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中西進『古代史で楽しむ万葉集』「一 古代の歌うた」(その4):聖徳太子は万葉において、きわめて人間的な姿をみせ、ほかの文献と異質だ!

2021-07-25 12:55:42 | 日記
※中西進(1929-)『古代史で楽しむ万葉集』角川ソフィア文庫(1981, 2010)

(1)-7 聖徳太子は万葉において、きわめて人間的な姿をみせ、ほかの文献と異質だ!万葉の歌の流れの上で、太子は一つの人間誕生をつげる存在となっていった!(25-29頁)
A-9 『万葉集』において、「雄略を優美ないろどりに染めあげていったものは、ひとつの抒情精神であった」。「7世紀初頭の聖者、聖徳太子もまた万葉においては、きわめて人間的な姿をみせて、ほかの文献と異質である。」(25頁)
A-9-2  推古天皇(位593-628)の皇太子・摂政となったのが聖徳太子(574-622)だ。(東宮としての太子の政治は、蘇我馬子と並んで行われた。)太子の政治には、従前にみられなかった新しさがあった。603年「冠位十二階」が定められた。これは、蘇我の勢力に象徴される「氏族制」の社会から、官僚制あるいは「律令制」への第一歩だった。(26頁)
A-9-3  604年「十七条の憲法」は、後の白鳳期(大化改新~平城京遷都)に太子に仮託して作られた可能性が高いが、ここに盛られた「官僚制の整備」、「人倫への理想」は太子のものでありうる。(27頁)
A-9-4  太子のこのような「あらたなる時代」への「夢想」は、「ふかく内攻する魂」に裏付けられていた。「仏教への深い悟入」が太子を支えた。(こうして622年、太子は49歳で亡くなった。)(28頁)
A-9-5 太子信仰が、はやくも白鳳期に現れてきた。(28頁)

A-10 『万葉集』(巻3、415)に、「上宮聖徳皇子(カミツミヤシヤウトコノミコ)」(聖徳太子)の歌がある。
「家にあらば 妹(イモ)が手まかむ 草枕 旅に臥(コヤ)せる この旅人(タビト)あはれ」
(家にいたら愛の手を交わしているだろうに、旅路で死んでいる旅人よ!)(28頁)
A-10-2 この歌は家の妹(妻)の悲しみを「想いやる歌」だ。(※夫は旅先で、行き倒れてしまった。)(28頁)
A-10-3  これは「聖者像」というより、「人間としての慈愛」を太子に感じ取ったものだ。それは「太子の仏教帰依」の中から出てきた「人間への愛(イト)しみ」だ。「万葉の歌の流れの上で、太子は一つの人間誕生をつげる存在となっていった。」(29頁)
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