北沢楽天、明治時代初期から昭和初期を生きた漫画家。
本名は北沢保次(1876~1955)。
「
漫画会館」というさいたま市北区にある小さな施設を見学して初めて知った人です。
少し前から、楽天を知ってもらおうと、市も力を入れているようです。
楽天は生れは東京ですが、先祖が代々、さいたま市(旧大宮市)で、
父親の代まで(十三代ぐらい)幕府や大名と関わりのある職務についていたり、
楽天自身も晩年をさいたま市盆栽町で過ごしたことから、
さいたま市にゆかりのある漫画家とされています。
東光寺(さいたま市大宮区宮町)の楽天の墓。右側のきつねさんが祀ってあるのが北沢三社稲荷。
大宮高島屋屋上の北沢三社稲荷

五代目が三社稲荷とした。
①寿能城(岩槻城の支城、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際、豊臣勢の火にかかって落城した)に祀ってあった
寿能稲荷
②小田原城落城で犠牲になった37人の兵士を祀った
八幡社
③北沢家の元祖「禰津」の名を子孫に伝えるための
禰津稲荷社
楽天は、幼いころから絵を描くのが好きで、特にウィットに富んだ表現に才能があったそうです。
父親からさかのぼる時代背景が、楽天の鋭い政治批判などの表現に影響があったのではと言われているようです。
親の希望だった医者になることをやめ、洋画を学び、十代で外国人向けの新聞に風刺画を載せたり、
日本の新聞社に誘われ、風刺画を描き続け、人気漫画家だったそうです。
漫画=風刺画=楽天、という時代だったのです。
(10歳くらい年下の岡本一平(
父が岡本太郎息子が岡本太郎)とはライバルでもあったらしい。)
漫画会館の階段の壁に、岡本一平と楽天の肖像画。
楽天の作品が少し紹介されています。
連さいたま | タサいたま - さいたま市のいいトコひねり出しました -
でも、二十世紀初めから戦後まで、長く続く混沌とした時代、
楽天は何度も抵抗を示しますが、風刺漫画が描きづらい風潮に圧され、
徐々に風刺画を描かなくなったのです。
晩年は、大宮の盆栽町に家を建て、好きな絵を指導しながら、亡くなるまで約7年間、
妻と静かに過ごしたそうです。79歳で亡くなりました。
妻との間に子はなく、北沢家の跡継ぎはないそうです。
(内妻との間には子があります。妻は、内妻とその子どもたちの世話もしたとかしないとか・・・)
楽天の漫画が大人気だった時代と今では、私たちが抱く「漫画」のイメージがずいぶん違うようです。
楽天をも黙らせてしまった、表現の自由を委縮させる力。
とても考えさせられます。
特に最近、というか、まさにいま。
映画「漫画誕生」が11月に公開予定です。
どのように描かれているかわかりませんが。
今月、さいたまで先行上映があるので観てきます。
* * *
盆栽町と言えば世界的にも注目されている「盆栽」ですが、近くにプラザノースと言う文化施設があり、北沢楽天にちなんだ「ユーモアスクエア」というスペースがあります。
9月14日から、そのプラザノースで「
楽天の世界展」が開かれます。
チラシ→
http://www.plazanorth.jp/events/rakuten2019-01.jpg
もっと知ってもらいたいです。
もし今、楽天が生きていたら、
世の中を風刺漫画でどう表現するだろうな、
ぜひ見てみたいなあと思ってしまいます。
『漫画誕生』予告編| The Manga Master - Trailer HD
漫画会館
北沢楽天物語
読みやすくて楽天のことがよくわかる本です。
「北技楽天」

北沢楽天― 日本で初めての漫画家
(もっと知りたい埼玉のひと)
北沢楽天顕彰会/さきたま出版会