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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』I 序論(三)「近代精神史上の位置」:『精神現象学』は「近代精神」の3特徴一「人間の無限性」、二「作用性」、三「自己意識」(主体性)を極端にまでもっていった!

2024-03-21 12:18:36 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
I 序論(三)「近代精神史上の位置」(49-52頁) 
(4)ヘーゲル『精神現象学』は「近代精神」の3つの特徴①「人間の無限性」、②「作用性」、③「自己意識」(主体性)を、極端にまでもっていった!
★「近代精神」には3つの特徴がある。①「人間の無限性」、②「作用性」(実体よりも作用を尊ぶこと)、③「自己意識」(主体性)!(49頁)
☆ヘーゲルの『精神現象学』はこの3つの特徴を極端にまでもっていったものである。

★「近代精神」の第①の特徴、「人間の無限性」について言えば、それは「人間は絶対者を知り、またこれに到達することができる」というヘーゲルの主張にきわめて明瞭に現れている。(49頁)
《感想》「近代精神」(Ex. 哲学者や科学者)orヘーゲルのなんという傲慢!
《感想(続)》ただし「神との合一」、あるいは「神の憑依」の意識は、人間には太古からあった。

★「近代精神」の第②の特徴、「作用性」(実体よりも作用を尊ぶこと)について、ヘーゲルは次のように言う。「真なるものとは、おのれ自身となる生成であり、己れの終わりを己れの目的として予め定立し前提し、また初めとしてもち、そうしてただ目的を実現して終わりに達することによってのみ現実的であるところの円環である。」(49-50頁)
☆このように「真理」は、それを「固定した結果」と見ずに、「つねに生成してゆくプロセス」として見た時にのみ本当に成り立つと、ヘーゲルは考える。
☆この「生成」Werden ということを非常に尊ぶということからいって、ヘーゲル哲学においては「作用性」の特徴がほとんど極点にまで押し出されている。

《参考》ハイデガー『存在と時間』(1927)「第44節」(a)は、「真なるもの」or「真理性」について、「言明が真であるということ(真理性)は、存在者をそれ自体のありさまで発見することである」と述べている。(※頁は細谷貞雄訳1994)
☆1 「言明は発見的である。」つまり「言明において志向されていた存在者そのもの」が、「それがそれ自体においてある通りのありさまで現れてくる。」(218頁)
☆2 「知覚」によって「証示さるべきことは、認識と対象との合致ではなく・・・・存在者そのものが発見されてあること、その被発見態のありさまにおける存在者そのものである。」(218頁)
☆3 「言明が真であるということ(※真理性)は、存在者をそれ自体のありさまで発見することである。」「言明が真であること(真理性)は、発見的であることとして理解されなくてはならない。」(218頁)
☆4 「言明は、言明し挙示する、すなわち存在者をその被発見態において『見えるようにする』」。(218頁)
☆5 かくて「真理性は、ある存在者(主観)が他の存在者(客観)へ同化するという意味での、認識と対象との合致というような構造をなんらそなえていない。」(219頁)
☆6 「発見的であるという意味での真であることは、存在論的には、世界内存在にもとづいてのみ可能である。」(219頁)

★「近代精神」の第③の特徴、「自己意識・主体性」は、「絶対者は主体である」とのヘーゲルの主張に現れている。(50-51頁)
☆「絶対知」はヘーゲルの場合、「絶対宗教」と深い関連にある。そして「キリスト教」が「絶対宗教」と解されている。
☆「絶対宗教」とは、「神が、自己確信的精神の深底である」という「知」だとヘーゲルは述べる。つまり我々は「自己自身を確信する精神」をもっているが、そういう精神の「一番深い底」にあるものが「神」にほかならないのだ。
☆かくて「神はあらゆる人間の自己である」ことになる。「神」は「実在」であり「純粋思惟」であるが、この「抽象性を外化する」つまり「抽象性を捨てる」ときには、「神」は「現実の自己」である。
☆裏から言えば「現実の自己」つまり「普通の空間的・時間的定住を持っている人間」が、「神」だということだ。かくて「神性・神の性質」は、「人性・人の性質」と異なったものでないともヘーゲルは述べる。これは「主体性および自己性」をヘーゲルが極端にまでもっていったものだ。

★このような意味でヘーゲル『精神現象学』は「近代精神」を決定化したものであるということができる。(51頁)
☆カントにおいても「近代精神」の3つの特徴、①「無限性」、②「作用性」(実体よりも作用を尊ぶこと)、③「自己性」ということは、もちろんいえる。しかしカントにおいては、まだ控え目であって極限にまで至っていない。
☆ヘーゲルの場合は、「近代精神」の3つの特徴、①「無限性」、②「作用性」(実体よりも作用を尊ぶこと)、③「自己性」(「自己意識・主体性」)は、極限にまで推し進められている。
☆かくて、ヘーゲルは「近代哲学を完成した」と言える。
☆同時にヘーゲルは「近代哲学の転換を不可避にした」。即ちヘーゲル(1770-1831)を通じてキェルケゴール(1813-1855)、マルクス(1818-1883)といった人たちが現れてきて、「近代哲学」への反抗が始まり、「現代哲学」へと移ってゆく。
☆『精神現象学』はそれを極めてよく現わしている。
☆ヘーゲル『精神現象学』の「近代精神史上の位置」は、大体このように決めることができる。(金子武蔵)

★ハイデガーは「ヘーゲル哲学は近代哲学をある意味で完成したものである」と述べる。(51-52頁)
☆ヘーゲルは確かに「近代科学、近代技術」について内面的な理解を持っていない。しかし根本の精神においては「ヘーゲル哲学」と「近代科学、近代技術」は同じだ。
☆一方で「近代科学、近代技術」は「人間が世界全体を人間の支配の下に置こうとした」。他方で「ヘーゲル哲学」は「精神的に世界を支配しようとした」。
☆「ヘーゲル哲学」は「近代科学、近代技術」に何らの理解ももっていないが、しかし両者は根本の性格において同じものだ。ただ一方(「ヘーゲル哲学」)が「精神的に内面的に」人間による世界支配を行うのに対し、他方(「近代科学、近代技術」)は「現実的に現象に現れるように」人間による世界支配を行う。
☆「ヘーゲル哲学は近代精神の性格をはっきり現わしたものだ」とハイデガーは主張する。これは金子武蔵氏の主張と同じだ。
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