DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

(1)バカヤロー、(2)愚か者、(3)心配事、(4)煩悩、(5) 自分史(他者によってつくられた自分&自ら選択した自分)、(6) 自分の性向!

2022-08-25 22:35:41 | 日記
(1)バカヤロー
☆バカヤロー1:あいつは「カネ」があって、おれに「カネ」がない。
☆バカヤロー2:あいつは「頭がよく」て、おれは「頭が悪い」。
☆バカヤロー3:あいつは「いい家の出」だが、おれは「出が悪い」。

(2)愚か者(or世間知らず)
☆愚か者1:かつて「他者の好意」に気づかなかった。鈍感or失礼。
☆愚か者2:「陰口を散々言われている」のに気づかなかった。
☆愚か者3:「ある状況で自分の置かれている立場」が把握できない世間知らず。他者から「ここにいるな」と嫌(キラ)われていることに気づかない愚かさ。
☆愚か者4:「安物買いの銭失い」。Cf. これは自分が「貧乏な家の出」だったことに由来する。
☆愚か者5:他者から嫌われているのに、君はそれに気づかない。
☆愚か者6:「口は災いの元」だ。ひどい目にあった。一般に、他者は何を考えているかわからない。しばしば悪意を持つ。他者は「人が苦しむのを見て喜ぶ(人の不幸は蜜の味)」or「苦しんでいない自分にほっとする」。(これらは人間の一般的傾向だ。)《対策1》「下衆の勘ぐり」もあり、「壁に耳あり障子に目あり」であり、他者に用心せよ。《対策2》「口は災いの元」にならないよう安全なことのみ話す。《対策3》「憶測」でしゃべらないのが、安全だ。
☆愚か者7:他者たちから一度「レッテル」を貼られたら、一生ついて回る。「悪事千里を走る」と言うが「レッテル」はあっという間に他者たちに広まる。《対策》①逃げる、②とぼける、③戦う。

(3)心配事
☆心配事1:やらねばならないことが多数あり、一挙にできない悩み。
《対策》①優先順位をつけるつまり「First things first」。あるいは②「やらねばならない」と思っていることを減らす。③「短気は損気」「果報は寝て待て」「待てば海路の日和あり」ということもある。④「明日できることは今日しない」ことも大事だ。
☆心配事2:君は世間の仕組みに疎い。①資産管理、②相続の仕組み、②-2 税務の仕組み、③会社の出世の仕組み、④商売の仕方、⑤会社経営等々。

(4)煩悩
☆煩悩1:食べたいものを食べてもその時は満足するが、また食べたくなること。体重が多いと体に良くないので体重コントロールしている。
☆煩悩2:「死」が怖い。《補足》しかし「生」の中に「死」は存在しない。「死の恐怖」が「生」の中に存在する。困ったものだ!

(5)自分史(他者によってつくられた自分&自ら選択した自分)
☆自分史1(他者によってつくられた自分):欲望が生じることを罪悪視すること。①仏教的解脱or諦念の理想を学習したことによる。②「修身」的な倹約の思想を教えられたことによる。1950年代以前の「心学」的封建道徳。「欲しがりません勝つまでは」的道徳。
☆自分史2(他者によってつくられた自分&自ら選択した自分):「頭まで筋肉」と他者をけなすことがある。自分が、運動が苦手のため。だが「文武両道」がこの世間で生きるには不可欠だ。
☆自分史3:人生の終わり(挫折)が2回あった。20歳の時と、36歳の時だ。

(6)自分の性向
☆自分の性向1:他者から言われている言葉の意味が分からない。つまり相手がなぜそう言うか、相手の意図がわからない。「世間知らず」のためでもある。
☆自分の性向2:「短気」、「せっかち」。かくて「短気は損気」だ。損ばかりしている。
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オウィディウス(前43-後18)『変身物語』(上)「巻4」(40)「ペルセウスとアトラス」:ペルセウスが持つメドゥーサの首の目の魔力で、アトラスは大きな山に変わり、全天空が彼の上にのった!

2022-08-24 18:33:22 | 日記
(1)
アルゴス王アクリシオスは、バッコスに敵対し彼がユピテル(ゼウス)の子であることを認めなかった。アクリシオスはまた、自分の娘ダナエに、ユピテルが黄金の雨となって忍び込み生ませた子ペルセウスも、神の子であると認めなかった。だがこのアクシリオスは、やがてバッコスに敵対したこと、またペルセウスの神性を疑ったことを後悔する。
《参考》アクリシオスは神託で「ダナエから生まれる子供に殺される」と予言された。このため彼は青銅の館にダナエを閉じ込めたが、ゼウスが黄金の雨となってダナエと交わった。ダナエはペルセウスを産む。アクリシオスはダナエとペルセウスを箱に入れ海に流す。箱が流れ着いた地でペルセウスは成長する。のちに神託のとおりアクリシオスは、わが子ペルセウスの投げた円盤に当たって死んだ。
(2)
さて今やペルセウスは、蛇髪の怪女メドゥーサの首を手みやげに、大気の中を飛んでいた。リビュア(リビア)の上空で、メドゥーサの頭から血が滴り落ち、それを大地が受け取り、いろんな蛇が生まれた。こういうわけでリビュアにはたくさんの蛇類がはびこっている。
《参考》ペルセウスは魔法の品々を駆使し、メドゥーサを退治した。例えば①鏡のようにぴかぴかした盾。メドゥーサに出会ったとき、この楯に映して見れば石にならず戦える。②人間の姿を隠す「ハデスの兜」。③翼のついた靴(サンダル)。この靴をはくと空を飛べる。
(3)
大空を飛びまわったペルセウスは、日の傾くころ、アトラスの支配国である、西の果てのヘスペリアの地に、しばらくの憩いを求めた。ヘスペリアの地は、アトラスが支配する地だ。アトラスは、からだの大きさにかけてはあらゆる人間にまさっていた。大地の「西のはて」と「西の海」がアトラスの支配下にあった。ヘスペリアの地には黄金の果樹が生える果樹園があった。
《参考》古代ギリシア人は、遠く太陽の沈む西方洋上に,祝福された死者の国ヘスペリアHesperia(西方の国)を想像した。そこには〈ヘスペリデスの園〉があるとされる。そこでは宵の明星ヘスペロスHesperosの娘たち(ヘスペリデス)が1匹の竜に助けられつつ、黄金のリンゴを守る。
(4)
「お頼みもうす」とペルセウスはアトラスに言った。「ユピテルこそ私の父です。ご厚情にあずかって、ひと休みがかなえられればありがたいのです。」しかしアトラスには、昔の神託が忘れられなかった。パルナソス山のテミス女神が「アトラスよ、おまえの木から、黄金の輝きが奪われる日が来るのだ。そしてそれを奪い取った栄誉を担うのは、ユピテルの息子だ。」アトラスは、堅固な壁で果樹園を囲い、巨大な竜に守らせて、自国の領域から一切のよそ者を閉め出していた。
(5)
アトラスはペルセウスを威嚇し、腕ずくで追い返そうとする。ペルセウスも腕力ではとうていアトラスにかなわない。力の上でアトラスに対抗できるものなど、そもそもいはしないのだ。そこでペルセウスは、自分は後ろ向きになり、左手でメドゥーサの首をアトラスに向けて突き出した。
(6)
メドゥーサの目の魔力によって、アトラスは、その大きなからだどおりの、大きな山に変わってしまった。ひげと髪が木々となり、肩と手が尾根となり、頭が山頂となった。また骨は石となった。その山は、はてもなく四方へ大きくなっていって、全天空が、彼の上にのっかった。

★エドワード・バーンズ・ジョーンズ『岩と化したアトラス』(1878)サウサンプトン市立美術館
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オウィディウス(前43-後18)『変身物語』(上)「巻4」(39)「カドモスとハルモニア」:テーバイの都の創建者カドモスは、妻ハルモニアとともにテーバイを去った!神は彼らを蛇に変えた!

2022-08-23 20:13:40 | 日記
(1)
カドモスはテーバイの都の創建者であったが、テーバイを出て行った。テーバイが、今やバッコス神に支配されたからだ。妻ハルモニアもカドモスと行を共にした。
《参考》「カドモス」Kadmosは、フェニキアのシドンの王アゲノルの息子。姉妹エウロペがゼウスに連れ去られたとき、父の命令でその捜索の旅に出、テーバイの地へきた。泉を守る大蛇(竜)が従者を殺したため、大蛇(竜)と闘って倒し、その歯を大地に播いた。するとその歯から武装した戦士が生まれ出たが、彼らは同士討ちし、最後に5人が残った。彼らに協力させ、カドモスはテーバイの都を建設した。カドモスは、軍神マルス(アレス)とウェヌス(アフロディテ)の娘ハルモニアと結婚した。
(2)
イリュリアの国にたどり着いたとき、カドモスが言った。「私の槍に貫かれたあの大蛇(竜)は神に捧げられていたのだろうか。あの蛇を殺したことを、かくも明らかな怒り(バッコス神によるテーバイの支配)によって罰しようというのが神のみ心なら、願わくは、この私も、蛇となって長いからだを横たえたいものだ。」
(3)
カドモスがこう言ったかと思うと、彼はもうほとんど蛇となっていた。気づくと皮膚は固くなり鱗がはえていた。両脚はひとつとなり尾となった。腕がまだ残っていた。その腕をさしのべ、まだ辛うじて人間らしい頬を涙でぬらしながらハルモニアに言った。「妻よ、おいで!さあ、おいで、何という気の毒なおまえだ!」
(4)
だが突然、カドモスの舌の先が二つに分かれ、話そうとしても、しゅうという音しか出なくなった。妻ハルモニアが言った。「あなた、待って!ああ、お気の毒に!ああ、神さま、どうしてこの私をも同じ蛇の姿にお変えにならないのです?」そう言うハルモニアの胸もとへ、蛇はさも心得顔にすべりこむ。居合わせた供(トモ)の者たちはみんな恐ろしがっている。が、妻だけは蛇のなめらかな首を撫でている。
(5)
そのときハルモニアも突然、蛇の姿となった。二匹の蛇は互いに絡みつきながら這(ハ)って行き、やがて森の奥へ隠れてしまった。今も、このおとなしい蛇たちは、ひとから逃げもせず、ひとを傷つけようともしない。もとの自分たちをおぼえているからだ。

★Kadmos en de draak, krater toegeschreven aan de Python-schilder, 360 - 340 BC. Louvre Museum.
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映画『Viva!公務員』Quo vado?(伊、2015):ノービリ博士(ケッコの事実婚の妻)は仕事に困らない!彼女は十分なキャリアがあり、いつでも就職が可能だ!これによって、彼女は自由に生きる!

2022-08-22 15:23:07 | 日記
※日本では最初、「イタリア映画祭2016」で『オレはどこへ行く?』の邦題で上映された。

映画の舞台は「公務員天国」と言われるイタリア。「終身雇用」を求めて公務員になった男ケッコ・ザローネが、リストラの対象になってしまった。そのケッコがアフリカで働く恋人に会いに行く途中、密林でカズー族につかまり、ドゴン酋長に事情を説明することとなった。
(1)「終身雇用の仕事に就いて安定した人生を送る」のがケッコの子ども時代からの夢だった。その夢をかなえ、15年前にケッコは、公務員になった。彼は未だ独身だ。婚約者がいるが、彼女はケッコが好きというより、「公務員」の安定した生活を求めていた。だからケッコはなかなか結婚しない。
(2)だがマーニョ大臣が「公務員削減計画」を発表する。リストラ担当者の部長シローニ女史はやり手で、リストラ目標者1444名のうち1443名までリストラした。最後に残ったのがケッコ・ザローネだった。シローニ部長は退職金の割り増しで自主退職願に署名させようとした。2万8000ユーロの退職金に対し、3万5000ユーロをシローニ部長は提示した。しかしケッコは公務員を辞めたくないので署名しない。
(3)かくて「嫌がらせ」にケッコはあちこち異動させられる。①スーザ渓谷での家畜管理、②サルディーニャ島ヌーオロ市の古代遺跡管理、③難民救援センターの係官。ケッコが音を上げていると思い、シローニ部長は、今度は割増退職金5万ユーロを提示するが、それでもケッコは公務員を辞めない。つまり自主退職願に署名しない。
(4)ケッコは④北極の国際研究センターに異動となる。彼はそこで美人のノービリ博士の護衛係(ホッキョクグマの襲撃から守る)となる。彼はノービリ博士を好きになり、北極の職務が楽しくなる。彼は公務員を辞める気が一層なくなる。
(5)夏季休暇中、ケッコはノービリ博士(ノルウェー人)の家に滞在する。彼女にはなんと3人の子供がいた。ただし父親が全て違う。長男サイード(父親がアフリカの黒人)、長女(父親は東洋人)、次男ラルス(父親はノルウェー人)。ノービリ博士は、今はラルスの父親と暮らす。
(6)そこにノービリ博士の新しい恋人カールがやって来る。ケッコは嫉妬するがどうにもならない。かくてケッコは「ぼくは北欧人(ノルウェー人)になる」と決意する。ケッコは家事に精を出し、男女同権を主張し、LGBTの権利を認める。ケッコは北欧的生活様式を取り入れて行く。しばらくしてラルスの父親は、男性の配偶者と結婚式を挙げた。
(7)ノービリ博士の恋人カールはやがて去り、北欧(ノルウェー)に暗い冬がやってきた。ケッコは陽光の明るいイタリアが恋しくなる。イタリア的生活様式が、ケッコには、やはり懐かしくしっくりする。ケッコはイタリアに戻る。ノービリ博士、その3人の子供も一緒にイタリアに来る。
(8)リストラ担当のシローニ部長は、今度は割増退職金7万ユーロを提示するが、それでもケッコは自主退職願に署名しない。かくてケッコは、今度は⑤イタリア国内の森林警備隊に異動させられ、彼は違法の猛獣の没収の仕事に従事した。ノービリ博士は、それら没収した猛獣たちを見せる私設動物園を開設した。だがしばらくしてうまくいかなくなり、ノービリ博士はイタリアを去る。彼女は、アフリカでの仕事に従事することなる。
(9)だがケッコは公務員を辞めたくない。つまりアフリカに行かない。かくてノービリ博士と、ケッコは別れる。リストラ担当のシローニ部長は、ついにケッコに割増退職金7万ユーロを提示する。だがこれもケッコは断る。その内に、マーニョ大臣の公務員削減計画は取りやめとなった。かくてケッコは再び、元の県の仕事に戻った。「粘り勝ちだ!」「公務員天国イタリアだ!」とケッコは喜ぶ。
(10)そこにアフリカにいるノービリ博士から電話がかかる。「妊娠した。あなたの子供よ!」とノービリ博士がケッコに言う。結局、ケッコは自分の子供とノービリ博士と一緒に暮らすために公務員を辞める。ケッコはアフリカに行く。リストラ担当のシローニ部長は、もはや公務員削減計画は取りやめとなったから予算がないので、自主退職の割増退職金は3万5000ユーロしか払えないと言う。ケッコはかけひきの中で「ポケットマネーで払ってくれ」と、シローニ部長に1万5000ユーロを上乗せ分として払わせる。
(11)カズー族のドゴン酋長はケッコの事情を了解し、ケッコを解放する。実はドゴン酋長の娘も妊娠しており、ノービリ博士がケッコとの子供を産んだのと前後して、ドゴン酋長の娘も出産した。ケッコとドゴン酋長は病院で再会し、喜びあった。
(12)ノービリ博士は野生生物保護の仕事に従事し、ケッコは彼女の専属の助手として雇われる。他方、ケッコがシローニ部長に払わせた割増退職金の上乗せ分1万5000ユーロは、ノービリ博士が子供を産んだ病院に寄付された。ケッコは、それをシローニ部長からの寄付として伝え、病院にはワクチンなど医薬品が送られた。シローニ部長にはアフリカの病院から深い感謝メールが届いた。

《感想1》ノービリ博士(ケッコの事実婚の妻)は仕事に困らない。彼女は獣医の資格を持ち、十分なキャリアがあり、いつでもどこでも就職が可能だ。これによって、彼女は経済的基礎を持ち、自由に生きることができる。
《感想2》映画は、「多様な文化と一つの人間性」の観点から、「インターナショナリズム」あるいは「多文化主義」の立場に立つ。
《感想3》ケッコの「イタリア的生活様式」への郷愁(ホームシック)には同感する。「イタリア的生活様式」というイメージ(ステレオタイプ)がわかりやすい。
《感想4》また「市民的文化の北欧」というイメージ(ステレオタイプ)もわかりやすい。

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エミリー・ディキンソン(Emily Dickinson)「至上の幸福の地までの距離は」(1882年頃):自分の人生の「自己肯定」が可能な「魂」こそ、「不屈さ」をもつ魂であり、死をおそれない!

2022-08-20 17:10:42 | 日記
   Elysium is as far as to  「至上の幸福の地(Elysium)までの距離は」
           by Emily Dickinson (1830-1886)

Elysium is as far as to 至上の幸福の地までの距離は
The very nearest Room すぐ隣の部屋までにすぎない
If in that Room a Friend await もしその部屋にひとりの友人が待ってくれているなら
Felicity or Doom — 幸福でも不幸でも—

What fortitude the Soul contains なんという不屈さを魂はもつことか
That it can so endure 魂は耐えることができる
The accent of a coming Foot — 近づく足音にも—
The opening of a Door — ドアが開くことにも—

《感想1》エミリー・ディキンソンはほとんど世間と交わらない人生を生きた。めったに人々の前に姿を現さなかったし(rarely going out in public)、多くの時間を孤独に過ごした。
《感想1-2》「すぐ隣の部屋」に待っている「友人」とは誰か?「友人」とは、彼女の「理解者」だ。そして孤独に過ごした彼女の「友人」or「理解者」とは彼女自身だ。
《感想1-3》「至上の幸福の地」は「すぐ隣の部屋」であり、そこには自分の「理解者」(「友人」)である自分自身がいる。人生が「幸福」でも「不幸」でも、私の「友人」or「理解者」(自分を理解する自分)がいれば、そこは「至上の幸福の地(Elysium)」だ。
《感想1-4》エミリー・ディキンソンは、「自己肯定」を求める。1882年頃、死の4年ほど前、彼女が51歳の頃、自分の人生を顧みて「自己肯定」できたらいいのにと彼女は思った。

《感想2》エミリー・ディキンソンは、「死」の到来に耐えることができる魂の「不屈さ(fortitude)」を確認する。
《感想2-2》私の「友人」or「理解者」(自分を理解する自分)は人生の「自己肯定」を可能とし、私を「至上の幸福の地(Elysium)」に住まわせるが、それははるか遠くにあるわけでない。その地は、エミリー・ディキンソンの「心のうち」、つまり「隣の部屋」くらい近い所にある。
《感想2-3》自分の人生の「自己肯定」が可能な魂こそ、「不屈さ(fortitude)」をもつ魂だ。
《感想2-4》そのような「不屈さ(fortitude)」をもつ魂は「近づく(死の)足音」に耐えることができる。そして「ドアが開き」死が訪れることにも、魂は耐えることができる。
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