第17回・「国家と個人」
を読みました。
伊藤氏自身は、今の日本の憲法を完璧だとは思っていないそうです。
価値を見出す部分は「近代立法主義(少数派を守る)」であること。
これは大きく評価している。
つい忘れてしまいがちなこと。
「個」について。
今の憲法は「国家は個人の集まり」として捉えられている。
もとは、一部の人間の身分を国家から保護するものとしていた時代(中世立法主義)から、
一人一人(個人)を守るものへと変わってきた過程についてもこのページで触れられています。
しつこいほど言われて来ている「個」を守るための「国家の権力への歯止め」である憲法。
そして大切なこと、
人はみな、同じように尊重されるべき。
人はみな、一人一人違うのだ=「個」である
という捉え方。
この解釈が今の日本の社会では、
「みな同じでなくてはならない」というふうに謝った捉え方をされている気がします。
180度意味が違ってきます。
例えば、障害をもつ人が尊重されていると感じることは難しく、
生きづらいと感じるのは、そのせいではないでしょうか。
「障害者自立支援法」(Wikipedia)は、憲法に則っていると思えません。
ただ!
この「個」を守るという価値観(個人の尊重)は、
実はとても奥が深く、そう簡単に共有できるものではないということを、
次のページで触れられています。
次は、
第18回・個人の尊重「人はみな同じである」について06-06-21UP
を読んでみます。
心配事が取り越し苦労でありますように。
を読みました。
伊藤氏自身は、今の日本の憲法を完璧だとは思っていないそうです。
価値を見出す部分は「近代立法主義(少数派を守る)」であること。
これは大きく評価している。
つい忘れてしまいがちなこと。
「個」について。
今の憲法は「国家は個人の集まり」として捉えられている。
もとは、一部の人間の身分を国家から保護するものとしていた時代(中世立法主義)から、
一人一人(個人)を守るものへと変わってきた過程についてもこのページで触れられています。
しつこいほど言われて来ている「個」を守るための「国家の権力への歯止め」である憲法。
そして大切なこと、
人はみな、同じように尊重されるべき。
人はみな、一人一人違うのだ=「個」である
という捉え方。
この解釈が今の日本の社会では、
「みな同じでなくてはならない」というふうに謝った捉え方をされている気がします。
180度意味が違ってきます。
例えば、障害をもつ人が尊重されていると感じることは難しく、
生きづらいと感じるのは、そのせいではないでしょうか。
「障害者自立支援法」(Wikipedia)は、憲法に則っていると思えません。
ただ!
この「個」を守るという価値観(個人の尊重)は、
実はとても奥が深く、そう簡単に共有できるものではないということを、
次のページで触れられています。
次は、
第18回・個人の尊重「人はみな同じである」について06-06-21UP
を読んでみます。
心配事が取り越し苦労でありますように。
imktj
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