おべんとう&フリー素材

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姜大興(カン・デフン)さんのお墓と「広島・長崎の火」

2020-04-30 11:42:11 | et cetera
自宅から2kmくらいのところに「常泉寺」というお寺があり、ここに、姜大興(カン・デフン)さんという方のお墓があります。
そのことを知りながら、こんな近くにあるのになかなか訪ねることができなかった。
最近、夫婦でよく歩くようになったので行ってきました。

1923年9月1日の関東大震災が起きたあと、多くの朝鮮人の方等が襲われ犠牲になった事件がありました。
その中の一人が姜大興さんで、このお寺の近くで亡くなり、ここに眠っています。

具体的な内容が書かれているブログがありました。
祖父、父から今に受け継ぐ朝鮮人殺害の歴史を聞く(暖かさと希望を届けたい)








関心のある方はこちらのサイトを...


* * *

同じく常泉寺。



ある軍人さんが終戦後の9月、広島市内で親戚の家の地下にまだくすぶっていた(原爆投下による)火を懐炉に移して持ち帰り、「長崎の火」と合わされ、ご縁があってここに灯され続けているとのことです。
とても貴重なものだと思います。





「常泉寺「広島・長崎の火」のいわれ
 一九四五年八月、第二次世界大戦は最後に核戦争となり、広島と長崎は人類史上最初の犠牲者になりました。一瞬にして二十万人近くの生命が奪われ、今なお放射能で多くの人が苦しんでいます。
 福岡県星野村の山本達雄さんは、軍人として広島市内に入り被曝しました。同時に、書店を経営していた叔父さんを探しましたが、消息はわからず、焼け跡の地下の書庫にくすぶっていた火を形見の火として懐炉に移し、故郷の星野村に持ち帰り、広島を地獄におとしいれた恨みの火、怒りの火として灯してきました。この「広島の火」は、村長の提案により後に、核兵器のない平和な世界を呼びかける火、日本国憲法の心の火として星野村に灯されています。
 一九八八年、「広島の火」は、長崎の原爆瓦から採火された「長崎の火」と合わされて、全国を巡る平和行進の先頭に掲げられ、ヒロシマ・ナガサキアピール署名とともに、弟3回国連軍縮特別総会に届けられました。埼玉県にきた「長崎の火」は、新潟県長岡を行進中にもらい受けた「広島の火」と合火して県内を行進しました。その後、原水爆禁止埼玉県協議会の依頼で、常泉寺の小山元一住職が灯し続け、毎年「広島・長崎の火」を囲むつどいが開催されています。
この火を永遠に灯して、核兵器と戦争をなくす被爆者と日本国民の願いを語り広げるため、この地に「広島・長峰の火」モニュメントを建設しました。
二〇〇七年九月二日
 さいたま・常泉寺「広島・長崎の火」モニュメントをつくる会」

恨み、怒りの火が、時がたって平和を願う火に変わったことはよかったのかなと思いました。

”広島の原爆による火”は、ほかにも何か所かのお寺などに分燈(分灯)されているそうですが、終戦から(原爆投下から?)灯され続けているのは、唯一、八女市星野村でだけとのことです。

ちょっとわかりにくいのですが、広島では「平和の灯(ともしび)」が1964年から点灯され続け、長崎では「長崎誓いの火」が1988年から毎月9日に点火されているそうです。
「広島の灯」の火種は、原爆の火ではなく、”全国12宗派からの「宗教の火」、全国の工場地帯からの「産業の火」から”採火、(Wikipediaより)、「長崎誓いの火」の火種も原爆の火ではなく、ギリシャ・オリンピアの丘の聖火から採火されたものだそうです。(上記サイトより)
(”長崎の原爆瓦の火”について検索してみたのですが、詳細はわかりませんでした。)

【常泉寺】
埼玉県さいたま市見沼区染谷3丁目242
さいたま市立片柳図書館(片柳コミュニティセンター)南側
駐車場あります(10台程度)
アクセス:https://www.navitime.co.jp/poi?spt=00011.020356433



(画像の上が北)
(お墓の場所は、お寺の区画整理などで変わることもあるそうです。)

「原爆の残り火を59年間守り続けてこられた山本さん亡くなる」


* * *


(おまけ)
自宅の近くでは、子どもの日前になると田んぼの側の用水沿いにこいのぼりを飾り、イベントが開かれます。





”その結末は私たちの選択にかかっている”(ユヴァル・ノア・ハラリ氏)

2020-04-24 11:45:40 | 世の中のいろいろ
23日の「国際報道2020」(BS1夜10時)
「知の巨人」というコーナーから。
とても興味深いので。

以下、ユヴァル・ノア・ハラリ氏(イスラエルの歴史学者)の発言、字幕の引用です。

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”非常事態こそ政府を監視せよ”

”政治に関心を”

”政府が行動を制限”

”民主主義崩壊の危険性”

”私たちの選択”

”その結末は私たちの選択にかかっている”

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先日このブログでも記事にした、ドイツ・メルケル首相のドイツ在住の人に対するビデオメッセージは、このような懸念に対してとても心のこもった発言をされていたと思う。
以下の言葉からそう思います。
「開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです。」
「連邦政府と各州が合意した閉鎖措置が、私たちの生活に、そして民主主義的な自己認識にどれだけ厳しく介入するか、私は承知しています。」
「このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。」


翻訳した方のブログの最後に、”*Liebe Mitbürger, liebe Mitbürgerinnen”の翻訳に関して、「国民の皆様」から「ドイツにお住いの皆様」と修正しました。”とあります。
メルケル氏の演説には、こちらの方がふさわしいということなのでしょう。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の特集が「ETV特集」という番組で放送されます。(NHKEテレ1・東京)
4月25日(土)
午後11:00~午前0:00(60分)
「緊急対談 パンデミックが変える世界 ユヴァル・ノア・ハラリとの60分」


鶏肉と大根の煮物/お弁当

2020-04-22 09:09:56 | お弁当
鶏肉と大根の煮物
根ミツバの卵とじ
たけのこのうす皮(?)とピーマンのきんぴら
菜の花のおひたし
かぶの葉のピリ辛ふりかけ大根の皮入り(煮物に使った大根の皮をみじん切り)をごはんにのせた


*たけのこの姫皮ではなくて、剥いた皮の、黒っぽくないきれいな色の部分。何て呼ぶんだろ?
やわらかいしもったいないもんね。

小江戸とちぎ蔵の街

2020-04-21 10:42:20 | Family/夫婦
やっとブログ書いた(笑)

2月、岩下の新生姜ミュージアムにライブを見に行く前に、ちょっとに寄ったんです。
去年の11月の終わり、新生姜ミュージアムの帰りにたまたまぶらぶらしたら、すごく気になる街だったからです。






そのあたりは、実は台風19号の被害を大きく受けていて、とても大変だったそうなんです。
去年の11月に何も知らずに行って、台風から一ヶ月くらい経っていたけど、まだその被害の痕が何か所かで見られ、観光業務を休んでいるところもありました。

街の雰囲気がとてもよくて、蔵などの歴史的な建物の感じ、観光地だけど自然体な感じ。
また行きたいなあと思っていました。

とちぎ蔵の街美術館(今は休館中


巴波川(うずまがわ)沿いの景色、江戸時代後期、木材を運ぶ問屋だった塚田家(塚田歴史伝説館)の蔵が並びます。




「日光珈琲」という喫茶店でコーヒーとケーキ


-------ここまで前回の写真。

前回は、コエド市場の隣りの「蔵の街第1駐車場」に車を止めましたが、今回はもっと駅に近いほうの「蔵の街第5駐車場」(うずま公園南側)に止めました。
ここは月極駐車場も兼ねていて少しわかりにくかったかな。
「番号札が立っていない場所に止めてください」というような説明版があったと思います。
あまり台数は止められないです。

遊覧船。台風19号の影響で2か月ほど運休していましたが12月には再開したので乗れました。


都賀船という船です。




(現在は新型コロナウィルス関連で運休しています)

塚田歴史伝説館へ




公式サイトより
”塚田歴史伝説館は江戸末期創業の木材回漕問屋で、江戸深川の木場まで木材を運んでいた。8つの白壁土蔵は栃木市を代表する景観になっている。”

台風19号の被害に遭い、ハイテク人形ロボットによる「蔵芝居「うずま川悲話」と「お囃子付きからくり人形山車(手力男命)」はお休み中で、建物の修復作業も進行中でした。
入場料が少し割引になっていました。

ハイテクロボット?想像がつかないまま「三味線ばあさんロボット展示室」へ。

なんだ、先客がいたのか、と思ったら・・・


お人形でした。ものすごくびっくり。(季節によってお召し物が変わるみたい?)


三味線を弾くおばあさんロボット。


猫のタマも。


三味線を弾くおばあさんロボットとタマの20秒ほどの動画。音声ありです。
タマが動いたのでびっくりして私の「へー」と言う声が入っちゃってます。


展示館へ






奥の庭園へ

別荘だそうです。


洋館が併設?されていておもしろいです。






別荘のガラス戸を開けて中に入れます。
びっくり、またよくできた人形がいました。

左にちょっとだけ見える部屋は、台風の被害に遭い、畳が上げてあるそうです。

石灯籠がいくつもある立派なお庭。


水琴窟(すいきんくつ)







そしてまたまた気になるもの、りっぱな屋敷神のお稲荷さん










猫ちゃん登場~







すぐ逃げちゃいました。似たような写真ばかりすみません。

車を止めたところのすぐ近くにあった「こうしんの店」で昼食をとりました。

(この写真はGooglemapからお借りしました)

「ジャガイモ入り焼ソバ」が気になって。







おいしかったですー

ジャガイモ入りやきそばの歴史
”戦後、アメリカから輸入されるようになった小麦粉で麺類が普及し、栃木市内でもともと親しまれてきたじゃがいもを焼きそばに入れるようになった。
駄菓子屋で売っていた、いもフライやふかしたじゃがいもを入れていた。
ソースとじゃがいもの相性がよかった。
などのいわれがあるそうです。ちゃんと定義があって興味深い。
「蔵の街とちぎおいしいじゃがいも入りやきそば研究会」

今は、ふかしたじゃがいもを入れるほうが主流だそうですが、いもフライを入れているお店もあると聞いて、次回は是非そちら食べたいです。

なぜ「こうしんの店」って名前かと言うと、目の前に「塩庚申」という気になる小さなお社がありました。

(この写真はGooglemapからお借りしました)





塩庚申神社と御神体のいわれ
この地に天文五年(一七四〇年)うずま川の大洪水がありました。その時、猿の形をした石が流れ着きました。
塩を商っていた七左衛門という者がおりました。
七左衛門は屋敷に内にこの石を祭り塩をそなえて大切にいたしました。
それ以来、悪病も七日で治るなどありがたいことが次々と起こるようになりました。
徳川吉宗の時代に塩庚申として広く知られるようになりました。
今でもその石は塩庚申として御神体として大切にまつられております。
ボケ除け 下の病い除け ガン除け
元気で寿命を全うできるよう
ピンピンコロリの庚申様として
この地の人々に親しまれています。






小さなお社なのに、彫刻がとてもとても凝っているのです。




木鼻も立派!


少し離れたところに赤い鳥居が見えます


車道側の鳥居から






鳥居の脇の小さな看板に
”「幸神付く付く」と三回唱えてお通りください。必ず貴方様に幸神が付きます”と書かれています。

お賽銭を納めて、お守りも購入しました♪

それから、写真はないのですが「郷土参考館」にも寄りました。
ここもおもしろかったです。
自由に出かけられるようになったら、とちぎ蔵の街にまた行きたいと思っています。
必ず行きたいです。