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【 リアル 元・プロ野球&メジャーリーグ投手&名コーチ ルポ 】吉井理人・第2弾。ポロリ、佐々木朗希は、6回で降板して欲しかったと。「壊れてからでは、遅いのです」。反省込めて種市の復帰に喜ぶ

2022-04-18 20:55:43 | プロ野球選手の、その後の人生を追って・・・

 つい、この半年前まで、ロッテの「1軍投手コーチ」として、いまや、ドシロートと、門外漢たちに騒がれ過ぎの、佐々木朗希を、

 彼が話したことを、うまくライターがまとめて出した、4著作のタイトルから、推し量ると「朗希には、教えていなかった」吉井理人(まさと)。

 その、4月10日の、完投、105球、奪三振記録試合を、「チームの、コーディネーター」として、ブログでは手放しで、喜んでいたのを目にし、

 ? そうかあ? 本音じゃねえだろうなあ…と思いつつ、記事化し、彼のブログを知らない読者に紹介しておいた。

 そして、期待通り、4月17日の、佐々木朗希の、102球、無失点の、0-0とはいえ、8回で降板したことに、改めて、触れていた、

 「質の悪い、直球を投げていた」

 「6回で、代えて欲しかった」

 「ついつい、目先の勝利や記録にとらわれて、選手に無理をさせてしまいかねない」

 そう言っておいて、球団の1重要スタッフとしての、立場から

 「8回での降板,よい判断でした」

 でありながら、きっぱり言い放つ

 「壊れてしまってからでは、遅いのです」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この一言を、國保陽平は、どう、聞くであろうか

 マスコミへの取材拒否は、おそらく、佐々木朗希が引退するまで、かたくなに、続けるであろう。

 ドラフトで、競合4球団の末、ロッテ球団、とりわけ、現場のかなめ、吉井には、診察・診断記録を提示して、口酸っぱくして、「朗希の、ガラスの肩、下肢、腰」の症状を説明したように思う。

 佐々木朗希とは、メールや電話で、恩師としての会話、助言、激励は続行中であろう、

 一方で,朗希の母や、兄や弟への、取材拒否も、致し方ないと思う。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 ちなみに、吉井の言う通り、6回で降板していれば、投球数、77球

 昨年の1軍戦で、投球したのと、ほぼ同様だったことになる。

 それは、吉井が、1軍投手コーチとして、帯同し、そばにいて、朗希にも納得させていた球数だ。

 すでに、記事化しているが、1度だけ、100球超えたときがあった。

 わたしでさえ、見ていて、ひやひやものだった。

 1度だけの、見切り発車の、試運転であったのであろう。

 今回、6回で降りて、欲しかった理由

 それは、5回までの、投球数、60球であったのが、

 6回、2-3のフルカウントまで、打者に粘られるなどして、17球も投げざるを得なくなってしまったからだ。

 コントロールの、精度が、ガクンと、落ちた

 吉井に代わり、1軍投手コーチになっている、木村龍治も、言う

 「6回くらいから、球が、暴れ始めてきた」

 降りてきた、佐々木に、「肩や、ひじの、コンディションは、どうだ?」と聞いたところ

 「いや、大丈夫です」と、答えが、帰ってきた。

 かつて書いた、大越基の言葉を思い出した。

 そう、言って返した朗希には、いままでに見られなかった、あわや、ホームラン級のあたりも出た。

 7回、逡巡し・・・・・8回途中で決断した。

 今はまだ、ガラスだが、そのうち、宝石に輝くであろう大器だけに、吉井も、木村も、見ていて、気が気ではなかったはず

 ボロ、見せたくない。

 安全圏で、降板させたほうがいい

 まだ、実質1年目でもあるのだから

 野球人生、まだまだ、これから

 それも、自らの深い反省からきたものと思う。

 結果として、酷使させてしまった種市の復活

 そのことを、心からの喜びを、ブログに刻んでいる。

 ぜひ、読んでいただきたい。

 正直な、吉井のこころを

 それにしても3流選手でしかなかった、岩本勉や、里崎智也らの、ただただ、声、うるさいだけの、自画自賛の、的外れでしかない、8回の降板「怪説」

 

 改めて、記載しておきましょう

 「選手が、壊れてしまってからでは、遅いのです」


《 リアル 2019年 ドラフト会議 緊急速報 衝撃 ルポ 》  今年の目玉とされる、岩手県立大船渡高校 野球部投手 佐々木朗希。実は、正直に告白したら、とんでもないことになる、衝撃の真実 『第1弾』

2022-04-18 11:17:36 | 高校球児の、その後の人生を追って・・・

 

 

【 2021・3・12 最終掲載 】

 この2021年1月29日、続く、間おいて、2月1日。

 ブルペンで、それも、軽く、慎重に、1球、また1球と、確認するかのように、ゆっくりと間をおいて、21球、そして、37球。

 合わせても、100球にも遠く満たない、捕手を立たせたままの、強めのキャッチボール。

 その、顔見世、姿見せの、マスコミ向け、パフォーマンス。

 それについて、しゃべり好きの、実力は、現役時代3流の、元ロッテ捕手や、槇原ら、有象無象達の、コメントに加え、それに、輪をかけて、自論を好き放題に打ち込む、あふれるネット族。

 ち、ちょっと、待ってくれ。

 この、佐々木朗希という、青年の、取材して判明した、幼い頃からの、「特異」「特殊」な投手としての、軌跡を、知っていただきたく、この記事を、また、再掲載致します。

 興味ある方、知られていない事実を、じっくりとお読み戴ければと・・・・・

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≪ 2019・10・17 掲載記事 ≫

 ≪ 2019・12・9 再掲載 ≫

 ≪ 2020・7・1 再再掲載&最新情報追記 ≫

 ≪ 2020・7・15 さらに、追加掲載≫

 ≪ 2021・2・2 追記 ≫

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 正直に書いてしまって、良いものか、どうか・・・・・・。

 この数か月、迷いに迷った挙句、ついに、当日を迎えてしまった。

 そう、表題に記した、今年のドラフト会議の、目玉ともいえる報道ぶりの、岩手県立大船渡高校、硬式野球部、投手、佐々木朗希(ろうき)の、秘された事実、をだ。

 実は、彼のカラダは、壊れやすい、朗希ならぬ、老木・状態なのだ。

  191センチの、魅力ある長身から繰り出す、ダイナミックな

  この、投法。

  カラダ全身を、バネのように使い、真向勝負とばかりに、勢いよく投げ込む、

 だが。。。。。。。ガラスの肩。割れやすい、右腕なのだ。

 今年、4月6日、近畿大学の練習グラウンドで開催された、「18歳以下 ワールドカップ 野球大会」に向けての、事前合宿において、紅白戦が行われ、

 163キロが出た。

 おまけに、6人の打者に対して、6奪三振という快挙。

 マスコミは、にわかに、騒ぎまくり、メジャーリーグも注目と、勝手に、先走りして、湧きたて、神輿を、わっしょい、わっしょいと、かつぎまくった。

 いまだ、たった1球しか出していない、球速。

 その後も、150キロ台こそ出してはいるものの、163キロは、ない。

 実は、そのことを一番、気に掛け、心配していたのが、当の大船渡高校の硬式野球部の監督である、

  國保陽平(こくぼ ようへい)だった。

 そう、シロ~トたちが、揃いもそろって、岩手県 夏の大会 決勝戦で、強豪、 花巻東に対して、この佐々木朗希を、登板させず、2-12のスコアで、大敗したことで、有象無象のヤカラから、バッシングされただけでなく、

 同校野球部の、OB会の総会でも、その事への疑問と、抗議が、噴出。

 校長に対して、監督交代論まで、出たという、被害者。

 ただし、この高校。

 私立の、野球特待生校では無く、県立の、ごくフツ~の公立高校のため、「はい、そうですか」などと言う、OBの意見は通らない。

 國保陽平は、佐々木朗希だけでなく、他の全選手に対して、勝つことなどより、ケガ無く、高校3年間の野球部、生活を終えて欲しいと願っている、

 それは、彼が、大学を卒業したのち、アメリカのメジャーリーグへ、挑戦し、今はすでにチームが無い、独立リーグの下部チームで、1年弱、苦闘した体験に基づいてもいる。

 佐々木のカラダそのものが、いまだ、成長過程に有り、背、体重、下肢、上腕が、バラバラの、アンバランス状態、。

 そのため、中学校時代から、現在に至るまで、この投法ゆえに、股関節を何度も痛めている。

 加えて、中学生の軟式の野球部員時代に、すでに、腰の疲労骨折で、休養、リハビリ生活をするという、ガラスのカラダであったことは、知られていない。

 いつ、割れて、チリジリ,バラバラ・・・になるか、いつも、絶えず、危険性をはらんでいた。

 結果、しばしば、練習を休み、投球もせず、させず。

 常に、再発や、違和感を生じることを、おそれ、異常とも想えるほどの、入念なストレッチ運動を欠かさせない。

 さらに、肩が・・・・・

 骨の密度の検査を、上記、紅白戦後の4月16日と、さらに、ゴールデンウイークの連休中に、慎重に慎重を期して、、國保陽平は、佐々木朗希を伴い、2か所の、県内のとある総合病院で、ち密な診療をさせ、データを出してもらっていた。

 出た、結果は・・・・・

 骨の、右腕の肩の骨の密度が、極めて無いに等しい、スカスカの状態であった。

 とりわけ、筋肉と連動している、骨の付け根の部分のひ弱さ、スカスカぶりは、衝撃的ですらあった。

 高校生としての、普段の、日常生活を送るには、なんら支障は及ぼさないが、投球数過多になると、とたんに、肩の骨に影響し、しばらく、投球練習を、止めさせねばならない、とても、壊れやすい、いわば、「ガラスの肩」と言い換えても、いい。

 また、右のひじの骨も、もろく、弱い。

 この投法だと、大きくなりがちな、ひじの曲げ具合に、負担を生じさせ、痛みが及ぼしかねないため、入部してから、國保陽平は、佐々木朗希の投法を、変えさせてもいる。

 だが、軽減にはなったものの、ひじのもろさに、いまだ、さほどの変化は、無い。

 筋肉を鍛え上げ、骨のスカスカさを、補い、支えていくほか無い。

 あまりに、独り歩きし過ぎた、163キロ。

 マスコミが、必要以上に、騒ぎまくった、163キロ。

  県の、甲子園行きの券を賭けた、決勝戦。他の選手は、大泣きしたが、一つ、アタマの抜け出た、佐々木朗希は、無言であった。

  花巻東に、大敗したあとの、カコミ取材で、

 ---なぜ、佐々木クンを、今日、投げさせなかったんですか? 

 という、遠くから投げかけられた、直球質問に、國保陽平は、この時、いらだちながら

 「投げさせたら、壊れると想ったからですよ!」

 壊れる?って・・・・・。

 確かに、この年の甲子園を目指す、岩手県大会。

 エースと目された、佐々木は、決勝戦めがけて、連投に次ぐ連投、 

 延長戦にもつれこんだ試合では、初回からマウンドに立ち、194球も、投げ込み・・・・辛勝していた。

 とはいえ・・・どういうことなのだろうか・・・・・・。

 そこから、私なりの、現地取材が始まったとも言えるのだが。

 その一方で、佐々木朗希本人も、自分の、股関節や、骨のひ弱さを、クチにしないまま、プロ野球へ、人生に一度、チャレンジしてみたい気持ちが、膨らんでいった。

 マスコミの、取材攻勢に耐えかね、たった1度限りの条件付きで、開催した、異例とも想える、ひとつ間違えば、思い上がり、天狗にとらえられかねない、進路希望公開会見。

  佐々木も、國保も、堅い表情に、終始。

 質問させた記者は、そんな事情を、うっすら知っている、地元記者1人だけ。あとは、シャットアウト。

  そのうえ、佐々木が、言ったことといえば、「しっかりとした、カラダを作っていきたい」。

 決して、お決まりの、マスコミが喜ぶ、「1日でも早く、1軍のマウンドに上がって、1勝したい。新人王も、出来たら、獲りたいです」などと言うことは、水を向けられても、言わなかった。

 せいぜい、「子ども達に、夢や希望を少しでも与えられる選手になっていきたいです」と、言っただけ。

 それでも、たとえ、進学したところで、4年後の、ドラフトの網に、掛かるかどうか?は、未知数、

 今が、最大の売り時、旬、であることは、間違いない。

 ともかく、肩、ひじ、股関節が、壊れないように、ノースロー状態にして、「ガラスのカラダ」を、大切に扱い、さらに、韓国で行なわれた、先の18歳以下のワールドカップ、ベースボール大会にも、血マメが出来たことを、口実に、わずか、19球で終わらせた。

 それでも、いざとなると、心配で心配で、國保陽平は、単身、休暇を取り、韓国に飛び、佐々木と、実は、隠れて、極秘に話し合いの場を持っている。

 ただただ、勝利優先、投手なんて、勝つためのひとつの駒に過ぎない.壊れりゃ、他使う・・・という、歪んだ,甲子園大会出場常連の、特待生校の監督が多いなか、

  この、かつて、隣県、宮城県の仙台育英の投手として、全国にその名を知られ、大学へいったが、すぐ、ダイエーホークスの投手として、マウンドにも立った、この

 大越基(おおこし もとい)、48歳もまた、投手の肩の具合、変調を、とても重視するタイプ。

 現在、山口県の早鞆(はやとも)高校の、教師であり、硬式野球部の監督を務めているのだが、

 練習や、試合のたびに、投手の肩の具合を見定め、嫌がる生徒の肩や、骨や、筋肉の張り具合を、直接、触って、確かめるという、

 「選手はね、おかしくなっていても、多少の痛みがあっても、隠すんですよ。大丈夫ですっ! 俺、ボク、投げられますっ、てね(笑)」

 「ソレを止めて、無理させないのも、監督の務めだと想っています」と、笑顔で語る。

 「そのためにも、常に、全部の選手と、密に、コミュニケーション、とっています」

 聴いてて、思わず、納得した。

  韓国で、常に笑顔を意識して絶やさず、佐々木朗希と、明るく会話を続けていた、

 

  星稜高校の投手、奥川泰伸こそ、プロ向き、

 即戦力、遅くとも、3年後には、勝ち星を積み重ねていくであろう。

 とはいえ、佐々木朗希にも、プロには進んで欲しい。

  なぜ?

  あの、8年7か月前の、3・11、この、岩手県の陸前高田(りくぜんたかた)港をも襲った、「三陸海岸沖、超津波、大地震災害」で。。。。

 父の、功太さんと、同じ屋根の下で、同居していた、父方のおばあちゃんが、この波にもまれて・・・・・遺体となって発見され、他界したからだ。

 さらに、父方のおじいちゃんもまた、いまだ、行方不明のまま。

 家族、事実上、3人が、あの「三陸海岸沖 超津波大地震災害」で、命を失っている・・・・・・。

 残った家族は、母の陽子に、長兄の、琉希、そして、次男の朗希、に、末弟の、4人。

 それまで、住んでいた家は、波に流され、沖合に去った。

 仮設住宅に、申し込むも、外れつづけ、意を決した、母の陽子は、働きに通っていた、隣接の、大船渡市に、家族して、移住、

 そこで、大船渡高校投手として、1年生の秋。國保陽平との、運命的な出会いとなった。

 もし、もし、監督が、國保でなかったら・・・・佐々木朗希の肩、ひじ、股関節は、ボロボロになっていたであろう。

 今は兄の琉希も、稼いではくれているものの、女手一つで、こどもを、あの、悪夢とも言うべき、3・11以降、この家族を、ひたすら、育ててくれた母の陽子に、

 多額の、1円でも多い、契約金を渡してあげて欲しいからだ。

 そして・・・・・

 1軍のマウンドに立てて、快投を魅せられるか、どうかは、まったく未知数で、わからないが、そうなる可能性には、5年は要するであろう。

 その頃には、アンバランスなカラダも、会見で希望したように、しっかりとしたものになっているはず。

 出来うるならば、事実上、4軍まであり、育成にたけた、ソフトバンクホークスか、広島東洋カープに、抽選で選んでもらい、辛抱強く、育ててもらいたいと、切に想う。

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  4球団競合の末、抽選、くじ引きで、「ロッテ」が交渉権獲得か・・・・・・・・

  なんという偶然か、日本名・重光昭夫。本国での、韓国人名、辛東彬(しん どんぴん)。

 かつての、ロッテ球団代表で、重光一族オーナーであった彼が、昨年の2月23日、本国で、前・韓国大統領であった、パク・クネに対し、ワイロを渡した、贈賄の罪に問われ、否認するも、その日に収監されたことを受けて、球団代表も、オーナーも辞任、

 ロッテ・ホールディングスの、日本人取締役に、球団代表職を譲り、韓国ロッテグループの代表として、裁判を戦い抜くも、本日、執行猶予4年付きながら、韓国最高裁で、上告棄却され、懲役2年6月の、有罪判決が確定した、

 よりにもよって、この日にかあ・・・・・・・

 それも、韓国で・・・・・・

 ロッテのお菓子のように、世の中、甘くは無い。

 球団は、渋ちん体質だけれど、がっぽり、契約金と、年俸、手にして欲しい。

 名前の如く、朗らかに、希望を抱いて、彼のマウンドでの姿を、安心して、見詰められるのは、いつの日になるか、分からないけれど・・・・・

 ひょっとしたら、ひょっとしたら・・・・無いかも知れないけれど・・・・・

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≪ 2019・10・29 追記 ≫

 ロッテに、ドラフト1位で、獲得された、上記、佐々木朗希の動向が、全然、伝わってこないと想っていたら、本日、 大船渡高校に、ロッテの、井口資仁(いぐち ただひと)監督が、表敬訪問。

  ( 共同通信 撮影 ) 

  挨拶と、話し合いは、約20分間ほど。

 高校の玄関前で、迎え入れるカタチで、このように、すぐさま、笑顔を互いに作って、記念撮影。

 会談後も、この佐々木。

 話すことは、自分の体力の乏しさばかり。

 「体力面など、そ~ゆ~ところが、まだ、大きく足りないと想うので、一歩づつ、しっかりと、歩んで、頑張っていきたい」

 「少しでも、カラダを強くしてゆきたい」

 「頑張っていけたらと、思っています」

 自分のカラダの、「現状」を、よく自覚し、知った上での、希望めいた発言の繰り返し。終始。 思い上がっておらず。大ぼらも、吹かない。

 腕、ひじ、肩、股関節。

 ゆ~っくりと、プロ仕様に、創り上げていくのに、5年間ぐらいは、必要だろう。

 1,2年目で、客寄せパンダの如く、投げさせても、へたすると、1イニング、持たないで、降板、治療直行になるはず。

 長い目で、じっくり、見守るしかないであろう

 

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 ≪ 2020・7・1 最新追記 ≫

 佐々木朗希を、1軍に帯同させているのに、ピッチング練習すら、させない、マスコミに、見せないのは・・・・上記の事情が、あるからです。

 佐々木老木、ならぬ、朗希のコトを、キチンと取材していない、プロ野球担当記者は、開幕以降のロッテの連勝ぶりも報じるけれど、それ以上に、見出しになると思い込んでいる、彼のピッチングを観たい、何キロ出た出たあ!と、

 そんな、まるで、夏のお化けのような、キヤッチが欲しいだけ。

 試合前。他の1軍選手の動きを追わず、佐々木朗希のあとを、ゾロゾロと、くっ付いて歩く、繰り返しの日々。

 投球練習させないのは、別に、出し惜しみしているわけではない。

 私も、危惧していたが、1か月以上前の、5月26日に行わせた、「シ-ト打撃」の投球ぶりを、1軍ピッチングコーチであり、大リーグ選手経験も豊富である、吉井理人も、井口資仁・監督も、その目で、わずか、11球を見ただけで、止めさせた。

 やはり、まだまだ・・・・無理をさせられない。1軍で投げられるカラダに、まったく、出来上がっていない。このまま、例え、「客寄せパンダ」的に、1イニングだけでも、投げさせ、肩や、下肢の、バランスの悪さが露呈するだけでなく、壊れて、故障でもしてしまったら、元も子もない。

 「体力の回復を待つ」とか、「ケガをしてしまいかねない」という、声が、球団内部から漏れたというのは、そういうことだ。

 佐々木朗希には、通常の投手用マッサージ師だけでなく、実は、専任の男性医師、ひとりも帯同。

 常に、慎重に、見守っている、

 とはいえ、金の卵。

 1軍に帯同させれば、マスコミも付いてきて、報道してくれるはずだし、そのうえ、

  このように、7月12日(日)、ロッテの地元球場で、実施される、「マリン フェスタ」なる名称の、ファン感謝デーの、看板として、彼に登場してもらい、人気と、消えない注目度を維持させる。

 このように、宣材写真まで、提供、配布して、本人の意向、かまわず「RO-TAN」なる愛称まで、付けさせて、あざとく、かつぎ出し、

 年俸1600万円と、契約金、1億円(いずれも、推定)の、元を、しっかり、電卓叩いて、とりまくる。

 新商品のお菓子が出れば、宣伝に、ひと役も、10役もかっていただき、もちろん、ファンにも、買っていただき、1億1600万円の元をとるという、まあ、商売、お上手。

 大事に、大事に、扱い、早くて4年後。通常であれば、5年後。

 良いピッチングを、魅せまくってくれる・・・・・のではないだろうか。

 きしくも、今日から、岩手県内だけの、高校野球大会予選が、始まった。

 すぐさま、母校にメッセージを寄せて、投げなくとも、期待感と、注目度だけは、保っておく。

 これからも、神輿は、地に置いて、冷静に、見詰めていこうと想う。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 冷静な、データによる、「第2弾」

 追って、記事化いたします。

 どこも、記事化していない「チーム」を軸に、新たに取材したことばかりです。

 1年目での、佐々木朗希のマウンド上での快投は、期待しないでください

 な~んだ、と、ガッカリされる方は、ソレは、それで、仕方ありません

 彼が、もし、肩を壊したとしても、ネットのファンが、面倒看てくれる訳ではありませんから。

 快投を、1日も早く!、と望む人達への「回答」です、