯罪を起こしたであろう被告人に、なぜ弁護士がつくのか?


被告人を犯罪者だと決め付ける風潮、マスメディアの影響の大きさ。


何のための裁判制度か。


“そもそも有罪かどうかわからないから裁判をしているのです”


憲法では、被告人と検察官が対等に争うことを保障している。
明らかに被告人は不利な立場であるため、対等にするために弁護士がつく。


こうして中立に行なわれた裁判の結果は、
国民主体のシステム上、国民の信頼を得なければならない。
決して国民が裁くのではない。=多くの国民の望む結果が正しいとは限らない。


被告人と検察官が対等ではなかった明治憲法の反省から、
今の憲法では、
検察官(処罰を求める)・弁護士(被告人を守る)・裁判官(中立に裁く)が、
それぞれが違った立場で役割を果たすことで、
裁判の正当性が保障されている。


“個人の尊重”の必要性を認めるのならば、
私たち国民も、検察官側に偏ることなく、
この三つの立場を冷静に見つめることが大切だということですね。


次は、
第21回・犯罪抑止力と戦争抑止力について06-07-12UP
を読んでみます。

心配事が取り越し苦労でありますように。


---
興味深い記事;gooニュース>>
世界は日本をどう見ている?
フィナンシャル・タイムズの記事を日本語で

マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』【19】

2006-11-21 11:40:36 | 世の中のいろいろ
第19回・個人の尊重 その2 「刑事裁判と被害者」を読みました。


無念極まりない被害者の人権はないがしろにされていないか?


刑事裁判は、被害者の感情とは切り離されたものでなければいけない。
(感情とリンクしていては社会は混乱する)


憲法で、被害者の人権が保障されていないという声があるが、それは違う。
保障するシステムが確立されていないという、政治側の問題。


被害者の人権を守ることと、犯罪者の人権を守ることは、
衝突するようで実は違う次元のもの。


犯罪者の人権を考えることは、人間心理としてとても難しいと思います。


頭では理解していても、
立場が逆転する可能性もあるのだと仮に考えられたとしても、
「それはそうだけど・・・でもその可能性はゼロに等しいじゃないか」という想いが強いと思うから、
実際には納得できないと思うのです・・・


その“収まらない思い”を持たなければならないことは、
“人権や近代法治国家というシステムを取ることの、代償といってもいいかもしれません”


前回の“どんな悪人でも人権があるのだということ認める覚悟がなければ、
人権を口にするべきではない”
という伊藤氏の言葉と「代償」という考え方・・・、


う~ん・・・厳しいですね。


次は、
第20回・個人の尊重その3 刑事裁判と被害者06-07-05UP
を読んでみます。

心配事が取り越し苦労でありますように。

マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』【18】

2006-11-20 06:41:11 | 世の中のいろいろ
第18回・個人の尊重「人はみな同じである」について
を読みました。


人権の尊重という価値観は、普遍的なものではないけれども、
それが正しいであろうということを私たちは感じている・・・。


でも・・・


“どんな悪人でも人権があるのだということ認める覚悟がなければ、
人権を口にするべきではない”


例えば、身内が被害に遭ったとき、
犯人の人権を考えられるだろうか?


人間は不完全だということを忘れてはいけない・・・


立場は常に逆転する可能性がある・・・


あまりにも深すぎて、
考えることを放棄したくなります。


個人を尊重するということは、


“個人のために国家があるのであって、国家のために個人があるのではありません。”
“あくまでも一人ひとりの幸せのために組織や国家が存在することを忘れてはなりません。”


ここに意識を置くことが大切なんですね。
人類最大の課題かも?


もしもこれが逆転したら、
どうなってしまうんだろう。


次は、
第19回・個人の尊重 その2 「刑事裁判と被害者」06-06-28UP

を読んでみます。

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マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』【17】

2006-11-18 08:31:25 | 世の中のいろいろ
第17回・「国家と個人」
を読みました。


伊藤氏自身は、今の日本の憲法を完璧だとは思っていないそうです。
価値を見出す部分は「近代立法主義(少数派を守る)」であること。
これは大きく評価している。


つい忘れてしまいがちなこと。

「個」について。

今の憲法は「国家は個人の集まり」として捉えられている。
もとは、一部の人間の身分を国家から保護するものとしていた時代(中世立法主義)から、
一人一人(個人)を守るものへと変わってきた過程についてもこのページで触れられています。


しつこいほど言われて来ている「個」を守るための「国家の権力への歯止め」である憲法。


そして大切なこと、
人はみな、同じように尊重されるべき。
人はみな、一人一人違うのだ=「個」である

という捉え方。


この解釈が今の日本の社会では、
「みな同じでなくてはならない」というふうに謝った捉え方をされている気がします。

180度意味が違ってきます。

例えば、障害をもつ人が尊重されていると感じることは難しく、
生きづらいと感じるのは、そのせいではないでしょうか。


「障害者自立支援法」(Wikipedia)は、憲法に則っていると思えません。


ただ!
この「個」を守るという価値観(個人の尊重)は、
実はとても奥が深く、そう簡単に共有できるものではないということを、
次のページで触れられています。


次は、
第18回・個人の尊重「人はみな同じである」について06-06-21UP
を読んでみます。


心配事が取り越し苦労でありますように。
imktj