※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「平成」の章(457-478頁)
(121)百田氏の誤り①:「壮大な社会実験」であったのは「共産主義」という目的でなく、「社会主義」だ!(463-464頁)
A 百田尚樹『日本国紀』は「共産主義とは、20世紀に行われた壮大な社会実験であり、それはことごとく失敗に終わったといえる」(百田463頁)と述べる。
A-2 百田氏の誤り①:「壮大な社会実験」であったのは「共産主義」ではなく、「社会主義」だ。(463-464頁)
A-2-2 「共産主義」は、「社会」の最終的な発展として階級も政府もない理想状態を目指す考え方のことだ。つまり「目的」だ。(463-464頁)
A-2-3 「社会主義」は、共産主義という「目的」を実現する手順・手段だ。「壮大な社会実験」であったのは「社会主義」だ。(463-464頁)
(121)-2 百田氏の誤り②:「社会主義」の手法が資本主義の中に取り入れられ、生き残っている!「社会主義」は「ことごとく失敗に終わって」いない!
A-3 百田氏の誤り②:《共産主義という「目的」》を実現する《手順・手段としての社会主義》(※百田氏は「共産主義」と「社会主義」を混同し「共産主義」と呼ぶ)が、「ことごとく失敗に終わった」というのは誤りだ。(464頁)
A-3-2 「社会主義」の手法が資本主義の中に取り入れられており、「社会主義」は「ことごとく失敗に終わって」いない。(464頁)
A-3-3 「社会主義」の手法には「労働組合」「インフラの公営」「土地の一部公有」「社会保険」基幹産業の国有化「経済の国家統制」などがある。資本主義が社会主義に「勝利した」と言えるのは、資本主義の中に「社会主義」の手法を取り入れてメンテナンスに成功したからだ。(464頁)
A-4 百田尚樹『日本国紀』は「共産主義は人を幸せにしない思想である」(百田463頁)と述べるが、これは主観的価値判断であって、事実的・歴史的、また論理的には「共産主義は理想にすぎず、非現実的であった」と言うべきだ。(464頁)
A-4-2 別に共産主義そのものは「人を幸せにしない思想」というわけではない。ただそれを実現するための社会主義の「諸実験」にソ連が失敗したということだ。(464頁)
(121)百田氏の誤り①:「壮大な社会実験」であったのは「共産主義」という目的でなく、「社会主義」だ!(463-464頁)
A 百田尚樹『日本国紀』は「共産主義とは、20世紀に行われた壮大な社会実験であり、それはことごとく失敗に終わったといえる」(百田463頁)と述べる。
A-2 百田氏の誤り①:「壮大な社会実験」であったのは「共産主義」ではなく、「社会主義」だ。(463-464頁)
A-2-2 「共産主義」は、「社会」の最終的な発展として階級も政府もない理想状態を目指す考え方のことだ。つまり「目的」だ。(463-464頁)
A-2-3 「社会主義」は、共産主義という「目的」を実現する手順・手段だ。「壮大な社会実験」であったのは「社会主義」だ。(463-464頁)
(121)-2 百田氏の誤り②:「社会主義」の手法が資本主義の中に取り入れられ、生き残っている!「社会主義」は「ことごとく失敗に終わって」いない!
A-3 百田氏の誤り②:《共産主義という「目的」》を実現する《手順・手段としての社会主義》(※百田氏は「共産主義」と「社会主義」を混同し「共産主義」と呼ぶ)が、「ことごとく失敗に終わった」というのは誤りだ。(464頁)
A-3-2 「社会主義」の手法が資本主義の中に取り入れられており、「社会主義」は「ことごとく失敗に終わって」いない。(464頁)
A-3-3 「社会主義」の手法には「労働組合」「インフラの公営」「土地の一部公有」「社会保険」基幹産業の国有化「経済の国家統制」などがある。資本主義が社会主義に「勝利した」と言えるのは、資本主義の中に「社会主義」の手法を取り入れてメンテナンスに成功したからだ。(464頁)
A-4 百田尚樹『日本国紀』は「共産主義は人を幸せにしない思想である」(百田463頁)と述べるが、これは主観的価値判断であって、事実的・歴史的、また論理的には「共産主義は理想にすぎず、非現実的であった」と言うべきだ。(464頁)
A-4-2 別に共産主義そのものは「人を幸せにしない思想」というわけではない。ただそれを実現するための社会主義の「諸実験」にソ連が失敗したということだ。(464頁)