DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

「少年」たちは殺し合う、すなわち「文化を知らない人間」たちは殺し合う

2018-04-06 09:16:32 | 日記
(1)
少年たちは、放っておけば、殺し合いに陥る。
おそらくそうだろう。
《参考》山折哲雄(1931ー)『こころの作法』2002年

(2)
少年たちは、ルソーのエミールのように放っておかれてはいけない。
「高貴な野蛮人」とは、すでに文化的に訓練された「高貴さ」である。
これと対照的に、少年たちは前文化的であるから、殺し合いに陥る。
教えられ・訓練されることでのみ、彼らは相互的に平和に生存する方法を知る。

(3)
少年たちは、放っておけば、殺し合う野獣になる。
正確には、人間の少年たちは、野獣より凶暴だ。
人間は、思考し妄想するので、欲望が膨張していく。
野獣の欲望は、生理的身体的に満足させられれば、そこで鎮まる。(自然の規則性が支配する。)
しかし、人間は、自由に思考し妄想するので、欲望に満足というものがない。

(4)
人間は、他の人間を、平気で楽しみのため、殺す。
人間は、財貨を、彼の必要を遙かに越え、理由なく、ため込む。
そのため、平気で無限に他者を収奪する。
メンツ(面子)のため、意地をはり、虚勢を張り、虚栄心を満たそうとする。
そうしたものの為に、平気で殺し合いをする。
それが人間だ。

(5)
人間は、野獣以下だ。
人間は、訓練されねばならない。
自らで、自らを訓練しなければ、野獣以下になる。
すでにある文化は、人間の自己訓練の歴史的成果だ。
文化によって、人間は、殺し合いに歯止めをかける。

(6)
少年たちは、文化のうちに、取り込まれねばならない。
少年たちは、放っておけば野獣以下になる。
文化を知らない場合、人間には、自己保存、幸福(快楽)追求に、自然の歯止めがないから、人間は、互いが死に絶えるまで、殺し合う。
「少年」とは、「文化を知らない人間」の別名だ。
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