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平川新(アラタ)(1950-)『新しい江戸時代論の原点』NHK文化講演会(2018/08/04放送):「共同体(村社会)否定論」への違和感!&「豪農半プロ論」から「地域リーダー論」へ!

2018-08-04 09:06:10 | 日記
(1)
かつての「共同体(村社会)否定論」への平川氏の違和感。村は、過干渉で、プライバシーがなく、よそ者を排除し、封建的だとするのは、都会出身者の議論だ。平川氏は村出身(「田舎育ち」)で、彼の知る限り、村は他人の子供も心配する共感的社会で、行商など「よそ者」にも親切にした。
《感想》
平川氏が、かくて「流行の論理に乗ってはいけない」、「資料から事実を読み起こせ」と言うのは実にもっともだ。

(2)「豪農半プロ論」も平川氏は批判する。「豪農半プロ論」は、村は、収奪する豪農、小農民、半プロレタリアート(日雇いにも従事する小作)からなると分析する。これは階級闘争史観である。そして、これこそ科学的歴史観だとされた。これに対し、平川氏のような資料に即した村の分析は「素朴実証主義」と非難された。
(2)-2
さて、平川氏(当時、大学生)の地元では、父親が選挙で、山林大地主の県会議員を応援していた。「豪農半プロ論」の観点から、平川氏が、村民を収奪する「豪農」にあたる者を、応援するのだと質問。父親は「地域をよくしようとしているから応援する」と答えた。
(2)-3
平川氏は、その時、納得しなかった。しかし、江戸時代の資料を読む中で、平川氏は、村役人が、地域をよくするため尽力するのを、繰り返し確認した。彼らは、幕府からの資金調達にも努力した。(これを権力との癒着と批判することはできない。)かの山林大地主の県会議員は、こうした村役人に似る。平川氏は、「豪農半プロ論」に代えて、「地域リーダー論」を打ち出す。

《感想1》
階級闘争史観(例えば「豪農半プロ論」)は、人の善意(感情・意志の一種)に目を向けることが出来ない。
《感想1-2》
評者の見解では、歴史は、個人の感情や意志で動く。それらの感情や意志が大量の人間に共有されれば、巨大な力となり、権力関係、経済関係、さらにとりわけ国家的意思決定を左右する。
《感想1-3》
「地域リーダー論」は個人の感情や意志に注目する。こちらの方が、歴史を事実に即して見ていると言える。
《感想2》
階級闘争史観も、個人の感情や意志のレベルから説明することが可能だ。階級闘争史観の人間観は、人間は経済的利害関心・権力的利害関心を中心に動くとする。
《感想3》
だが人間には、理想への献身という関心、宗教的関心、道徳的関心、人としての共感という関心等々、様々な関心(これは感情であり、また感情に由来する意志である)がある。これらの関心を、経済的利害関心・権力的利害関心とともに考慮し、歴史上の人間行動を読み解く必要がある。(「地域リーダー論」はこの立場だ。)
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