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池田晶子『知ることより考えること』第4章「哲学のすすめ」(★41-44):絶対矛盾的自己同一!「生」に「死」にも理由がない!「宇宙」より「考え」の方が大きい!「何もかもが奇跡的」だ!

2025-07-30 12:27:37 | 日記
※池田晶子(1960-2007)『知ることより考えること』2006年(46歳)新潮社
★41「医者の心得」:論理的には死は存在しないが、現象的に死は存在する!論理と現象の絶対矛盾が同一であるのが人間という存在だ!
☆「一人称の死」は存在しない。他人の「死体」は存在するが死体の中に「死」は存在しない。(133頁)
☆「論理的には死は存在しないが、現象的に死は存在する。論理と現象の絶対矛盾が同一であるのが人間という存在だ。」(133頁)
☆医者は「絶対矛盾的自己同一を、自他において生きる」。(134頁)

★42「患者の心得」:「死」には「なぜ」なんて理由がないのは、「生」に「なぜ」の理由がないのと同じである!
☆「生きている人が死ぬのは当たり前」。このあたり前に気がついた患者こそが「本物の」or「覚悟が決まった」患者だ。(135頁)
☆「自然すなわち存在」の当たり前が、当たり前でなくなっているのが現代だ。(136頁)
☆「死」には「なぜ」なんて理由がないのは、「生」に「なぜ」の理由がないのと同じである。(136頁)

★43「何用あってつき世界へ」:「考え」(※超越論的意識)はどこまでも「宇宙」を包摂する!「宇宙」よりも「考え」の方が大きいのである!
☆「宇宙の果て」について「考えている」のは他でもない「自分」だ。「果て」とはそれ自体が「考え」だ。(139頁)
☆「科学」は「世界を知る一つの方法」である。しかし「科学」の知り方で宇宙を知ったとしているのはどこまでもその「考え」(※超越論的意識)である。「考え」はどこまでも「宇宙」を包摂する。「宇宙」よりも「考え」の方が大きいのである。(139頁)
☆「宇宙」を知りたいと切望する私は、「宇宙」へ行かずに、この「考え」をこそ知ろうと考えている。「哲学」は「科学」を凌駕する。「無重力空間を遊泳する宇宙飛行士」の姿をテレビで見たが、私なんか毎日「あんな感じ」である。(140頁)
《感想》軍事技術としての「科学」。「科学」は容易に「人間」を殺す。「科学」は「哲学」を凌駕する。

★44「奇跡大好き」:本当に「宗教的」な人、本当に「神の奇跡」を感じている人には、「何もかもが奇跡的」なことのはずだ!
☆カトリック教会で「聖人」の認定の基準は「奇跡」の事実が2度以上あることだ。「奇跡」の定義は「科学的に説明不可能であること」だ。(141-142頁)
☆だが本当の奇跡は「自然の奇跡」だ。「花が咲くこと、陽が昇ること、この宇宙がこのように存在することの奇跡」だ。(143頁)
・「科学」がいかに説明したとて、このこと自体の「奇跡」が、「奇跡」でなくなるわけでない。(143頁)
・このこと自体の「奇跡」が、いかにしても「説明不可能」だからこそ、人は「神」という発想を持った。(143頁)
☆「科学により説明不可能なこと」のみを「奇跡」とするような「宗教」は、「科学の優位に立っている」つもりで、「科学に従属している」。(143頁)
☆本当に「宗教的」な人、本当に「神の奇跡」を感じている人には、「何もかもが奇跡的」なことのはずだ。だから、とりたてて何かだけを奇跡的だ、価値なのだと、騒ぎ立てるはずもない。(143頁)
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